ネコ、じょじょに回復 /  サガミハラ

ネコがようやく自分から水を飲んだのがうれしくて日記をしようと思った。

朝起きて最初にトイレと顔を洗いに行くのだけど、うちはユニットバスなのでバスと洗面所も一緒で、こういうときふだんならネコは風呂おけのふちにピョンと上がって蛇口からの流れる水を要求する。新鮮な水が好きなので流れてるのが良いらしい。もともと流れる水を手で受けて、その水を舐めるのが好きだったのだけどその流れで蛇口からでも飲むようになって早朝なんかの定番になった。ただ、さいきんの衰弱で後ろ脚もゲッソリやせて弱っていたのでこの習慣も億劫かな?ますます水とか飲まないようになるかな?と懸念してたのだけど。昨晩にリハビリ的に後ろ足立ち(二足立ち)的なのをなんどか繰り返したおかげだろうか。


飲み方としてはまだオズオズとした感じで、いつものゴクンゴクンにくらべてなにかをたしかめるように嚥下してたけど。自分から飲める、飲むようになったということはやはり口周りとか食道とかがやられてるというわけではないみたいでヨカッタ。

まあでもまだちゃんと食事はしないので今朝も引き続き注射器ポンプをつかって給餌すべきなのだろう。缶詰も貰ったし。


バイト先でよく会うなかよしおばさん(年齢的にはおばあさんといってもいいけど特にそういう感じでもないので / 同僚ではない)のとこでなにげに今回の顛末を語っていたら最後に動物病院の栄養食的な缶詰をくれた。ここはいつも麦茶とかもくれるのでありがたいのだけど、こういうのはふれあいというのは助かるしけっこう好きだったりする。ていうか、このバイトも現代みたいにみょーに忙しくならなければこんな感じの牧歌的になもので、こういう光景がふつーだったのかなあ / それだったらけっこう好きなんだけどな自分も、とか。ノーマンロックウェルのイヴニングポストの表紙絵でもちょこちょこ出てて微笑ましいし(クリスマス前の様子とか)。


昨日は昨日で大工のじいさんとよもやま話。ネコを病院につれてかないといけないから今日は急いでるのになあ。。とかおもいつつ缶コーヒーでお呼ばれ。糖尿病から網膜はく離になって目が見えなくなった、という話だったけどそのときに白内障の手術も進められて一緒にやったら却って悪くなってほぼ見えなくなってしまったのだそうな。曰く「白内障といっしょの手術はやめとけ」「医者は商売でヤブは金とろうとするばっかだからこういうのがある。見極めろ」「厄年とかいうけどじっさいは老齢化のことで、42歳をこえるとガクンと身体機能が低下していってそれまでのようにはいかなくなるからいろいろ起こるんだ。ふだんから節制しとくと良い」とか。あと、「こういう老人の話は聞くと良い。先達の経験として」とかなんとか。まあそうおもってるから聴くのだけど(あと、こういうおしゃべりがもともと好きなのだろう自分は。



仕事をして帰ってくると世間的には相模原の事件が話題になっていた。障害者施設に勤めていた元職員がとち狂って入所者を19人殺したとかなんとか。

自分的にはそんなに大したことなのかなあ。。てかんじだったのだけど「19人」という数字がそれまでの事件の中でも最悪に多かったのでとか。あと重度重複障害の、自分で動けない / 逃げないみたいな障害者を襲った(無抵抗の?)のがショッキングだったらしい。

まあそこには障害者に対するロマンティシズムとか、僻地に隔離してるのを自分たちは見て見ぬふりしてることの良心の呵責をくすぐられたみたいなとこもすくなからずあるのかなあとか思うのだけど。プーチンかなんかからの入電だとそんなかんじで「抵抗できない障害者を!」てのがショッキングだったらしい。



このぐらいの印象だったのだけどこのあともTLがうざかったので軽くうんたらしたり




この程度のことだと思うのだけど、こちらにあらためてアーカイブしたのは「単なる阿呆だと思う」と「オールドテロリスト的に見た光景だ」あたりを該当箇所を引用してうんたらしとこかとおもったので。

