人間として生きている証

今週ずっと、本業の就業時間中の過ごし方ばかり考えて、本気で頭がおかしくなるわって毎日思う。昨日は、いつもの友達にヘルプ電話したくらいだ。最近の私は、『暇=電話』ではなくなった。なんとなくだけど、自分の中で考えを整理したいと思ったり、考えることの根本が自分で決めたことだったりするからだ。わざわざ友達に話す程のことなのか?と自問したりする時もする。でも逆に、そんな感覚が故に電話で彼女の声を聞くと、途端に泣いてしまうのが現実だ。自分1人で考え続けた結果行き詰まった時が、私の中の最大のピンチ状態になった。だから、自分の中の緊張の糸みたいなのが一瞬でプツッと切れて、彼女の安心感に包まれる。冗談混じりによく言っていた「私の第2の彼氏」という表現は、まさにその通りなのだ。彼女の存在の大きさは、いつもいつも増すばかりで本当に救われている。
今回の私のピンチについて、彼女の考えを聞いた。『仕事は仕事、プライベートはプライベート』と分けて考えた時、今の環境を十分に肯定できるんじゃないの?って感じだった。私が私の意志を持って決めた今の会社。私自身も、全部を否定している訳では無いのは、ブログにも沢山書いてきた通り。仕事なんだから、広い視野で見た時でさえ、どこまで行っても仕事は仕事。自分の求めることばかり!なんてことはやっぱりなくて、希望が叶ってると思える面がちゃんとあるなら、他の部分は逆に割り切らないとやってられないでしょ?ってことを話していた。その話に対して、「私は欲張りだから〜」なんて返事をしたんだど、彼女の言ってることもちゃんと分かってるつもり。そして、私の中で新たな気づきに繋がった。
当たり前っちゃ当たり前な話。『生きていれば生きている分だけ様々感情を抱く』ということ。今回のきっかけは、間違いなく仕事。私の場合、どんな仕事環境であれ、満足出来ない部分が必ず出てくるみたいだ。忙しかった時はその時ならではの感情が芽生え、今回の様に暇であれば、時間があるからこその感情がまた芽生える。満足出来ない部分の改善を求めて、ひたすら前に進む方法を見つけるために自分の頭を悩ませる。そして、結局友達を巻き込んでいるのが現状だ。今回に限った話では全くない。過去を思い返しても思い当たる節は多々あるし、未来に目を向けた時は、それはそれで自分のことが恐ろしくもなった。なぜなら、子供を産み・育てる立場になった時のことを想像したからだ。その選択に対して、もしも自分が迷うことがあったとしたら?なんてことを考え始めた時、それ以上の想像を瞬時にやめた。今回の様に、自分の望んだ選択に対して色んな面を必ず持ち合わせるということ。どんなことでも乗り越えてみせるんだ!とか、選択した自分に対しての責任とか、何かもっと強い気持ちを大事にしたいと思った。
これもまた彼女に言われたことの1つで、私は、ここ数年間、目まぐるしいくらいに色んなことが変化してきた。そんな中で唯一変わらないことが、『彼氏を大事に思う気持ち』らしい。いつどんな時でも、彼への気持ちがブレることはなかった。自分でも無意識だったけど、言われたら納得した。だから、それくらいとか、もしかしたらそれ以上の強い気持ちが芽生えた時、私はまた1つ、大切にしたいと思う気持ちに気づくのかな?とか思ったりする。
人間として生きているからこそ、どんな感情でも抱くもの。それを改めて考えるきっかけになった。逆に言えば、どんな感情でも抱くことが出来る人間。いちいち悩んでいては本当に切りがない。頭で分かっていても気持ちがついて行かない現状も多々ある。でもそれに負けないくらいの強い気持ちを、大事にして生きたいなと思ったよ。

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