2/6 市川真人「拝復 笙野頼子様」(一方、「教えるべきことは教える」という)

目次

0 はじめに
1 拝復 笙野頼子様 このたびは
2 一方、「教えるべきことは教える」という
3 学科も、執行部も
4 整理すると、以下のようになります
5 ここまでが、「妨害」があったかどうかについての
6 ずいぶん長くなってしまいました

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 一方、「教えるべきことはちゃんと教える」という「授業の本来」の方針とは別に、雑誌としての「蒼生」の「本来」として〝学生それぞれのやりたい企画〟を実現するため、授業で教える「特集」や「作品掲載」とは別の解放区的なパートを持つ雑誌設計をしました。それが、彼らがこの「文学とハラスメント」という企画を掲載した「自主企画」枠です。
 原稿でも言及されていた11月17日の授業で、ぼくは全体を仮に128ページ(16ページ×8台)とし、それぞれが1/3になるように「授業としての特集」「卒論を含む作品」「自主企画」を割り振った例で、全体の構成イメージを説明しています。
 このとき、A氏を含む、のちに「文学とハラスメント」班を結成する3名の学生たちから、「自主企画のページ数はどうなるのか」などの質問を受けました。ぼくは、「128ページというのはあくまで仮であり、個別のページ数は、冒頭の特集の構成や作品の長さ、自主企画内の企画数によっても変わる」という主旨の回答をしています
 原稿や企画は、それぞれ長くなる場合も短くなる場合もあります。全体のページ数にしても、予算に対するカラー印刷の量など、様々な要因で変化します。だから、「それぞれの企画に何ページ使えるか」など、実際に作り始めてみないとなんとも言えません(例に挙げた128という数字は、前年2017年度の「蒼生」のページ数です。フルカラーのためそのページ数になり、予算もオーバーしたと聞いていました。反面、総モノクロであればもっとページは使えます。2016年度は152ページ、2015年度は162ページでした。それ以前は140、112、144、160と毎年ページ数は違っています)。
 むろん、最近流行りのネット系の安い印刷所を使えば、同じ予算でも、ページ数はかなり増やせる目算もありました。だからあくまで「例」だった。彼らの心配を知っていれば、128ページではなく256ページ、あるいは384ページを例に挙げてもよかったのです。
 
 事実、A氏たちが11月17日の授業後に「主任の先生に相談」に行ったあと、ぼくとK先生はH主任から「ページ数は増やせますか」と聞かれ、「もちろんです」と即答しています。K先生はそれに先立って、学科の実習予算を管轄する助手氏にも訊ね、「2017年度は予算の都合上、例年より大幅に金額が上がっている」こと、「2016年度(注・本文モノクロ162p)が、金額としては例年なみである」こと、「30万円を基準として、若干の増減は許容範囲であること」などの回答をもらっていたので、それをそのままH主任に伝えています。
 Aさんたちの相談について、報告と議論が行われた翌週の文芸・ジャーナリズム論系(以降「学科」)の会議でも、H主任は「ページは増やせるそうです」とご自身の口で報告していました。伝聞表現に明らかなように、それはK先生の回答が由来です。K先生の頭の中にも、ページ数の無根拠な上限などありませんでした
 ですから、「模擬が四十ページ、告発に使える枚数はせいぜい十ページです」という発言には、どこに根拠かあるのかわからない。事実、「文学とハラスメント」特集のページ数が最終的に何ページになるのか、制作過程でもぼくもK先生もデザイン担当のO先生も知らないままです(自主企画の担当は後述の理由でH主任に委ねられ、さらにその後、不可解なことにぼくたちは校了直前になって作業から外されました)。

 ぼくたちは、全体のバランスを眺めつつ、どの企画がどれだけ伸び縮みしても基本的には大丈夫な態勢を作ることを心がけてきました。
 ですから、他のどの特集、作品でも(百枚近い卒論の応募があった場合のみ、全部を載せるかどうかを作品班で検討し、部分になる場合があると募集要項に加筆してもらったことを除けば)、ページ数の仮置きやそのときどきの目算、「写真を並べるなら見開きかな」とか「インタヴューで読み飽きないのは何ページくらいか」といった検討はあっても、制限はありませんでした。そのことは、他のすべての企画の学生たちも知っていることと思います。以上が③の誤解に対する回答です。

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 分量や作業の枠組みについて、授業を担当した教員と学生のあいだのことは以上です。

 こうした授業の進行と並行して、授業初回に学生から集めたアンケートに記されたハラスメント問題関連の企画3案(そのときは、彼ら3人がバラバラに案を出していました)について、「現在の状況でそうした企画を実現させられるか」「実現できるとして、どのような点で注意が必要か」などが、一度目は科目WGのあとに少人数で、二度目は学科全体の会議で検討されました
 いろいろな懸念も、実現させてあげたい思いも、さまざまな意見が出ました。
 学科だけでなく学部の執行部にも確認した結果、「くれぐれも隠蔽したなどの誤解が生じぬよう、なおかつほかのトラブルが生じないよう、十分な指導のもとに実施させてほしい」などの指示がH主任を通して伝えられました。
 執行部からの指示には若干の具体的条件もついてはいましたが、学科としてもそれを受け入れ、他の企画同様この企画も、トラブルなく成立すれば学生たちによる優れた作品となるだろうといった判断と合意を、ぼくも含めて持ちました。

