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「平城京殺人事件」(長屋王の変異聞)を読む

深谷忠記さん著作のこのミステリーを読み、実際に起こった「長屋王の変」と比較したり、再学習をしました。

神亀6年(729年)に起きた「長屋王の変」を題材にした作品で、それに関わった人々を生き生きと物語として表しています。

主人公の1番目は、長屋王を虚偽の密告で蔑めたとされる「中臣宮処連東人」以下「東人」
彼は長屋王発願の「大般若経1部600巻」(長屋王父母の追善供養と聖武天皇ならびに代々の天皇のために発願)の書写をする経師を、神亀5年728年に平城宮で毎日通勤しながら行っていた無位の役人でした。

そして最後の、その「大般若経」の跋文(書物の本文の後に書く文章)の書き方や内容に違和感を持ち、自分の恋人を見初めて妾にした「藤原朝臣麻呂」(藤原不比等の4男)に話してしまいました。(お金が貰えるなど欲が出て)
しばらくして「車持古麻呂」という人物が東人に「漆部造君足」と「佐伯宿禰金人」を引き合わせました。
彼らと共に公に密告した事により、手をだせなかった長屋王を、軍隊を使って制圧したのです。後に長屋王他自害。
この変(長屋王と藤原4兄弟との確執)の結果、皇室の権威を弱め藤原氏の権勢を強めました。
事件当時の年齢「藤原武智麻呂49歳「房前48歳」「宇合35歳」「麻呂34歳」

なお余談として、当時の身分による家屋敷の広さは、東人などの下級官人は265坪でその内の母屋は12坪でした。対して中級官人は530坪、貴人は4242坪と格差が甚だしいです。
だから東人も出世欲ギラギラだったのでしょう。
密告の代償として金銭の他に、変後は無位から右兵庫頭外従五位下(封30戸、田10町)に破格の出世をするのです。
この事は、後の運命に大きく関わって来ました。

今回はここ迄に致します。

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