伸張反射やら腹斜筋やらからのスクワット / 伸張反射がどうちゃらこうちゃら / 新コロ新コロ♪騒ぎと多元的無知

ようやく午前中の一通りのルーチンが済んだので日記。休みだし。特に出かける予定もないし。このあと午前中に時間指定してるAmazonの膝サポーターを受け取ったら出かけてもいいかなあとか思うけど雨模様だし特に出かけることもないかなあ。。政府による人が集まる場所自粛要請により美術館が軒並み休館してしまった。上野の都美のハンマースホイ展は金曜日までは大丈夫だったんだけど土曜になると閉館ということに(´・ω・`)16日まで。Bunkamuraもそんな感じ。

目的地的なものもなくワークアウトのための自転車遠乗りというくらいなんだけど先程のワークアウトで必要な運動がまかなえていたとしたら特に遠乗りする必要もないし。

東京マラソンの大迫選手の走りを見つつ「やはり腹斜筋と大転子周りだよなあ。。あとアキレス腱の伸張反射 (足の筋肉に頼るのではなく)」とかあらためて思って、まあ筋肉~て感じの走りだったのだけどアウターマッスルな力みではなくインナーマッスルでの必要最低限な筋肉・反射でペース走してるなあって感じの大迫選手の20km付近までのランを見てあらためてそう思ったのだった。そして、そうだとしたら彼の38km付近での右脇腹の差し込みというのもこれに関連するものかなあと。「この辺にさしかかるといつも生じるのは対策はわかってる」と彼自身言っていたけど、あれがなければ優勝できていたかも/五輪本番でも海外勢に食い込めるかもで今後の課題というとこなのだろう。  まあ自分とは格段にレベルも違うのだけど。

脚の力に頼るのではなく腹斜筋を利用した股関節→連動して勝手に脚があがる(進む)なあれの手本のようにまっすぐに張った大迫選手の上半身。ちょうど船の帆のように。こういう上半身の張りは型として以前も意識したことはあったけど「帆みたいに張ってれば良いのか?」と思ってて却って反り腰気味になってたのかもしれない。 ポイントは張ることを意識することではなく「腹斜筋を十全に使った/使うために上半身は曲げない」ということだったのだろう。そしてそこに重心をうまく合わせていく。

着地の際、アキレス腱の伸張反射を利用すべく、テコの原理的に?ファアフットで着地したほうが良いのは良いのだけど重心がうまくついていかないうちに足先だけ前に着地してしまうと却ってテコの原理の力が膝とか大腿四頭筋にかかってしまって悪くなる。上半身より前に脚が着地しても、あるいはミドルフットで着地してもそのあとの重心の「乗り込み」段階で大転子に重心を合わせ、そのタイミングで脚も大転子や上半身に重心が合わさるくらいになってたら良いみたい。 もちろん着地までの間にも身体はまっすぐを保つようにして。


あと自分的な気付きとして。腹斜筋で釣り上げた脚は股関節によって内転、内側にいきがちだけどそのまま着地すると極度に内側に脚が寄ってしまった負担が過度(オーバー)の歪み(プロネーション)になるようで、上がった脚を意識的に外に放り出すように着地すると良い?ぽい。 上げた脚を後ろに放り出すようにするというのは高岡さんのYou Tubeでもあったけど、どの位置にというのは言ってなかったように思う。足裏(指)の角度もそれに伴って外、というか脚に対してまっすぐがよいのだろう。まあ内に内転した脚を外に放り出したら結果的にまっすぐに修正されてるのかもだけど。 感覚としてはミッドのアウトソールくらいで着地する感覚ではないか? 結果的に中指とかでも着地ということになるのかもだけど。  まあこの辺は仮説を立ててから実際に走ってないのでまだなんともわからないけど。


そういうわけで朝来パン後にこの辺を意識して運動してた。いつものバランストレーニングに加えてあらたなバランストレーニングを軽く。それとスクワット。大転子と腹斜筋、アキレス腱の伸張反射を意識して。


