ルル

昨日は昼・夕食をたべてすぐにネコと床に入りしばらくして気づいたら23時半だった。

「この状態だとネコとの日々を思い出しやすいからもっとこうしていたいなあ。。」と思って早目にねこと就床したはずだけどけっきょく寝てしまっていたらしい。ついったの痕跡から算定して19時半あたりから。

まあそれもいいかあしたいようにすれば、とおもってその後また眠りにつく。何か夢も見たぽい。ねことは関係のないお気楽などうでもいいような夢。

そこから目覚めてまだ暗闇。たぶん疲れが溜まっていたのだろう、しばらくじっくり眠る時間もなかったし  /  もう眠ることもなさそう、ということでそこからしばらくねことの日々を思い出そうと務める。こころが悲しみのほうに逸れようとするのを修正しつつ。



このコの名前は「ルル」といって母親が付けた名前。最初、風邪薬みたいで変だなと自分としては思ったのだけど特に代わる名前もなかったし飼うのは母だと思っていたのでそのままに。

二世帯住宅の下の隅の方に放って置かれていてこのままだと死にそうということで母が拾ってきた。ほかに二匹ぐらい兄弟がいたけどこのコが一番生命力が弱く、最初から鼻のほうに鼻炎みたいなのをもっていたので。

当時はまだ先に飼っていた黒猫(メグ、雌)がいて、このコも神経質 / 内弁慶なところがあったので最初はけっこう嫌がった。年を取った社交的ではない性格のネコにとってじゃれついてくる子猫はうざいだけなので。また、人間とくらしてるネコは自分のことを半分人間とおもってるフシがあり、それまでほかのネコと特に接したことがなければそういったものに抵抗が生まれる、のかもしれない。

けっきょくメグは最後までルルと慣れることがなかったけど、ルルは最後までメグをちょっとおちょくって遊んだりしていた。しっぽをチョンチョンといぢってハーッと怒られてε≡≡ヘ( ´Д`)ノワーイ、とか、その延長で廊下を追っかけっ子とか。体格差からトムとジェリーみたいに。


実家だったので餌やりとトイレの世話なんかは主に母に任せていたのだけど一緒に遊ぶのは主に自分がしていたのでよくなついた。人に対してもそうだけど、母に比べて自分のほうがねこの心の機微を読むのがうまいのでその応用でどのように遊ぶと面白がるか、興味を引くかというのがわかる。ネコと遊ぶというのはそういうところがあって「年をとるに連れて飽きっぽくなって…」というのはそういった機微を読み取れない言い訳のようにも思える。飽きっぽくなったのではなく飼い主が遊んでくれないのでネコも諦めていったのだ。  まあそのネコの性格にも依るだろうけど。


性格というのは生まれつきある程度決まっているところもあるだろうけど育ち方によって決まるところもあるように思う。このコは育て始めた頃からずっと一緒に遊んできたのでそういう性格になったような気がする。すなわち活発でおてんばな次女的な性格。

実家にはそれなりに長いフローリングの廊下があって、途中でシケインがあるもののそれ自体が走り回る際のちょっとした味付けになっていたところもあったようで猫達はよく走り回っていた。

その長い廊下の壁伝いに猫じゃらし的なものを散らしネコたちに追わせるのがこの家での代表的な遊びとなっていた。角になっているところですこし身を隠してパタパタをちらつかせることで猫達の大好きなイナイイナイバァ効果が出せるし、それで食いついてジャンプしてきたところで鼻先ギリギリのもう少しで届くような位置にぱたぱたを調整することで何度もジャンプを誘える。そうやって何度もジャンプしていることで自然と脚力が鍛えられていった。

このコは家猫のなかでも運動神経が良いように思えるのはそういうところから生まれたように思う。調子の良いときは廊下の曲がり角を壁を蹴ることで渡っていったりもしていた。

しばらくして外にも出すようになり小動物がいる季節には鳥やセミをとってくるようになった。鳥をとってきたことは二度ほどぐらいだったけど、だいたいはセミだった。ほかの季節はとってくるものもないので散歩に出してもそれほど長く外に出ていなかったように思う。

