見出し画像

「やめる」ことが苦手


私はこれまでの人生で
何かを途中でやめたことがない。

基本的に「卒業」とか「引退」みたいな
タイミングまではやめない。


大嫌いなサッカーは
高校で引退するまでの13年間。

好きでも嫌いでもなかった合気道は
小学校卒業までの6年間。

小中学部の塾は
小5から通い始めて、中学卒業までの5年間。

高校入学時に入った塾も
「自分に合わないな」と思いつつ3年間。

バイトも3つ経験しているが
現時点では、いずれもやめずに続けている。


これは、いいように言えば
継続力があると評価できるかもしれない。

しかし、私は、継続力があるのではない。

ただただ、やめる勇気がないだけなのだ。


では、なぜやめる勇気が出ないのか。

色々と思い返してみると
2つの理由が浮かんできた。

「やめる」と誰かに伝えたときの説得に勝てる気がしない

「やめる」ことでそれまで構築してきた人間関係が崩れる





まず、①について。

やっぱり、これが1番強力な理由だ。

私は
サッカーにしろ、合気道にしろ、塾にしろ
基本的には、常にやめたいと思っていた。

しかし、何かをやめる場合には
それを親に伝えたり
コーチに伝えたり
先生に伝えたりしないといけない。

そして、それを伝えると、多分、説得される

そもそも、「やめたい」という気持ちは
自身の実体験をもとに生まれてくるわけだから
私としては、揺るがない決定事項だ。

「他人の言葉」ごときが
その気持ちを覆せるはずがない。

しかし、相手は「やめさせない」
というベクトルで話を進めようとする。

よって、相手側からすれば
「やめさせない」ことが決定事項であり
「やめようとしてるヤツの言葉=他人の言葉」
ごときに負けるはずがない。

この「やめたいヤツ vs やめさせたくないヤツ」
戦局においては「やめさせたくないヤツ」が
圧倒的に有利だ。

なぜなら
「やめたいヤツ」
現状を変更しなければならないが
「やめさせたくないヤツ」
現状維持で事足りるからだ。

だから、この戦いを挑んだ時点で
「やめたいヤツ」の敗北が決まっているのだ。


「いやいや、説得に応戦しなくていいだろ」

「相手の言うこと無視してやめちゃえよ」

って思う人も多いでしょう。

でも私は、相手の言うことを無視したり
それに刃向かったりすることが出来ない。

所謂、「バイトを飛ぶ」みたいなことが
出来ないのだ。




それを説明するのが、②である。

私は、相手との人間関係が崩れるのが怖い。

「やめたらもう関わることないだろ?」

って思うかもしれないけど、だからこそ
その人の目に最後に映った自分の姿が
不貞腐れていたり、刃向かっていたりするのが嫌
なのだ。

私が、小3のとき、所属していたサッカーチームの中で1番仲の良かった子がやめた。

確か、上級生からの嫌がらせが
原因だったと思う。

その子がやめた日の次の練習で
コーチはこんな話をした。

「○○(やめた子)は、途中で逃げた」

「みんなは○○みたいにならないように」


私は、

「あっ、やめるとこうやって言われちゃうんだ」

「○○はもうコーチとは会えないんだから、
コーチにはずっとそういうヤツって思われちゃうんだなぁ、可哀想に、、、」

と思った。


この経験は、結構大きかったと思う。

やめることで関係が切れても
お互いのその後の人生は続いていく。

私の感覚では、「やめる」というのは
「直接的な人間関係」の切断にすぎない。

もう会わなくなっても
ふと思い出すお互いの姿があるのならば
それは人間関係が継続している

と、私は感じている。

どちらかが生き続ける限り
何かを介してお互いを思い出す可能性が
ゼロなることはない。

だから、私は、やめた後も続く
「間接的な人間関係」も崩したくない
と思ってしまうのだ。

面倒くさい性格。




今後も①②に呪縛され
何かをはじめたらやめられない人生を
送らないといけないのか、、、

何かを「はじめる」のが苦手なのも
「当分、やめられない」という意識が
こびりついているからなのかもしれない。

noteもいつまで続けることになるのやら。



それでは、今日はこの辺で。

ありがとうございました。

この記事が参加している募集

自己紹介

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?