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メンタル疾患という存在の耐えられない軽さ

ごめんねジーンセバーグ、こんな記事であなたの御顔をヘッダーにして。
でも貴女なら分かってくれる気がして。

隠すつもりは無かったけどわたしはうつ病らしい。

人前に出れば楽しく話せるし、気分の良い日は美術館や映画館に出かけることもできる。
「元気だね」「デキるよね」「バリバリ働いてそうだよね」少し遠くにいる遠めの友人からはそのように言われることも多い。

たしかにそれはわたしの片側面だけど、
誰にも見せられない酷く暗い底に落ちることがあるのがもう片方の側面だ。

こんな話したくてしてる訳じゃない。
でもなんか「自分を大切に」「今ある幸せを噛み締めよう」みたいなSNSにツバを吐きたくなるような気分の時、黒い感情を世に出すことはそんなに悪いことなのかと問いたくなるんだ。
だから書いている。
沼の中で。


だいたいうつ病なんて、今や精神科に行ってちょっとした不調を話し、診断書が欲しいと言えば簡単に診断されることができる。

以前ほどメンタルヘルスという存在が腫れ物扱いされなくなり、「セルフラブ」「セルフケア」の波がZ世代を中心に湧いている。

その、以前より気軽に叫ばれるようになったメンタルヘルスが云々とかセルフラブだかケアだか、
そういうことにすら耳を塞いでシャットダウンしていたくなる。それがこいつ(病)の実態だ。

わたしは仕事が好きだ。
仕事で輝く自分、スキルアップして成長する感覚、新しい世界を見る気分、全てが好きだ。
体調を崩してまでも無我夢中で取り組める。
限界を超えてこうなっているけど。

だから早く沼から抜け出して仕事をしたい。

そんなとき、やはりこの「沼」は完全に無くなることはなく、一生付き合っていくヤツになるのだと、薄々と、しかしかなり確信的に思う。

沼から抜け出すのではなく、沼とともに自分のできる範囲内で仕事をする。

たくさん働きたい。
もっと高みを目指したい。
そんなわたしが「自分のできる範囲内で」とか、柔らかな言葉に満足できる訳がない。
でも、実際にそうなのだから仕方がない。

クソが。

アメリカではメンタルヘルスのことを「black dog」と形容し、共に生きていくことの必要性を説くYouTubeが137万回再生されている。

そうだろうよ。
でも当事者が見ても何も思わない。思えない。
少し、その話題性にざわつくだけだ。


「あなたにとって、人生はとてつもなく軽いのね。私、その軽さが耐えられないの」

「さよなら。わたしは弱い者の国に帰るわ」

『存在の耐えられない軽さ』より


愛読書のひとつ『存在の耐えられない軽さ』で、ヒロインのテレザは男にこう告げる。

君はテレザに似ているね、と昔付き合っていた男から言われたことがある。
そうだろうと思う。

自分と似た性質をもつヒロインの小説は、時として救いになり、現実から想像の世界へいざなってくれる。

でもそれは現実じゃない。
現実を生きるわたしに必要なのは、何?


あなたも答えを死に求めたのね



Emoru

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