「オールドテロリスト」的にはこういうわかものは「トツキリ」と呼ばれる。ふだんはふつーの、あるいは温厚 / おとなしめの若者なのに大量殺人的事件でいきなりスイッチが入ったように人を斬りつけだす人々。「トツぜんキリつけだす」ので「トツキリ」。


だが、目が宙に浮いていて、どこを見て歩いているのかわからない。それにまるで操り人形かロボットのように動きが妙に規則的だった。おれは、ニュースの映像でそういう若者をこれまで何人も見たことがあったし、取材で実際に会ったこともあった。典型的なのは、去年渋谷で起こった「トツキリ」と呼ばれる通り魔事件だ。トツキリというのは「突然切りつける」の略語で、ネットで生まれたらしい。トツキリの語源となった若者は、道玄坂を歩いていて周囲の人たちに刺身包丁で突然切りつけた。難を免れた通行人が携帯電話で一部始終を撮影していて、ネットに流出した。服装も普通、髪型や顔つきも普通で、不審な態度というわけでもないが、目がうつろで、歩き方がおかしかった。一歩一歩、左手と右手を出して、次に右手と左足を出すのだと、いちいち考えて身体を動かしているような動きだった。そしてふいに立ち止まり、懐に入れていた細身の刺身包丁で、やはり機械仕掛けのような動作で周囲を歩いている人に突然斬りかかり、八人を殺傷し、一人の胸に包丁を突き刺して骨に引っかかり抜けなくなったところを取り押さえられた。


初代のトツキリは1999年の池袋という説もあるし、2008年の秋葉原だという説もあるが、おれは、3年前、2015年の福岡の事件が最初ではないかと思う。池袋も秋葉原も犯人はどちらかと言えば興奮状態にあった。秋葉原ではトラックを衝突させ、奇声を上げながら人々を襲っている。だが、福岡天神の地下街で7人を殺し数十人に重症を負わせた若者は、無表情で目に力がなく、動きが機械的だった。誰かに操られているような印象があった。最初から興奮状態で切りつけるのではなく、放心状態のようなぎこちない動きがふいに止まり、スイッチが入るように、そのあと突然犯行に移るのだ。


ちなみに小説ではこういった若者をアレゲな政治思想をかかえてる老人たちがテロの実行犯として利用する。


今回の犯人の様子は直前に車から道具をおろしてるところを監視カメラで撮影してた程度のものでその表情とかはよくわからないのだけど、事後に自首するとき忠臣蔵的なヤリキッタ感があったようで、まあロボット状態でもなかったのかなあとかは思ったり。自己暗示的な感じではあったのだろうけど。

直情的だなあとおもったのはそれまでの犯人の経緯と犯行予告文から。写真に映る笑い顔の傾向からしても直球タイプだったんじゃないかとなんとなく想う。そういうタイプは単純な行動力があって良いというところもあるのだろうけどきちんと背景知識をためずに行動するので却ってあれげなことになったりも。あと、世界平和とか世間がもうちょっとよくなればみたいな考え方はほんとにもっていたようなのだけど、それが「障害者が消えれば」というところに結びつくのがゆがんでるように思った。歪みといっても猟奇犯罪の犯人みたいな内にこもったゆがみ方ではなく、自分の接してる目の前の不幸があるとして、それをなくすために「殺しちゃえ」「消しちゃえ」っていう論理につながりそれを実行してしまうというところが。クソみたいな現場で「みんな消えちゃえ」みたいに思うことというのは誰もあるだろうし、中高生のうちに「世界なんか消えてしまえばいい」とか思うこともあるだろうけどそれはやはり幼児性を残した独善的な考えでありだいたいのひとは相対化して収まる。今回の犯人はそれをそのまあ実行したのだろうから幼いのだろう。幼い正義感。



日々殺伐としてるせいか自分もこういうリアリティに近いのか、「そういや死傷者数が多いのか」「んでも動けない重度重複障害者相手だしなあ。。」というぐらいで特にどうということも思わない事件だったのだけど。まあそういうのもあまりよろしくないかなあとかおもったりした


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?