今欲しい本を探してみたらこうなった。

私は香りに包まれて暮らしたいのだなぁというような思いにふと目覚める時がある。特に最近はその傾向が強い。

先日フランス製の紙香水を注文したはずだったのだけど、なぜだか失敗していたようで、1週間も待ったのに届かない。注文できていなかったのだから当たりまえか。

私にとっては紙や本も香りの仲間である。

本屋にいると酷く落ち着いて(本当に落ち着きすぎて)、そのためすぐにトイレを探さなくてはならなくなる。地元の図書館のトイレなんてもう自分ちのよりも居心地が良かった。(その後はお腹がすーっきりして本の香りをより楽しめる)

私の生活に香りと紙はなくてはならないものなのだ。(トイレットペーパーの話をしているわけではないよ)


現時点で到着を待っている本が数冊ある。
今回はエッセイや詩集を買った。
日本から海外へのお買い物代行サービスを使ってみたけど、アマゾンで配送してもらったほうが早く届いたのかもしれない。金額的にはどうだろう?まだよくわからないでいるのだけど。


その子達の到着を待っている間、手持ち無沙汰をし始めている私は、次に買いたい本探しを始めてしまった。それだけ到着に時間がかかっているということでもあるのだよ。アマゾンなら1週間きっかりでサクッと届いたのだろうに。。。


いつも小説やエッセイ集ばかりを買ってきたのだけど、今回は妙なものに気持ちが向いてしまった。

国語辞典である。



私はつい先日「物書きになりたい」という自分の正直な気持ちを受け入れることにした。その成果がこの買いたい本リストに現れているのだよね。決めると物事が動き出すとはよく言ったもので、本当に人間の脳ってのは単純なシステムで出来ているらしいことがわかってきて、自分がますます愛おしい。

今まで書くことを日常的にやってきて何年も経っているのに、日本語の使い方や語彙に関しての研究を怠ってきていることを反省している。

コミュニケーションが好き、それが言葉が好きに繋がり、そして言葉を超えた領域での交流に興味を持つようになった。

言葉を超えた領域での交流を追求することに意識が向いた時、言葉を知ることにベクトルが戻るのは必然なのかもしれない。

物書きになりたいくせに、今自分が書いていることの意味が解っていないのだけど、自分の頭を整理することが物を書くことと同意の私にとっては、今書いていることがわからないことは当然のような気もする。


そろそろ無理矢理にでも今日の終止符を打たねばならないのだけど、どうしたものか。


それではいきなりですが、私の部屋に国語辞典が3冊並んでいたとしよう。

まず始めに手に取るのは「てにをは辞典」だろう。これは間違いない。なぜなら表紙の色とイラストが好みだからである。そして次に「オノマトペ辞典」をパラパラして、すぐに飽きて「語感の辞典」に目移りするだろう。

まずは形から、感覚的に入るのが私。

それでも最終的には「語感の辞典」を一番じっくりと読みそうなのである。なぜなら、この辞典が一番読み物として成り立っていそうだから読む楽しみがありそうだという感じがするから。

まぁ想像しているだけだからわからないけど。この私がオノマトペに開眼する可能性だって今はまだ十分にあるわけだしさ。


そんなわけで、色々妄想を膨らませながら数週間前に注文したエッセイ集が届くのを待っているのです。という、香りとは全く関係のない話になりました。


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