見出し画像

書く習慣Day4: 性格は変えられるか


人の性格は、そう簡単には変えられないという。

三つ子の魂百までというが、何十年もかけてひとときも離れず一緒に生きてきた「自分」という存在は、なかなか頑固なものである。

完璧主義でこだわりが強い。
0か100か、白か黒かをハッキリさせたがる。
思い通りにいかないことがあると途端に不機嫌になり、それが顔や態度に出てしまう。

私が変えたいのは、自分のこの性格だ。

ハッキリさせたがるのは、すなわち「正義感」「責任感」なのだと都合よく解釈してきた。
違うものは違うと言うべきだ、正しく直さなければいけない、誰もやらないから私がやってあげなくちゃ。
そう思うと俄然燃えてくる。

まるでヒーローにでもなったつもりで正義の剣をふりかざし、気づかないうちに誰かを傷つけた。
でも、その悲しそうな顔や疎ましそうな顔がこちらに向けられるたび、激しく動揺した。
正しいことをしているだけなのに、なぜ私だけがこんな思いをしなければならないのか。
今度は悲劇のヒロインになりきってふさぎ込んだ。

でもそれも、あくまで思春期までの話だ。
さすがに少しずつ社会性を身につけた。
態度や言葉を柔らかくしてみたり、なるべく敵意を持たれなさそうなゆっくりふんわりした喋り方を研究したり、いろいろと意識してみた。
それでも何か「間違っている」ことを見つけると、体がムズムズした。

そこで、余計なことを言いそうになる前にその場から目を逸らすことを覚えた。
昔は進んで立候補していたリーダーを、だんだんやらなくなっていった。

そのうち上手く自分の中でバランスが取れるようになってきた。まったくの考えなしにストレートな言葉をぶつけて相手を傷つけることは、今ではほぼなくなったと思う。

そうやってなんとかダメな部分と付き合ってきたのだが、今でも化けの皮が剥がれることがある。

自分がとても大切にしているモノや思いを傷つけられた時。理不尽な状況に追いやられた時。

カッとなってもまずは落ち着いて、すぐには言葉をかけないで、優しい言葉で、枕詞を使って、あくまで下から謙虚に…

そう意識しているつもりでも、私が書くメールの文面の端々から生意気なふてくされ顔がのぞいてくるようなことがある。親に言われてハッとする。まだ直せていないのかとガッカリする。
どんな状況でも、コミュニケーションによってその場を上手く乗りこなせる人だっているのに。

人の性格は、変えるのが難しい。

でも毎日ひとつずつ、
相手を見下さない、自分を客観視する
全部自分がやらなきゃ、完璧でなきゃと思わない
相手の立場に立って言葉を選ぶ

うわべでごまかすのではなく、真に優しい人になれるよう日々心を育てていくことで、
いつかは変われる日が来ると信じたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?