「スクワットしたので自転車遠乗りしなくても良いかな」といったのはこの辺のことでロードバイクなんかで自転車をきちんと漕ぐときはこういう風にしてる。「自転車というのはランニングの型に沿った補助具のようなもの」という仮説のうえで。ランニングフォームのこの理論に則って(腰とかではなく)大転子で全体の加重を受け、(自分の力をあまり使わなくて良いように)アキレス腱にテンションが高まるように踏み込み、腹斜筋を使うべく上半身は過度に緊張せず緩めている。ハンドルを掴んでるのでランニングに比べて上半身→腹斜筋→肩甲骨の回旋角度は狭められるけどこれを意識してることで身体内部でうまく力が回ってる感じがある。ハンドルを利用した反作用によってランニングよりもピッチはあげやすいし。 おかげで以前よりも坂路なんかも楽に上がれるようになった。 まあまだ専門的にやってないので一番重いギアは踏めないけど。


伸張反射について、妄想的なことをいうと中国武術ほか古流における変な動きというのはこの辺をうまく取り入れるための型なのかなと思ったりする。不自然な身体の捻転で「そんなので力出るのか?」ってしろーと目だけど。力を意識的に出す、というよりは伸張反射による不随意運動によって出すことによってふつーに力を出すよりも楽に、速く出すことが可能になる。加えて伸張反射の場合は先行入力的に次の動きの前に反射を「置く」ことができるだろうからこれを連続させればふつーに力を出すより速く、変なとこからいきなり力を出すことも可能になってくるのだろう。

動画的には腱をはるために一旦折りたたんで放出する動作を入れてて「(ヽ´ω`)…それだと予備動作ばればれにならんか?」てとこだけど、伸張反射を先行入力で重ねていけばそういうのは問題ないのかもしれない。あるいはラッシュ時とか、長期・持久戦において手数が必要だけど体力使いたくないときとか。


東京マラソンの大迫選手の走りを見て思ったのもそういうことで、アウターの無駄な力を使わず、上半身の腹斜筋で脚を出す連続をテンポよく刻んでる感じだった。がっちりと地面を捉えてテンポよくって感じで。比べて先行していた井上選手は心持ち上半身が前に曲がっていた。前に行こうという意識が前傾に現れたのかもだけど、それがレース中盤にダメージになって現れたのかなあとかなんとか。 まあ彼らほどのトップ選手になるとそのへんも承知でっていうこちら側からのしろーと視線というのはあるかもだけど続けると、

予報通りピンクのヴェイパーが蛍光グリーンと黒のアルファフライに代わって殆どの選手の足を装っていた。この影響はいかほど?/前のモデルに比べてランニングエコノミーはさらによくなったのか?というところだったけど、設楽選手なんかは履き慣れたピンクのシューズを選んだようだった。そうするとこのシューズはほんとに当日に配布されたのかなあというとこがちょっと気になる。要は「シューズに走らされてしまった」とこがあったのかなあというとこ。井上選手の場合、最初から勝つつもりで先行したというのもあっただろうけど。シューズがこれまでのそれより軽く、勝手に脚が出るようになり、その感覚に思いの外載せられてペースが上がりすぎたとこもあったかなあとか。それに対して身体全体の重心の合わせが追いついてなかったことが中盤以降にダメージとなって脚を死なせてしまった・・のか?

まあこういうのはこのレベルの走りもしたこともないしろーと考えだからなともだけど。

対して設楽選手はこの日は何らかの理由で調子が悪かったらしいのでそれもあって先行はしなかったぽい。まあでも中盤までの設楽選手のペースでも十分に日本記録的なハイペースなペースだったのだけど。サブテン(2時間10分切り)も異例に続出だったし。

そうすると「やはりアルファフライの影響?」ってことだけど、そもそもそれに見合う身体ができてないとこの記録も出ない / シューズの影響といったってランニングエコノミーが4から5%変わる程度、ということなのでシューズシューズ騒ぎすぎるのもおかしいのだけど。

