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雑記 「友人」と呼べるひとが少なくても大丈夫だろうし「友人」がいることは有難いし


「受容してもらえる」という安心感があるまでは、恐る恐る表現してしまいます。

自分でも「不思議な感じ」を周りに与えることを嫌でも自覚してきましたが、恐る恐る表現することで余計にまわりに「不思議ちゃん」と思わせることを加速させているんだろうなと思います。

ただ、受容してもらえるとわかっている【話が早い】友人も少ないですがいまして、彼女は独特の感性によって多くのことを読み取る力があるので、それでかえって孤独を持ちやすいようなのですが、とても有難い存在です。




彼女は孤独と繋がるときは自分軸がぶれているときに思います。
自己否定が強く孤独を感じている。

でも、彼女が自分軸をもつとおそらくそんなに環境はかわらなくても(別に多くの友人がいたり、多くの発信をしていなくても)孤独感が無くなっているように思えて。


孤独な人が誰かを救えないわけじゃなくて
高い視座から魅力を見つけて、それを落とし込む説得力をもつので、本当にいい友人をもったなと思います。


友人とはいえ、もちろん完璧ではないので、私も戸惑うこともあるけれども、それは自分への攻撃を感じるからではないので気になりません。
彼女の特性について私が、私なりに、私と彼女の心理的安全を丁寧に扱おうと努力しています。
それが、友人関係の尊敬の部分だし愛の部分だと思っています。


本当に大切な友人というのは
「いつもべたべたと繋がっていなくてもいい」という安心感をもたらしてくれるので、これ以上幸せなことはありませんね。


彼女はカウンセラーですが、正直ビジネスがうまくて売れっ子というタイプではないかもしれません。それでも、私なら彼女のカウンセリングをおすすめします。良いカウンセラーが良いビジネスマンとも限らないのだろうと思います。(残念ながら)
ただ私の心理学師匠が、だからこそ、「10年続けられるカウンセラーになる」をテーマにお弟子講座を設けられたんだと思います。師匠もおっしゃっていました。良いカウンセラーなのに辞めていく仲間をみていて、残念だったと。
心理の世界はとくに形がなく、クライアント目線でみても「良いカウンセラー」と出会えることは人生の財産になるんだと思います。

MINO∞



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