 そのうえで。なんであれ、抽象的な指示や合意を具体化する過程では、抽象的な段階では必ずしも可視化されなかった、具体的な懸念が出てきます。

 前年に生じた渡部氏のハラスメント問題は、大学の調査が行われる間にも、様々な憶測や誤解を含んだ情報が拡散しました。何が事実で、何が事実でないか、傍目にはわからない状況が続いていました
 大学は、7月と9月に簡単な結論を発表したのみで、詳細な調査報告書を一般公開していません。専任教員には調査報告書の閲覧機会がありましたが、学生たちも非常勤の教員も、事件の細部についてはほとんど知らない。副次ハラスメントや裁判可能性を考えれば、プロのジャーナリストでも難しい案件です。プロの編集者として今回のハラスメント事案についてどのように企画が可能かをずっと考えていたぶん、K先生は誰よりその困難を知っていたと思います。

 制作未経験で調査の詳細も知らない学生と、プロとはいえやはり詳細を知らない非常勤教員とでその企画を進めることは、暗闇で車を運転するようなものです。被害を訴える女性、その周囲の人々、加害と指摘された関係者、在学・卒業したあらゆる学生たちなど、さまざまな場所で、想定外のトラブルを生じさせる可能性がある。
 ぼくもそのことを学科の会議で注意喚起し、「蒼生」のなかでも「自主企画」の部分は、調査報告書を読んで最小限の事実関係を把握できている専任教員が担当するべきと主張しました。企画学生たちも、それ以外のひとたちも、「そんなつもりではなかった」危険に遭う可能性を、少しでも低くするためです。

 ただでさえ混乱し、被害者も渡部ゼミの学生もそれ以外の学生たちも、教員たちも職員たちも、みなそれぞれに心に傷を負っているように、ぼくには見えました。その傷や疑問が十分に解決したわけでもありません。
 とりわけ渡部ゼミ所属の学生たちには、自分たちが教わった相手や学んだことをめぐる混乱を乗り越えるため、少しでも多くの正確な情報を与えてほしい--事件直後から、ぼくはそう考えていました。けれども大学は、適切な時期に十分な情報を与えることはできなかったように思いますし、ぼく自身も、不当な風説の流布を理由に渡部氏の授業の代講や説明会への参加をさせてもらえなかった。A氏たちの不信を知ったいま、当時の学科の指示に愚直に従ったことを、悔いています。無理にでも、教師として、先輩として、話しに行けばよかった(もちろん、その当時話せたことはとても少なかっただろうけれど)……。
 
 ともあれ、そうしたさまざまなひとの傷や疑問に、さらに不要な混乱を追加することは、避けるべきことでした。その結果、「蒼生」のなかでも「自主企画」部分は、授業とは別枠として、学科の専任教員が責任を持つことで進めることになりました。ただしここでも、笙野さんも書かれたように「渡部氏の件に「悪く関与」したという」風説で学生が不安がるといけないからと、科目コーディネイターのぼくではなくH主任が、授業の外側ですべての「自主企画」を担当しながら、主任の負荷が増えすぎぬよう、学科の専任教員を中心にみなでバックアップする方針になりました
 彼ら3名に限らず、「自主企画」を希望する全学生のコンペを授業内でどう行い、どのように採用企画を決定するかも(最大で10グループ程度となる可能性もふくめ)、学科でよくよく検討がなされました。
 
 執行部に問い合わせてから、学科が上記のような最終的な方針を決定すくまでには、ほぼひとつきが経過しています。このかん、10月12日の研究室での、ぼくも同席した打ち合わせで、K先生はH主任から「渡部ゼミの学生たちが、10月29日予定の学術院長による説明にどう反応したかを見て、対応方法を判断したい」という理由で「11月3,4日の早稲田祭が終わるまで時間を稼げますか」とはっきり聞かれています。K先生はしばらく悩んだあと、模擬特集のようなかたちで「予定していた進行の一部を拡大したり、順序を入れ替えればなんとか可能」と答え、H主任からそうするように依頼されました(打ち合わせ後、ぼくとK先生は、カリキュラム後半の実作業回が足りなくなる懸念を話し合いましたが、そのぶん作業段階で遅れを取り戻せるような指導を進めて、主任の指示を待つ結論になりました)。笙野さんが「だらだらだらだらのらりくらりずーっとずーっと「させない」という形の邪魔」と書いていらしたことには、そういう経緯があります。

つづく