自分的には特にアキレス腱からの伸張反射あたりに影響あるのかなあというとこは気になる。あのへんが鍛えられてないと辛いのかなあとか。


世間的には相変わらずコロナコロナと。ほんとはコロナというかSARSに近いらしいのだけどパニックを恐れてかコロナということにしてるぽい。

今朝のえねーちけーの朝イチなんかだとそれとなくSARSぽいって言ってたけど。そのあとの「家庭での対策おさらい」的なところでの「アルコールほか界面活性剤が効く」という話につなげるのに必要だったので最小限言ったのかな。エンベロープが細胞核かなんかを覆ってる構造はSARSなあれで、それに基づいて「アルコールもしくは界面活性剤が効く」ということになってるみたいだけどまだ実験→検証はしてないのではっきりとは言い切れないとのこと。まあでも「アルコールスプレーがなくても界面活性剤が入ってるもので代用できるよ。石鹸とか中性洗剤。スプレー作る場合は1リットルの水に20ccくらいの中性洗剤で代用できる」てのは有用なのだろう。


「コロナというよりSARSのほうが近いじゃん」ということでも言いやすい/伝わりやすいので新コロと言い続ける。新コロ新コロ♪というというと語呂が良いし(グラコログラコロ♪)。今回の新型インフルをめぐる一連の騒動にも当てはめやすい感じもするし。

今週出てきた騒動としては休館と休校と買い占め。休校についてはまあ特にそのあとの始末を考えずに思いつきで言ってしまったというところはあるみたいだけど(たとえば共働き親の場合低学年児童の世話はどうする?とか)、あとからその補填案を考えて修正していくという感じぽい。

買い占めについてはどこからか「トイレットペーパーがなくなる」とのデマがとんだ影響らしい。まあLINEなんかでうわさが連なったみたい。「トイレットペーパーは中国で作ってるから」というのが理由らしいけどすぐさま日本紙協会かなんかが否定していた。メーカーにストックもたくさんあるけど輸送→搬入が追いついてないだけだから月曜辺りには入るとウェルネスのTwitter。なので今頃近くのまいばすかドラッグストアにもあるかなあというとこで後で見てこよう。まあうちにはあと2ロールはあるので今週は大丈夫だろうけど。


ああいうデマを信じてしまうのはアホだなあとは思うのだけど大衆のココロの弱さ/疑心暗鬼ということで仕方ないのかなあとも。んでもやっぱアホだなあとは思うのだけど。こういう現象にも名前が付いてるらしい。多元的無知とか

現代の社会において、多元的無知は広く見られる現象である。たとえば、Vandello, Cohen, & Ransom (2008)
Vandello, J. A., Cohen, D., & Ransom, S. (2008). U.S. Southern and Northern differences in perceptions of norms about aggression mechanisms for the perpetuation of a culture of honor. Journal of Cross-Cultural Psychology, 39, 162–177.は、現代のアメリカ南部の白人男性の間で「名誉の文化(culture of honor)」(Nisbett & Cohen, 1996)がどのように維持されているかについての研究を行い、多元的無知がその鍵であると指摘した。名誉の文化とは、名誉を維持するための暴力を是認する傾向を意味する。実際、アメリカ南部では、言い争いや軋轢をきっかけとした殺人が多いとのデータがある(Nisbett & Cohen, 1996)。しかし、Vandello et al. (2008)によれば、アメリカ南部の男性が名誉を維持するための暴力を起こそうと考える程度は、北部の男性と差がない。一方で、南部の人々は、他の南部人が名誉を維持するための暴力を起こす可能性を実際より高く推測していた。そして、そのように誤って推測する者ほど、高い可能性で名誉を維持するための暴力を起こすと回答したのである。すなわち、南部の人々の多くは、自分自身は名誉を守るための暴力を受け入れていないにもかかわらず、他の南部人のほとんどがそれを受け入れていると信じており、こうした多元的無知の状態で、南部において名誉の文化が維持されていると考えられる。
また、日本人を対象とした研究で多元的無知を扱った例として、橋本(2011)による相互協調性(Markus & Kitayama, 1991
Markus, H. R. & Kitayama, S. (1991). Culture and the self: Implications for cognition, emotion, and motivation. Psychological Review, 98, 224–253.)の維持過程に関する研究を挙げることができる。橋本(2011)の研究に参加した日本人の多くは、個人的には相互独立的な生き方をより理想的と考えていたが、同時に、周囲の他者は自分に比べて相互協調的な生き方に価値をおいていると推測していた。こうした知見を踏まえ、橋本は、日本において相互協調性が維持されるメカニズムについて、日本人は「実際には相互独立的な生き方を望んでいるにも関わらず、(中略)相互独立的な行動をとるとまわりの人たちから嫌われてしまうだろうと予想するために、相互協調的な振る舞いが人々に採用されて」いると述べている(p. 190)。


