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2020年代、10代になるビットコイン

2010年5月22日が何の日か知っているだろうか。ビットコインピザの日。初めてビットコインが現実に使われた日だ。あれから10年という長い年月が経とうとしている。当時1BTC=1円にも満たなかったビットコインは、しばらく日の目を浴びることはなかったが、突如として現れた一大スターであるかのように、少しのきっかけで瞬く間に世間の注目を集めた。そして、今では1BTC=100万円近くにまでその価値は膨れ上がっている。果たしてどれほどの人がビットコインへの熱狂を2010年代に起きる出来事として予測できていただろう。

私たちはよく「10代、20代の頃は~」と年齢で過去を振り返る。仮にビットコインの立場に立った時に、0歳から10歳までの10年間はどのような人生だったのだろうか。「サトシナカモト」という生みの親の名前はわかっても、その正体と消息は一切つかめない。生まれたばかりの頃には、捨て子と同じくらいの寂しさを味わったに違いない。社会との接点もなく、誰にも相手にされないまま、ただ時間だけが過ぎていく。自分は何の為に存在しているのだろう、どこから来たのだろう。そんな負の感情が頭の中を渦巻いていたかもしれない。

しかし、どんなに劣悪な環境で生まれ育ったとしても、才能さえ誰かに発見されれば、その後の人生は大きく変わる。ビットコインほどのポテンシャルを世界が見逃すわけがない、と言ったほうが良いだろうか。感度の高い一部の人に見つかると、彼は次第にその認知を広げていき、ついには世界中にその名を轟かせた。時に悪く言われることもあるが、そんなことは気にならない。なぜなら、アンチを除いても、これだけの多くの人が自分に価値を見出してくれているからだ。

そして、残り数日で私たちは2020年代に突入する。この先10代としてのビットコインは一体どんな人生を歩んでいくのだろう。10歳でこの人気ぶりだ。20歳になる頃には、世界中の人に知られているだけでなく、世界中の人に頼られる存在になっているかもしれない。そうなった時に一体いくらの値段が彼に付くのかは未知数である。あるいは、成長してダメになる人気子役のように、たちまちファンを失ってしまうのかもしれない。

いずれにしても、この先10年のビットコインの成長には「何かやってくれる」という期待しかない。親心とはまた違うが、一支持者として、私も業界に身を置きながら、彼のことを見守りたい。

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