実家でネコを散歩に出したときは玄関ドアから出して部屋の窓から回収していた。玄関だと遠いけど部屋だと近くに誰かしらいてネコの声がわかるので。だいたい自分がいてニャーと鳴いたら入れていた。窓まではベランダ伝いに。部屋の窓につづく屋根にベランダからすこしジャンプして帰ってきていた。そのまえに玄関の塀に上がり、そこからベランダにジャンプ。運動神経が良いので。でも、最初の頃セミをくわえたまま飛んで帰ってたらジャンプの勢いで息の根をとめてしまっていて、それ以降は反省してジャンプ時に歯に力を加えなように修正していた。


母はネコを散歩に出すことを嫌がっていた。もともと保守的で自分の管理下で管理できない面倒事が生じることを嫌がる人なので動物病院で「なるべくネコは外に出さないように(病気にかかりやすくなります」と聞いたのをタテに散歩させるのをやめるようにいってきていた。でも、自分としてはそうやってねこの自由を奪うことが果たして「生きる」ということにつながるのか?とおもっていたのでそのように言い「病気したり車にひかれたら自分で責任を取る」ということでいちお納得させていた。最初から散歩という自由を知らなかったねこならいざしらず、一度その自由を知ってしまったコから、生活の楽しみの大きな一部となってしまってるコからそれを取り上げるのは残酷なので。去勢という大きな自由の剥奪までしていて…(去勢までしてるなら外に出せばいいじゃないか)。母はそういうところの自省や内省、フェアネスに鈍感な人なのであまりそういうのを考えず気に入らないとなにも考えずにすぐに取り上げるみたいなところがある。


実家から出るときに「このコはもうあんたのネコだから、連れてく?」といわれ一度は断ったのだけど(実家と近かったし)やはり連れて行くということで一緒に暮らすことに。しばらく広島の一人暮らしで一緒に暮らし(一人半暮らし)それから東京圏にうつるときに一緒に移った。新幹線での移動が不安だったけど、ついてからはすぐにタクシーで新居に移動し、しばらく風呂に閉じ込めて、出してからあたらしい家の様子に慣れさせて…。

「猫はその家に居つく」というのであまり環境を変えることは好ましくないらしい。もともと内向的、インナーなタイプが多いのだろう。外に出たがらないという意味ではなく。猫好きにも内省的なタイプの人が多いように思うし。


しばらくしてあたらしい環境にも慣れまた散歩に行くように。ねこがとってきたセミの声でここらへんでもセミポイントが有るのだなと嬉しく思う。それをネコに提供してやれたことに。

あたらしい環境ではいつもねこが迷わず帰ってこれるのか心配で、散歩に出してからもソワソワと待つ。「やはり出さないほうが良かったかあ、、いや、、」と何度か反問しつつ。いつもより多く外に猫笛を吹いて。猫笛はうちのねこを呼び戻すときに吹く口笛のメロディ。「るーるるるるー るるるー♪」とこのコの名前を声に出すときの様子を北の国からのキツネ呼びのメロディで。


あたらしい環境に移ると散歩時は周りの外猫との縄張り争いがポイントになるけどこのコはだいたいそういうのはてきとーに回避してきたみたい。ちょっと付きまとわれたりもあったようだけど。だいたいはケンカ以前に外猫に交わることを嫌がる。少しにおったりはしたみたいだけどにおっておいてハーッと威嚇、とか。自分のことを半ば人間、あるいは家の子とおもってたぽくそういう貴族根性みたいなのはどうかなというのはあるのだけどまあお転婆な世間知らずな子供ということで。

あとは警戒心がもともと強く人見知り外見知りなところがあるので車なんかが来てもすぐに逃げて危ないということがなかった。

外で自分があったときなんかも知らない人相手みたいな顔してたし。


いまの部屋にうつるまえに自営業で失敗したのもあって実家の方に少し帰ってそのまま預かってもらい1年ほど離れて暮らした。その間なんの張りもなく心に穴があいたようになっていた。ねこのせいばかりでもないだろうけど。外で撫でさせてくれるねこに会うたびに少し癒やされていた。

それもあってねこを引き取って暮らせることになったときにかなり感謝した。それからもっと生活が向上してればよかったけど。とりあえずそのときは「これだけでもう十分だ」とおもえるほどねこという存在が、あるいはルルという存在が自分にとって大きいのだなと思えた。そういう生活の中だったので特にルル以外に心の支えになる対象がなかったのかもしれない。


