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シンポジウムのテーマ:糖尿病患者の”生きづらさ”とは何か?

病の悩みは人それぞれだと思うが、今回のシンポジウムでは「生きづらさ」に焦点を当てる。当事者に苦痛を与える行為をなんでもかんでも「スティグマ」と呼んで欲しくはない。スティグマの言葉の定義を曖昧なまま使用することはアドボカシー活動の妨げとなりかねないからだ。スティグマは社会に端を発した偏見や差別にまつわる体験に対して使用するのが正しい使い方ではないかと考える。

■スティグマとは何か?

昨夜のメンバーとの話し合いの中で、多くの気づきがあったので、備忘録代わりに「杉本のスティグマ分類」なるものを試作してみた。この中で最重要なのは「社会的スティグマ」だと思う。近年、スティグマというと、医療者が言葉や態度で患者に与える乖離的スティグマが強調されているが、患者の生きづらさを生み出す元凶はなんといっても「社会的スティグマ」ではないかと思う。

杉本のスティグマ分類JPEG

■生きづらさとスティグマは密接な関係にある

食事制限、肥満/やせ、インスリン、高血糖/低血糖、合併症の恐怖など、DMにまつわる悩みは多種多様であるが、今回は「生きづらさ」に焦点を当てたい。生きづらさとスティグマは密接な関係にあり、その真ん中にあるのが社会的スティグマであり、それは当事者にとって、社会の無理解、誤解など、個人の力では太刀打ちできない高い障壁となっている。

■1型と2型の生きづらさの違いについて

1型と2型ではその“生きづらさ”はきっと異なるだろう。おそらく共通する部分と異なる部分があるのだろう。
1型は生物学的な管理に関する困難さ、自身の身体機能の喪失感とそれに対する受容、24時間に亘って精緻な血糖管理を必要とする身体と精神のバランス、そして、こうした困難な状況を社会に理解してもらうことが極めて困難であるという課題もある。

一方、2型は1型に比べ、血糖管理は決して困難ではない。しかし、1型よりもはるかに大きな社会からのラベリングに晒されている。2型はそうした社会的な非難というスティグマに絡め取られる上、さらにそれを内面化するような社会からの圧力が加わる。とりわけ感受性の豊かな思春期〜若年発症2型の苦悩は想像も出来ない程だ。

1型と2型の生きづらさは大きく異なるが、2型は社会的スティグマにまつわる苦悩の比率が著しく高いことが特徴だ。どちらの苦しみがより深いかという問いは愚問だが、幸い、我々医師は1型、2型、双方の苦しみを中立的に理解できる立場にある。今回のシンポジウムで1型と2型の間に存在する文化的な溝を少しでも解消することに寄与できたら・・・と願っている。

シンポジウムでは時間が許せば、1型当事者と2型当事者の代表に「生きづらさ」について発言していただこうと思っている。

シンポジウムへの参加チケットはこちらから
https://peatix.com/event/3051955/view

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