「現代アート」って斜に構えるのではなく

思ったより早く今回の図書館本のシリーズを読み終わって、読み終わったのでエントリに残す必要がある(あとから見返して自分で参考になる / 書くことによって新たな何かが生まれる)ものは遺そうかなと思ったんだけどそれほどのこともないようなので簡単にnoteに済ますことにする。時間も惜しいし。


「英国の文学」、「目の見えない人は世界をどう見ているのか」、「現代アートを買おう!」、「ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由」


「現代アートを買おう!」についてはこちらのエントリの補足とかつづきとしてエントリしようかと思ったけど書くことがたいしてなかった(ちょっと想った程度)のでこちらに。


「現代アート経済学」から簡単にメモ: muse-A-muse 2nd http://muse-a-muse.seesaa.net/article/420137119.html


メモ的なものとしては巻末に2010年当時の日本の現代アートギャラリーリストがついてる。

                                 

これだけ見てもどのギャラリーがどんな感じかわからないだろうから本文読んでだいたいの文脈みたほうがいいかなとおもうのだけど、自分が最近気づいて通いはじめた(通い始めようとしてる)ギャラリーがだいたいこの本でつながっていてうれしい驚きだった。驚きというほどでもないか。「なんか、確実につながってきてるなあ」って感じ。


興味をもった作家、なんとなく好きな作家たちが山本現代やミヅマアートギャラリー、タカイシイギャラリー、小山登美夫ギャラリーなんかに集まってたのだけどたどってみるとこのギャラリーのオーナーがいずれもこの本の著者の宮津さんと同世代のギャラリストたちで、ちょうど宮津さんが現代アートに興味を持って作品を購入し始めた時期にギャラリストとして修行したり独立したりし始めた人たち、そして、日本の現代アートというのは現在「彼らの時代」にあるのだなあということを想った。特に小山登美夫ギャラリーと村上隆、奈良美智の関係なんかはそんな感じみたいだけど。小山さんの本「現代アートビジネス」もいま読んでる。


「(現在の国際アート価格だと何億もする村上隆作品が)いまでは信じられないことだけれどボクらの時代には数十万円で売られていた。ゲルハルト・リヒターの作品なんかもすこし頑張れば購入できたし、ギャラリーに展示されていた」


数十万と言っても50万ぐらいはしたのだろうなあとはおもうけど、でも何億もってとこからするとそんな感じ。そして、もうすぐ横浜美術館で予定されてる蔡國強なんかもそんなかんじだったみたい。MOT(東京都現代美術館)なんかもそんなところあるのだろう。彼らの時代の同窓会的なものというか凱旋的なものというか。


この本を読むまでは正直「村上隆とかー現代アートとかなんぼのもんじゃいー」て感じもあったようにおもう。「知や感性を競う」というか。門外漢が足元をすくってやろうというか。

でも、宮津さんの語りから垣間見える「現代アートというのはそんなスカしたものではなく、単にぼくらがあの時代に『なにか新しくて格好いいもの、おもしろいもの、感性をくすぐるもの』を求め、それに捧げていった結果、現在のような形になっただけで」というような話を見てるとそういうのも阿呆らしいというか、少し恥ずかしく思った。


MOTも未だ建ってなかった時代、現代アートも日本に根付いてなかった90年代初頭に少しずつ挑戦と努力を重ねて自分たちの好きなものの場を作っていった。そして、単体の作品の価値というよりも、それを囲む人と人とのつながり、文脈、歴史のようなもののほうがむしろ大事で、現代アート的な作品はそれらのその時点での記念碑的なものだということ。

そんなことが感じられた。

小山さんの本を読んだら村上隆さんの本を読むつもりだけど、たぶん宮津さんの本を読んでなかったら「なんぼのもんじゃい」的な姿勢の読み方に傾いて貧しい読書体験に終始してたんじゃないかとおもう。



とはいっても宮津さんのノリにはどことなく「へうげもの」ぽさを感じていたのだけれど、そんなことをおもっていたら本書でしっかり「へうげもの」に言及されていた。ちょっと軽くなった感じもあるけれど、自分的にはますます取っ付き易い親近感がわいたし、こういうのが宮津さんだけではなく小山さんとかにも共通認識されてるのだとしたらあの界隈はやっぱり面白いのだろうなあとか。すくなくとも自分にとっては。



そういや「へうげもの」もしばらく新刊よんでないのでもうちょっとしたらおっかけないと。。(ほかのマンガも)







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