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コロナモラトリアムの終焉

首都圏の一都三県と北海道をのぞいて、ついに緊急事態宣言が解除された。25日には安倍首相が全国解除の可能性についても判断する予定だ。

およそ二ヶ月間つづいた自粛生活もいよいよおしまいか。みんなは解除を嬉しいと思っているのかな。それとも、まだ早いと思っているのかな。いざ、解除の流れが強まると、モラトリアムの終焉を感じずにはいられない。これは前にも経験したことがある。そう、幼い頃の長い夏休みが終わってしまう感覚だ。いや、大学という人生の長い夏休みが終わってしまう感覚かもしれない。

きっと自宅でリモートワークをしていた人のほとんどが、あの頃の宿題をこなすように仕事していたのではないだろうか。もちろん、宿題の内容が好きで苦に思わない人もいる。でもそれはごく少数だ。大半が仕方なく、夏休みの前半に余裕をもって済ませるか、終わり際に慌てて終わらせるかのどちらかをとることになる。このなかでどれが望ましいかは言わずともわかるだろう。いずれにしても、宿題はやらなければならないものなのだ。

夏休みが明けると、私たちは毎日学校に通って勉強しなければならない。けれど、そこには友だちもいて、楽しい時間とそうでない時間はだいたい半々くらいになる。このバランスが何より重要で、学校での勉強への向き合い方や人付き合いの仕方で大きく変わるのだが、どちらもうまくいっている人は毎日が楽しいだろうし、そうでない人は毎日がつまらなく感じてしまうだろう。

みんなは自粛期間中の”宿題”にどう取り組めただろうか。家にいながらも毎日の”宿題”を好きでやることができただろうか。それとも、なかなかはかどらなかっただろうか。そして、再び”学校”に行くことになったときには、心がウキウキするだろうか。それとも、気がのらないだろうか。そのことを自問自答するだけでも、リトマス紙のように今の自分が仕事や会社をどう捉えているかを確かめることができる。

ちなみに私は先ほどのバランスで言えばやや楽しい時間の方が多い。ただ、仕事も職場も嫌なわけではないが、新しくそれがリモートのままで許されるなら、わざわざ毎日出勤することも、東京に住むことも必要ないなと、この”夏休み”に思った。

そうだった。私のなかの夏休みの思い出はアナログ時代のことだった。あの頃もしリモート授業があったなら、私は夏休みが明けたあとも学校に行かなかっただろうか。おそらく毎日行っただろう。それだけ友だちや先生と直接会う時間は楽しさが優っていた。

今はどうだろう。一概に比べることはできないが、その時ほどではないのかもしれない。もちろん、直接誰かと会って一緒に仕事することだけが「楽しい」ではないし、デジタル化にともなって価値観も様々変わってきている。だがしかし、社会人でリモートの手段があっても毎日職場の人に会って仕事がしたいと想えている人は幸せ者だ。

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