ネガティブ脱出後の私

前回の投稿では、自己否定に満ちたネガティブ思考回路について沢山書いた。そんなネガティブ思考を抜けるきっかけをくれたのは、3児のママ且つ、ちょっと前まで専業主婦だった私の大事な友達だ。正直、金銭感覚について考え出した時に思うことの1つとして、今の私と少しでも似ている状態の経験者と言える人に話を聞きたかった。彼女と私では、これまた正直なところ、似ているとは言い難いくらい、生活環境は全く違う。先に述べたように、彼女は3児のママで、数年は働きに出ていなかった。旦那さんの収入の中で3児を育てながら生活しているのだから、自分の理由で転職して収入激減をした私とは、似ているなんてのは失礼かもしれない。ただ、私の中では、旦那さんを頼って生きるだけでなく、彼女は彼女の中で納得して生活しているのだと思うと、その価値観を参考にしたかったのだ。特に具体的に話す時間は取れなかったものの、短いLINEのやり取りの中で今の私に響いたことは確かにあった。そこから私は我に返り、いつもの如く、無駄に考え過ぎていることを自覚した。そしてその後、考え方を改めたことで新たな自分の価値観に辿り着いたのである。

私はきっと、自分の収入が生活に貢献出来ない未来を、必要以上に恐れているのだと自覚した。結婚したら夫婦になる訳だし、子育てがスタートすれば、更なる協力が絶対条件であることについて、私自身も頭では分かっている。でも、気持ちの整理がどうしても出来ていないのだ。相手と同じように自分も金銭的に貢献したい!という気持ちが強過ぎる。その原因は、少なからず育った環境にあると思っている。別に、自分の過去を否定する訳では無い。私の母は、私が物心ついた頃は、ずっと専業主婦だった。そして父は、自分の収入で家族を養いたい気持ちの強い人だった。故に、節約意識がめちゃくちゃ高く、 4人の子供を育てるためとはいえ、私の中では、それを強要されていた記憶として残っている。そして、当時の私の思考は『生活に貢献できるだけのお金があれば、無理な節約をする必要もなく、父親(要は生活費の出資者)ときっと対等に生きられるはず!』となったのだ。だから私は、それからずっと20数年間、どんな相手でも対等に生きたい気持ちから、『生活に貢献出来る稼ぎを得ること』を心に決めて生きてきた。成長と共に、友達との話題の中では、「女だし、自分のお小遣い稼ぎが出来る程度に働ければそれでいいよね!」みたいなことも聞いたけど、私には到底理解出来なった。私の中ではとりあえず『男女問わず、生活を成り立たせるために必要な稼ぎがある事』が、対等に生活するための最低条件であるという認識だということ。正直、今このブログに書いて整理したことで、初めて明確な答えに辿り着いた気がしている。でも、決してそうでないことも頭では分かっている。
前の会社で出会った人から何気ない会話の中で聞いた、私にとって初めての印象を受けたことがある。その人は、今年60歳を迎えて定年した男性だ。「俺が仕事を頑張っていられるのは、嫁の存在のお陰だ。嫁や子供達が居なければ、ここまで
仕事続けられていなかったと思う。」的なニュアンスの発言だった。この話を聞くまでの私は、外で働きに出ている男性陣に対して、嫁や子供のお陰だと純粋に思っている人を知らずに過ごしていた。特に気にしたこともなかったし、世の中の男性のイメージとして『嫁や子供を養うため』に働いているのだと思っていた。だから、『嫁や子供のお陰で自分は働き続けていられるのだ』という考え方にめちゃくちゃ衝撃を受けたのだ。そして、私もいつか、彼にとってそんな存在になりたい!と思ったし、『稼ぐことだけが対等な関係として成り立つ理由ではない』ことを教えてもらった気がしたのである。
私は、そんな価値観を知ったにも関わらず、未だにまだ『自分の稼ぎ』に執着しているのだと改めて思った。だから、そこから抜け出す為に自分の思考を変えたいと思い、元気な人達(前回の投稿で明記済)を想像した。と同時に自分の中で、『未来に向けた貯金』と『今現在を幸せに過ごす為のお金』という考え方を天秤にかけた。すると、現実を大切にしていない自分を自覚した。私もなりたい!と思う元気な人達の生き方に対して、今の私は、未来の事ばかり焦点を当てていることを再認識した。更に、今現在の彼や友達と貴重な時間を大切に思う気持ちすらも見失っていた。また、数ヶ月前、私の病気により今後について悩んでいた時、『未確定な未来の子供よりも、今の私が元気であることの方がずっと大切である』ということを、彼の反応から学んだこはずだった。なのに私は、『今現在を幸せに生きること』に対する意識がまだまだ低いんだなってつくづく思った。 何故か未来のことを重視して考えてしまい、今の自分の幸せを必要以上に抑制してしまう考え方。この思考回路から抜け出す為、以前の私のようにネット検索を始めた。
気になった記事を読み漁り、何となく理解出来る価値観を見つけて納得した。記事の中に『楽しむことそのものを人生の目標にしようと決めてからは、楽しいか、楽しくないか」ということが、自分の中の大きな判断基準になった』とあった。そして、『何か決断する場面がやってきた時に、自分が楽しい方を選ぶ。少しするとまた決断する場面がやってきて、また楽しい方を選ぶ。それらの積み重ねによって必然的に人生は楽しくなる』といったニュアンスだった。他にも沢山活字にあったが、私の中で、『自分の本来の気持ち以前に、「正しいか、正しくないか」が判断基準であると、苦しみばかりでなかなか幸せにはなれない。お金を使うことで幸せを得られるはずなのに、貯金ばかりしていては今現在の幸せを得られない。貯金した分だけ、今現在の幸せを逃している状態である』という風に解釈した。つまり、私の場合、貯金をすることが正しいのだと思い続けたが故に、目の前の新しい幸せを逃していたことも多々あるのかな?なんて思ったりした。それでも、これまで十分に幸せを感じて生きてきた自覚はあるので、胸を張れる。しかし、これからはそうではなく、今現在に焦点を当てて幸せに生きたいと改めて思った。今現在の自分の幸せを、今の自分が使えるお金の最大限を使って楽しむこと。その物をただ得るだけではなく、『そこに付随する自分の幸せに繋がること』が本来の目的であることを教えてもらった気がする。そうすることが、自分の幸福度を更に高め、幸せな感情や記憶・経験として大切に自分の中に刻まれるはず。

今回、いつも以上に長々と、自分の思考の方向転換をブログに残した。正直、言いたいことの確信的なことが分かりにくいかもしれない。ただ、これだけ沢山のことを文字として表現したことで、私の中の整理が初めて出来た。今後、同じようなことを再び考え始めた時の参考材料にしたいと本気で思う。間違いなく未来の自分を励ます材料になると確信しているので、私の中では大変満足である😊

長文お付き合いありがとうございました🩵



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