ラジオと、私と、秘密基地
今回は私とラジオについて書いてみようと思う。
ラジオは私が芸人を志すようになった最も大きなきっかけであり、このnoteを始めたきっかけの1つでもある。
私がラジオを本格的に聴くようになったのは高校2年生の2月頃。
私の通っていた高校では、2月の中旬に高校受験があったため、在学生は2週間ほどの「受験休み」となり、授業や部活が一切なくなる。
また、このタイミングとコロナウイルスの流行が重なって、3月頭からは全国一斉休校が実施された。そのため、受験休みに連結する形で、自宅待機期間に入った。
受験休みを合わせると、学年を跨いで約4ヶ月の「おうち時間」が出来た。
しかし、受験勉強をするにもなんとなく身が入らず、かと言って好きなことをやるにも時間がありすぎた。
テレビでは、収録が停止したせいか、何度も見倒した回の再放送ばかり。
YouTubeはYouTubeで、隙間時間に観るのがちょうどいいのであり、いざ膨大な「おうち時間」が手に入ると観る気が萎えてしまった。
そんなとき、聴き始めたのがラジオだった。
もともとお笑いが好きだった私は、芸人の深夜番組を中心に一日中ラジオを聴き漁っていた。次第に芸人以外の文化人の番組から、顔も知らないアイドルの番組まで様々な番組を聴くようになった。
私は、「誰の番組に」というより、「ラジオという文化自体に」衝撃を受けた。
幼稚園のお昼休みに、中庭の茂みの裏に作った秘密基地で、友達とひそひそ話をしていたときのような、あの高揚感。
「この場所にも、この話にも、きっとみんなは興味無い」
「だからこの場所を秘密にする必要もないし、ひそひそ話す必要もない」
そんなことは幼稚園児ながら薄々気づいていた。
でも、客観的に査定された、その秘密基地の価値や内緒話の価値はどうでもよかった。
ただただ、誰も知らないその場所で、誰にも知らせないその話をするのが好きだった。
この世から一時的に存在を消せているみたいで心地よかった。
高2の終わり頃から現在に至るまで、暇さえあればラジオを聴いている。
あるときは、深夜の生放送をリアルタイムで。
あるときは、大学へ向かう移動時間に。
あるときは、ジョギングしながら。
あるときは、授業中にこっそりと。
先日、ある番組内でのパーソナリティの話に
「うわっ、この人も同じこと感じてるんだ」
「俺だけじゃなかったんだ」
とすごく救われたことがあった。
そして、私は初めてメールを送ってみることにした。
「○○さんのお話に救われた」
「勝手ながら寄り添ってもらえた気がして嬉しかった」
という主旨のメールを送った。
すると、私のメールを番組内で読んでもらえた。
ずっと私が後ろめたかった感情に、その人は共感してくれた。
私は、深夜に号泣した。
嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
世間にバレたら爪弾きにされるに決まってると、ひた隠しにしていた感情に、
あの人は
「その気持ちすごい分かりますよ」
と言ってくれた。
私の内緒話に加担してくれた。
ラジオっていいなと心の底から思った。
この経験がnoteを始めたきっかけの1つである。
私の内緒話の共有。
noteという秘密基地で、私の内緒話に耳を傾けてくれる人が少しでもいるのが、すごく嬉しい。
そして、私の内緒話に何かしらの感情を抱いてくれる人がいるなら、もっと嬉しい。
今も、拙い文章を打ち込みながら、底知れぬ高揚感に包まれている。
それでは、今日はこの辺で。
ありがとうございました。
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