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「久しぶり」で気づくこと

大学時代、私は大事なときに大怪我をした。部活動の集大成として決死の想いで挑戦していた最後のリーグ戦。ほんの一瞬で残りの競技人生を失った。当たり前が当たり前じゃなくなったとき、人はそのことの大切さに気づく。私もこのとき、アイスホッケーという競技がどれほど好きであったのか、試合に出れないことがどれほど悔しいことなのか等、言われてみれば当然のことだが、改めて色々な感謝の想いに気づくことができた。

そして引退前、怪我は完治していなかったが、最後の試合に私は無理を言って出させてもらった。出たところで思うようにはプレイできず、出場時間も短かったが、久しぶりに氷上に立ってみて思った。スケートやパックの感触、敵のプレッシャー、味方の声援、何に触れてもやっぱりアイスホッケーは楽しい。「引退」という二文字が余計に時間が有限であることを感じさせ、また、それを前に与えられたわずかな時間に私はやはり感謝した。

緊急事態宣言が明けて、早速第二波への懸念から東京の中心では赤信号が灯っているが、多くの人が様々な「久しぶり」を経験していることだろう。久しぶりの学校、久しぶりの出社、久しぶりの外食、久しぶりの友人との会話、何であれ、そこには失われたときとは違った、2ヶ月辛抱しただけの気づきが生まれるはずだ。私はその一つ一つを噛み締めながら、日頃の些細なことに感謝しつつ、これからの"新"生活を作っていきたい。

自粛期間中は禁酒していたのだが、今週の仕事終わり、久しぶりに友人と飲むビールは最高だった。

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