こうした現象は、多数者や権力者の命令や圧力に屈した結果、自分の本当の気持ちを封じ込めて、命令や圧力に従う同調行動と類似している。ただ、心理プロセスとして少し違うのは、自分が持っている考え方とは異なる意見を聞いたとき、「自分はそうは考えないけど、世の中には色々な考え方があるものだし、たくさんの人がそう考えるのなら、それはそれで仕方ないことだ」と考えて、あえて他者の考え方に異論を述べないことを選択するという点である。
 このような行動選択は、「多元的無知(pluralistic ignorance)」と呼ばれることが多い。色んな意見があってもいいという考え方が根底にあって、あえて異論を述べるという選択をとらずに状況を見過ごすという特性と、原語のニュアンスからすれば、「多元主義者的な無視」と表現してもいいかもしれない。アンデルセンの童話「裸の王様」に登場する市民のように、「王様の新しい衣装は、自分には見えないけど、見えないと言うと自分が馬鹿だっていうことになるし、他の人たちも素晴らしい衣装だと言っているから、ここは自分も同じように言っておこう」という心理と共通するところから、「裸の王様」現象と言われることもある。


トイレットペーパー現象に当てはめると「トイレットペーパーがなくなるというのはデマだと思ってるけどデマで踊らされた人達によってほんとにトイレットペーパーが一時的にせよ買えなくなると困るので列に並ぶ」というあれ。囚人のジレンマとかゲーム理論とか人狼とか、そういうのにおける疑心暗鬼とエゴが共有地の悲劇を生むというアレなわけだけど、こういうのにも「空気」とか「同調圧」が関わってるんだなあとかあらためて思った。あるいは沈黙の螺旋なんかもそういう空気と同調圧の余波としての「(イエス/ノーではなく)何も言わない」てあれだなと。なにいっても変わらないからなにもいわないようにしてるというのは学習性無気力なのでは?とかいう人もいたけど。

そういやTwitterなんかも最近はそういう感じで、面倒なあれかこれか、あっち派かこっち派かみたいなのに関わらないようにセンシティブなトピックには触れない空気ができてる。よほど自分のもとからの、あるいは重要な関心事でない限り、そういう既存の派閥、空気に触れてしまうと却って疲れてしまうからということで。

コロナ騒ぎにもそういうのが関わってるようで「疲れる」と


まあそういう空気があるときはそのアレかそれかに与しないで必要な「情報」「事実関係」だけ摂取して特に意見も述べなければ良いということかと思うけど。どっちかにbetすることでココロの掛け金みたいなのも削られてあとからキーってなるのかもだし。

それはそれで「無気力沈黙スルーによる多元的無知への与し」ということならそういうことなのかなあとも思うけど。



とりあえずこのあとはパンを買いにいってトイレットペーパーの様子を見てこよう。Amazonのもいちお受け取ったし(例によってインターフォンも押さずに宅配ボックスに入れられていたのをAmazonアプリの「配達完了」で知った)

まあ両方ともないかもだけどね




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?