なんでラジオのパーソナリティ?
東京FMで「TOOLS BAR RADIO」が始まりました。
今日はこのラジオ番組が生まれた背景を書こうと思います。
と、いうのも、これまでもラジオ番組の収録をすると、必ず関係者の
みなさんから、なんで高野倉さんはそんなに、すぐにラジオで話せるんですか?
と、私のキャリアについ聞かれることが多いのです。
その度に同じような話をするのですが、
一言でいうと、ずいぶん前からラジオに関連することをやってきたから。
と、いうことになります。
多少、話が出来るからというのではなくて、
やっぱりこれまでの人生で、なぜかラジオに絡んだ仕事をしてきたことが
今のラジオ番組に繋がっているのではないかと思います。
長くなるので簡単に・・・。
大学時代にアルバイトではなく、当時注目されていた学生企業的な事に
チャレンジしたくて、渋谷周辺でカフェバーやディスコを相手に
イベントの企画をしていました。
その流れで、渋谷のセンター街で居酒屋のチラシ撒きの元締めのような
ことをしたところ、その活動が当時のミニコミ誌(フリーペーパー的なもの)で取り上げられて、それを見た青山のイベント会社からスカウトされました。
日給3000円。朝10時から深夜2時くらいまで連日、イベントの
仕事をしました。休みは無く、給料日に貰ったお金が9万円で、一か月休んでいなかったことに気が付く。そんな毎日でした。
それでも、テレビ、ラジオ、イベント、雑誌、お芝居。華やかな世界の現場に、連日身を置けることが楽しくて、夢中で仕事をしていました。
実はその会社、当時、日本中で注目を集めたミニFM局KIDSだったのです。
これはハワイのKIKIからインスパイアーされた番組編成で、
ステイションコールも当時の日本のラジオ局とはちょっと違う
空気感を持つおしゃれなテイストでした。
青山の小さなエリアでよわーい出力でラジオを流すというものだったのですが、その放送を聞こうと若者がラジオを片手に青山に集まっている
という半分ホントで半分言い過ぎな情報が新聞や雑誌で取り上げられ、
全国的に注目されるようになり、様々なイベントに出張ミニFMをイベントとして運営するようになったのでした。
で、このイベント制作を私が担当していたのです。
つまり、この大学時代の仕事が私とラジオのルーツという事になります。
その後、スポンサーさんが現れ、文化放送の番組制作のお手伝い、
ラジオCMの制作。気が付くと自分で番組に出演するようにもなりました。
全て楽しくてやっていたことですが、それが40年を経て、今の
TBSラジオ.ラジオ大阪「工具大好き」
東京FM「TOOLS BAR RADIO」
に繋がっているというのが、不思議な気がします。
まさか還暦を過ぎてからラジオ番組のパーソナリティとしての仕事を
するようになるなんて思いもしませんでした。
ラジコ、ポットキャスト、スポティファイ
そして工具大好きはYouTubeでも視聴できますので、
是非ご覧ください!
あの時は
面白そうだからやってみよう。
という程度だったし、
タイパを考えたらとてもじゃないけど、出来る仕事では
ありませんでした。
でも、この経験がその後の私のビジネスを創るうえで
めちゃくちゃ役にたちました。
ハタチそこそこの若造が
マーケティングとか広告の費用対効果とか
パブリシティとかからビジネスを考えるなんてこと
広告代理店にでも就職していなかったらなかなか
機会がなかったと思うのです。
このとんでもなく大変で
クタクタの毎日は決して無駄ではなかったし
むしろ、今を作る礎になっているんですね。
そして還暦デビューのパーソナリティーは
果たしてこのあとどんな進化を遂げるのでしょうか?(笑)
私も楽しみです。
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