シリア虜囚と善きサマリア人
雨だし休みなので主に室内で暮らしつつ、ネコにやたら甘えられるのでそのたびに遊ぶ。ネコ奴隷にとってのお勤めとして。
きょうは最初から積ん読の軽いタスクをこなして借りてるものとかタスク的なものを消化つもりだったのでそれをメインでこなす。
TwitterのTLはあいかわらずシリアで囚われた人の話題。さっさと済まないかなあと想いつつ
この写真についてもろもろ想う。
犯人は自分たちの要求と恐怖を宣伝するために日本語で人気のハッシュタグに手当たり次第でこの画像とメッセージを投げたみたい。なのでズワイガニがどうとかってタイトルなんだけど。
それで逆に例の画像でクソコラしてイスラム国を挑発選手権みたいなのも行われてるようでなんだかなあとおもったり。あるいは、犯人が何も考えず宣伝用にコラージュした日本で人気のハッシュタグが却ってニホンジンのリアリティを反映し現代アートのようなえぐさを醸してるなあとか。
イラク戦争当時の人質になった彼らのこと、そのときの自分の立ち位置とかをおもったリ。今井くんはあれからいろいろあってきちんと社会貢献的NPOだかなんだかをやってるみたい。
今回の件で自己責任がどうというか、冷たい視線を投げかけられるのはたぶん湯川さんで、彼はこの事件以前から困ったちゃん扱いだったのでそれはまあ仕方ないかなと想いつつ、そんなシカタナイ隣人のために命をかけた後藤さんのことを想う。
後藤さんの経緯とインタビューみると、あるいは、彼に関わる人達の彼への印象を見ると彼が湯川さんを助けに行ったというのは本当なのだろう。
その結果として囚われたことについて、あの写真や映像で見る限り後藤さんは満足、というかある程度覚悟が決まっているように思えた。それは少なくとも「意義のある死」なのだろうから。
対して湯川さんはなんとも居心地が悪そうな、恐怖と焦りといろいろな感情が入り混じったような表情をしていた。彼の自己責任的なまぬけさを救いに来てくれた後藤さんまで捕まってしまったのだから当然そういうことになるかと想う。
そこで湯川さんを責めるのは簡単なのだけど、それとは別に後藤さんの心境をもう少し勝手に想像してみた。
善きサマリア人のたとえよろしく、困った隣人を救いに行ったこと、あるいは、暴虐な隣人に捕まったことに対して、彼はその物語によってそれを受け容れられたのではないか?
それは単なる推測にすぎなくて、そんな生ぬるい想像以前にもっと生きたいって気持ちがいっぱいで、でも、ある程度腹をくくったということなのかもだけど。
そして、どっちにしてもなんとか無事に開放されないかなあとかおもったりする。正直にいうと後藤さんは特に。
そして、そのとき困ったちゃん≠サマリア人的蔑視をあびる湯川さんへの思いについて、あらためて自分に問うのだ。
彼や彼らを嘲笑い消費する世間のお気楽な残酷さも含めて。
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