実家に置いていったときにはもうあたらしいネコもいたのでそのネコとの関係でストレスが溜まっていたようで1年ほど置いていたら自閉気味になっていた。預けてきたときからそれは感じていたので離れているときにすまない気持ちもかなりあったし。それもあって迎えられたときにはとても嬉しかった。引き取ってしばらくしてルルも以前の活発なルルに戻っていった。活発でお転婆な。こちらをある程度気にしてわがまましすぎないようにするけれどわがまましたとき、粗相をしたときには落ち込んで隠れるようなそういう内省や心の機構、ちょっとほかのねことはちがうと思わせるような内省があるような。そういうコがたまにわがままをいうとそれはそれでかわいいものだった。



ざらざらとしたコンクリ打ち放しのようなところに転がってイノシシの泥浴びのように日光浴するのが好きだった。あるいはよく晴れて風の気持ち良い日の窓辺。階段の踊場で風と光をあびて餅のように伸びること。

そういうとき撫でると満足気に「ブフゥ」と嘆息することがありおっさんのようだなとおもいつつかわいかった。


いつまでも小柄で人に見せても年齢より低く見られて、今年の6月ぐらいまではそんな感じで。


15歳だから人間年齢だと80歳とか90歳とかになるのだろう、し、それはそれでおばあちゃん-寿命-十分ということではあるのだろうけど。

自分にとってはいつまでもかわいい我が娘だった。






朝にジョギングがてらねこを眠らせる場所を探索にいった。けっこうそれらしい場所が見つかるも漂着物なんかも見られるので河が氾濫すると川の水で侵食されるところもあるのだろう。「埋めるなら1mほど掘ったほうがいいかもねえ。。でも、、(そんなにするのは大変かあ) いや、、」と動物病院の先生もいっていた。ベランダ栽培用の小さなスコップで十分かと思っていたけどやはり1mぐらいきちんと掘るべくあとでホームセンターにも寄ってみよう。土のやわらかいポイントは見つけたのだけど。

「川のそばとはいえ私有地なので勝手に埋めるのは条例禁止されておりうんたらいわれるかもしれない」というのはついったでも親切な人がいってくれたのだけど(これは含みなく親切だなとおもった)、テント生活の人がちらほら見受けられるようなところなので、特に人目につかないようなところなら大丈夫だと思う。


でも、


まだほんとに「埋める…のか」と


部屋にかえるたびに、少し席を辞して戻ってくるたびにねこの身体を撫でている。


目は見開かれたままだけど、毛並みの様子もこのこの晩年の様と変わらないので。特に失明して半分寝たきりになってからは目を開いていてもどこを見ているかわからないところはあったし、単にお腹が上下してるかいないかだけで。苦しみが表れずやすらかにしているぶんだけこちらのほうがまだ良いようにも思える。変な言い方だけど。


でも、そろそろいわゆる屍臭というのもでてきたみたい。鼻から洟水がちょこちょこ出るのだけどそのにおいが魚屋の魚のパックについてるあのにおいになってきてる。

逆にいうと魚屋のあのにおいが屍臭だったということでさかなのにおいではなかったのだな、とどうでもいいことを。



このまま剥製かなんかにして時を止められたら、ともすこし思いそういう思いの人が剥製をつくりはじめたのかとウィキペディアをみてみたけどぜんぜん違っていた。内蔵や筋肉をくり抜いて残った毛皮になにか別のものを詰め込んだのが剥製。そう思うと剥製にするほうが残酷なのだろう。


洗濯物を干していたら襦袢が思ったよりボロボロになってるなあ、と

ねこの強制給餌のときに邪魔されないように着せて袖口から頭を出してしばっていた襦袢。もともとこれを購入したときにこの柄をみつつ「うちのネコみたいだなあ。。あのこは本来『ルル』というより『すずめ』とかのほうが合ってるのだよなあ性格とか小粒な身体の様子とかから。『すずめ』だとそのまんますぎるから、○○語で『すずめ』を意味する、みたいなの」とかおもったもの。だからこのコの襦袢と言ってもいい。

ちなみに自分がついったほかでルルと表さずにネコというのは家族として、人間と同じものと思ってるのもある。人間だったら匿名性を大事にしてあまり名前そのものを出さないし。あるいは出す場合にはみょーに甘ったるさがこもるように思う。あとは「ルル」という名前への違和感。


埋めるときにこれに包むのもいいかとおもったけど「(ねこは服を着ないものだし着させると却って不自由になるかも)」と聲がしたのでやめた。これは一生もっておけばいい。



なかなか見られなかったカメラロールの思い出を辿りつつ、この日記を閉めよう。


ルルというコはこういうネコだった



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?