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富士山が見えた!~1年の締めくくり:8回目の「1日1食断食道場@龍雲寺」(その2)


1.自然を感じながら過ごす・・・富士山が見えた!紅葉も素晴らしい!

龍雲寺の宿泊施設(禅堂)の屋上から、かなり遠くにではありますが、富士山が見えました。(ちょっと画像が粗くなっていますが、見えますか?)
こうしてみると東京がいかに富士山に近く、浜松はかなり愛知県寄りにあるのだなと分かります。

佐鳴湖畔の紅葉は本当に美しく、とても気持ちのいいウォーキングができます。
僕はバードウォッチングの趣味はありませんが、野鳥もたくさんいるようで、大きな・専門的なカメラを抱えた人たちを何人も見かけます。
僕はスマホで撮るだけですが、それでもなんとなく心が穏やかになります。

佐鳴湖畔の紅葉です。この下を歩いているだけで気持ちがよくなります。
鳥の名前はわかりませんが、なんかいい感じです。

年々の気候変化で四季を感じる機会が徐々に減っている気がします。明らかに時期外れてきていると思います。(12月の半ばに紅葉が綺麗だというのは、子供の頃の感覚とは違う気がしますがいかがでしょうか?)
それでも、まだ四季を感じられるだけでも幸せです。私が龍雲寺に頻繁に通ているのも、ゆったりと四季を感じる時間を持ちたいという意味合いもあります。

2.初体験の写仏・・・写経より難しい

これまで写経は何度もやったことはありましたが、写仏は初めてでした。
私にとっては写仏の方が写経より断然難しく感じました。
写経は漢字を書いていくわけですから、書き順は決まっていますし、文字も上から順に書いていけばいいわけです。集中すべきは目の前にある一文字ということになります。
ところが、写仏の場合は阿弥陀様の絵をなぞるので、どこからどのように書いていっても構わないわけです。そこに迷いが生じます。さらには、絵ですから、この線が何を表しているのかを考えながらなぞっていくような感覚になり、なかなか集中できないのです。さらには服の皴にしろ、蓮の花びらにしろ、どちら向きにその線が伸びているのかを考える必要がありますから、ますます複雑です。
30分ほどかけて完成した写仏がこれです。

初めての写仏

写真ではわかりにくいかもしれませんが、胸や足のあたりの服の皴は適当にごまかしています。線を上から書いたり、下からなぞったり・・・・   それにしても、名前が右に歪んでますね。(苦笑)
住職曰く「写仏や写経をしたからと言って功徳があるわけではありません。静かな時間を過ごすことに感謝し、今目の前の一本の線に集中することが、今を生きるということです。上手いとか下手とかを考えるのではなく、今に集中、それが肝要なのです。
貴重な体験でした。

3.今日の法話「ニンニクのお話」でした

ニンニクと言っても食べるニンニクではありません(笑)
仏教用語の「忍辱」です。
漢字だけから想像すると「耐え忍ぶことの大切さ」ということのように思いますが、決して「何でもかんでも我慢しなさい、じっとこらえなさい」というような無理強いなお話ではありません。
どちらかと言えば、「忍辱」は幸せになるための方法なのです。
たとえば、自分とあまり相性の合わない人がいたとします。
そういう人に対して私たちは、欠点や嫌なところばかりが目につきます。
その人のことを嫌って、関係性を持たないというのも一つの生き方です。

しかし、好きじゃない・嫌いだと思っているその人にも必ずいいところがあるはずだ、それをまだ自分が見つけられていないだけ、受け入れていないだけだと自分ごとにして捉え直すことで「寛容性」が生まれてきます。
「寛容性」に満ちた心は穏やかであり平和ですし、自身に対しても謙虚でいられるようになります。他人を許すことができる生き方は、幸せの第一歩と言えます。
私たちは、耐える・忍ぶ=辛いこと・苦しいこと・不幸なことと思いがちです。
もしかすると私たちは、耐え忍ぶ、堪えると言った言葉の教え方をどこかで少し間違えてしまっているのかもしれませんね。
こちらにも、わかりやすい解説が出ていますので参考にしてください。
ちょっと難しめの説明はこちら

それにしても、お腹が空いた・・・・・
これはまさに我慢・耐えるしかない・・・・(苦笑)




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