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「バカになるよ!」

子どもの頃、テレビの画面に夢中になっていると母親が決まって私に注意してきた。「テレビばっかり見ているとバカになるよ!」「ゲームばっかりしているとバカになるよ!」と。何かに夢中になっていた私は聞く耳を持たずに知らん顔していたのだが、次第にそれが鬼の声へと変わってきて、最後は避難するように自分の寝床に向かうのだった。

GW中、本を読むにしろ、映画やドラマ、アニメを観るにしろ、スマートフォンの画面ばかりを見ている。今では人と話すときですら四角い画面を目の前にしている。そんな姿が過去の自分と重なってか、頭のなかで誰かが私に注意してくる声が聞こえる。母親だろうか?いや、私だ。大人になった私が「バカになるよ!」と自分に言い聞かせてくるのだ。

そんな自身の声に悩まされながら、私は今も"怠惰"な生活を送っている。自粛期間中、果たして私はバカになっているのだろうか。

子ども教育における母親の主張を否定するわけではないが、何も画面越しに娯楽コンテンツに集中することがバカを意味するわけではない。もちろん、何か知識を身につけるために勉強することだけがバカの対極にあるわけでもない。思考の停止、それこそがバカの進行を促進するのである。

人との繋がりが薄れている今においては、自分の考えを外に発する機会が激減している。だからこそ、ただ徒にコンテンツを消費してしまいがちになる。本を読んだあと、映画やドラマ、アニメを観たあと、少しの感想をどこかに書き留めるだけでもいい、オンラインで人と共有するだけでもいい。自粛生活で考えたことを意識的にアウトプットすることで思考の停止を防ぐことができる。

そうだ。「バカになるよ!」という私自身からの訴えは、画面越しに娯楽コンテンツばかりを見て過ごすなという注意ではなく、新型コロナの状況において思考を停止させないためのアドバイスであった。もしかしたら母親からの「バカになるよ!」という声も子どもに思考を促すためのものであったのかもしれない。

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