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孤食でも共食でもない縁食のすすめ「縁食論」

本(縁食論 孤食と共食のあいだ)

1人で食事をする「孤食」を特集した新聞記事で紹介された本です。高齢者の単身世帯での孤食が問題視されていますが、新聞記事での実証実験でも、孤食の場合より複数で食事をした方が心身ともに良い結果が出たと結論付けています。
筆者の藤原辰史さんは京都大学人文科学研究所准教授で、専門は農業史と食の思想史です。

ひとりぼっちで食べる「孤食」とも、強いつながりを強制されて食べる「共食」とも異なる新しい食の形を提唱するもので、孤食を回避しつつも集団での規律を強いられることもない食事を、筆者自身が「縁食」と定義しています。そして「縁食」が含む弱い目的性と開放性を、見事に体現しているのが子供食堂であると、その一例を挙げています。
パブリックでもプライベートでもない中間の位置づけである「縁食」は、日本の家屋の特徴である縁側との共通点を挙げています。縁側に出された食べ物は、家族だけでなく外部の訪問者も食べるものであり、それは屋外と屋内をつなぐ開放的な空間を提供しています。

人間は食べないと生きていけませんが、全国民に対して一定額の生活費を支給するベーシックインカムに倣い、「ベーシックフードサービス」の創設も提唱しています。誰もが食事ができる状況における食べる場所、つまり「公衆食堂」の創出を提唱しています。

現状の日本の福祉制度には、「ありがたく思いなさい」という自動音声が組み込まれたシステムが多すぎるとの筆者の見解がありますが、公的サービスには感謝の意を示すこと、つまりは公的補助よりは自助であり自己責任が基本である訳です。

そうした体制が、シングルマザーに代表される毎日の食事にも困窮する世帯を大量に生み出すことになりました。それはもはや自己責任の範疇では把握しきれない、社会制度の不備が原因で生じた厳しい現実であり、生きるための食事を提供する「公衆食堂」の必要性を説いています。食事は無料や安価で、誰でもが利用できることが前提となります。

それは何の手続きも踏ませずに、普通に食にアクセスできるような社会であり、生命維持物資の提供に対し、感謝の見返りを求めない社会といえるものでもあります。つまり「居心地のよさ」と筆者は表現していますが、そうした社会設計が、その生命維持物質の生産や消費にも増して重要だと説いています。

子供食堂や炊き出しに代表されるこうした試みを、社会制度として拡充して定着させることが、そこに住む住民の生存への満足度を向上させて、社会全体の幸福への成熟度が増すことが、これからのあるべき未来像だと筆者は語っています。

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