これがテニスか〜新テニミュ3rd感想

グローバリゼーションの境目に存在する舞台。

サーステ。ついにテニミュデビューである。

私の中のテニプリ知識といえば増田さんが出演されていた頃の立海戦のみだ。

知っていること。
テニス選手は五感を奪えるらしい、跡部が人気、デカ過ぎんだろ……

と、初見も初見。

何も分からないまま行って、劇中でも「なんて???」ということは多々あったがとにかく面白かった。当たり前かもしれないがイメージより洗練されていて今風で、キャストも時の2.5らしくキラキラしたアイドルのような風体だった。テニミュに対するイメージはガラッと変わった。

本当に面白かったので4thも1作目から円盤や配信を買って観たくらいだ。途中参入だったためか自分的には4thの方が今までのテニミュより肌に合う。新テニミュも4thもどちらも楽しいと思えた。

今回のサーステは様々な言語を母語話者とするキャストが混合された座組で行われた。
私が今更テニミュに行こうと思った理由はこれだ。日本語の非母語話者の中にも流暢に話せるキャストもいれば、他国のアクセントがあるキャストもいる。こんな舞台、日本ではそう観られるものではないと思う。

総合的な所感

目の前で風の音が聞こえるほどの力でラケットを振られたことがないので終始臨場感と緊張感に震える3時間だった。舞台の醍醐味だ。
本当にテニスをしてるみたいだよ〜と言われているのは知っていたが、まじでテニスしてるみたいじゃん!?と新鮮に驚いた。
ボールはないのに、本当にボールにラケットが弾き飛ばされたように見えるし、ボールを受けて体が吹っ飛んだように見える。演技技術が凄まじい。

特にラケットなんてちょっと力の掛け方を間違えたら客席側に飛んでいってしまうかもしれないのに。綺麗に真横、真上に、外力によって飛ばされたかのように投げられる演技技術に感激した。

あとあのラケットをクルクルっと回すやつがかっこいい。疾走感もある。

展開

早い。とにかく早い。いきなり劣勢になりいきなり優勢になる。

テニスの試合のスピード感をストーリーの流れにも感じた。回想が終わって一呼吸も置かずに捌けていた選手が猛ダッシュで走り込んできてすぐに試合が再開する。常に試合が続いているんだなと、本当のスポーツ観戦をしているみたいにハラハラした。

高校生と中学生の構図

初めて新テニミュを観た時は海外トップクラスの選手と戦うことでリョーマたちが進化していく物語だと思っていた。
そこから1stと2ndも観て、改めて人物像を知った後に3rdを再び観劇してその認識を改められた。

これは高校生という年長者に教え導かれることでリョーマたちが進化する物語だ。私はそう読み取った。

高校生にも年齢幅があり当然授受の関係はあるはずだがそこ置いておくとして。
高校生と中学生の教え教えられる関係は無印のテニミュではあまり大きく取り上げられていなかったのではないかと思う。4thの六角までの知見だが、ライバル校との戦いが成長の糧であり、3年生たちも陰で見守ったり心の中で期待したりすることはあっても彼らにも彼らの課題があり、教え導くというほどの差は感じられなかった。

これが高校生選手ともなると、もう大人では?と思うほど達観していて、あからさまに助力をする。あれはしてはいけない、これを考えろ、身体は大丈夫かと具体的かつ明白に保護者的姿勢で接している。
負傷や挫折に対しても淡白さはなく、粘着質に思えるほど保護的だ。中学生たちの未来にいる高校生だからこそ、彼らの先を見て、将来を描いて案じることができるし先に続く道を示せるのかもしれない。
だからこそ混合ダブルスの試合は見応えがあるし、彼らの感情の行間を読みたくなる。

想像が掻き立てられる舞台。そんな舞台最高に決まっている。

しかし行間どうのと言っても、リョーマがアメリカ代表で突然日本に戻ることも、柳と毛利が不仲なことも、そこから爆速で和解した理由も、独裁気味な平等院に全ての権限があるのかと思いきやちゃんと監督がいたことも、凱旋で漸く腑に落ちて見え方がガラッと変わったのでミリ知らすぎるのも良くないなと思った。

言語について

国外の、それも非母語言語を話す舞台に出るなんてものすごい精神力だなと思った。しかもそれが英語ならまだしも日本語……。
日本語が特別難しいだとか特殊だとかは思っていないが、英語やフランス語とは異なる部分が多い。日常的に日本語で生活できるくらい話せるとは言っても舞台の上で仕事をするとなると絶対緊張するよ……と感心せざるを得ない。

リョーマの英語も非母語話者としての英語だったのでアクセントについてはそんなに気にはしないが、強いて言うならミュージカルなのだし海外キャストのセリフは全て音程つけて歌にしてしまえば負担が少なかったのではないだろうか。歌では日本語でも本人たちの高い歌唱力で難なく発話していたので。

ベンチワーク

驚いたことにほぼ全てのキャストが舞台上に出ずっぱりで、ベンチにて試合を観戦しながらセリフを挟んだり各々自由に演技を続ける。それをテニミュではベンチワークと言うらしい。
他の舞台と一線を画す特殊なシステムだ。二人芝居でもあれば出ずっぱりなこともあるが、大抵はスポットライトが当たっていて、決められたセリフや行動がある。
だがこのベンチワークにはそれがない。マイクオフの状態でキャスト同士が試合について話したり、目配せをしあったり、試合中のキャストを固唾を飲んで見守っている。
3時間エチュードをし続けているようなものだと思う。深いキャラ解釈や演技力がなければ難しい。

キャラが生きて目の前にいるという言葉から想像される状況の理想が、まさにこのベンチワークの芝居なのだと感じた。

国境なき舞台

国の代表同士の戦いだからこそ、彼らは国の思いを背負い、国を誇って試合をする。それは歌詞にも現れる。
国を分けて強さを競う。
しかし同時にこの大会を行うには国同士の協調が必要だ。そしてそれを舞台で描くためには様々なルーツ、キャリアを持つキャストが集うグローバルな座組が必要だった。
私は特に世界はこうあるべきとかナショナリズムがどうとか決まった考えがあるわけではないが、単純に国も言語も職種も超えた方々が集まって「テニスに国境はない」「愛は力」と私たちを楽しませてくれたことは真実で、偉大な功績だと思う。

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