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#003父の構想が、僕がいることで形になる。PASSAGE by ALL REVIEWS代表 由井緑郎さん

 本の街神保町、すずらん通り。ここにとっても素敵な本屋さんがある。PASSAGE by ALL REVIEWS(パサージュバイオールレビューズ、以下PASSAGE)。5月の晴れた日、新たにオープンしたての3階のカフェスペース「PASSAGE Bis!」に伺った。

由井さんとの出会い

 1年ほど前のある日、夫と何かの用事で神保町の方へ行った。キッチン南海でカレーを食べて、満腹で気分よく歩いていたところ、夫が「そういえばこの辺に会社の後輩が本屋さんを開店したらしいんだよねえ」と言い出した。夫は本当に顔が広い。面白いことをやっている友達がたくさんいる。なんと本屋さんまで、しかもよりにもよって書店激戦区の神保町で?
「あ、ここだ」
探す間もなく、本屋はそこにあった。話題に出たから今ここに来ましたよとでも言わんばかり、すぐそこに。いや、これが立地がいいということ。
おや?しかしこの店構えには何か見覚えが…。

たどり着いたのは、まさかの今話題の書店だった。

 あ、ここは、話題の、いつか行ってみようと思ってた本屋さん!
「あ、いたいた」
 突然の訪問にもかかわらず、さらに運よく「後輩」であるという店長さんに会えた。想像していたよりもずっと若い。私と同年配に見える。
ご挨拶をして、夫と店長さんが話をしている間に、棚を拝見する。どうやら棚ごとに個人が出店する形式のようだ。品ぞろえも、新品の書籍と古本とが混在している。うわ~、もう、素敵。胸が躍る。

店内の様子。書棚にはパリの通りの名前と番地がついていて、ひと区画ごとに棚主が異なる。棚主がこの店内に住所を持っている格好になる。まさにパサージュ。クラシックな雰囲気と、洗練された現代的な雰囲気が共存していて、実に心をくすぐる内装。

にしても、あれ?なんか、あれれ?
ジョルジュ・バルビエの画集に、フランス文化の書籍に、鹿島茂さんの著書に…
おや?なんかすごくニッチで私個人的にどストライクな選書がやけに多い。
ベースに何か共通の文化的背景の匂いがプンプンと…一体なぜ?
聞いてみたら、店長さんはなんと、鹿島茂さんのご子息だった。え!!!

鹿島茂さんと言えば。
フランス文学者であり20世紀頭のフランス文化にもお詳しい偉大な文化人で。私は彼の書籍を通じて、ドビュッシーの音楽にダリの舞台装置にシャネルの衣装、みたいな、黄金期バレエ・リュスの文化にも随分親しんできた。

私が鹿島茂さんのことを存じ上げるきっかけとなった書籍「永遠のエレガンスを求めて」。発売直後に手に取り、以来15年間しばしば愛でてきた私の愛蔵書の一冊。

なるほど、PASSAGEは鹿島茂さんがプロデュースする共同書店、というのがコンセプトなのだ。
これが、由井緑郎さんとの出会いだった。PASSAGEがオープンして4か月ごろのことだった。


 鹿島茂さんは知る人ぞ知る偉大な文化人だけれども、それだけで書店が大賑わいとまではさすがにいかない。でもこの書店、開店当初からメディアの取材も多く受けてきて、かなり一般の認知は高かった。だから私もその存在をまさかこんな文化的背景があるとは思わずに、知っていたのだ。(ちょうど私たちが訪問する少し前、NHKの取材が来ていたとかで、後日朝のニュースでその映像を拝見したりもした。この4月にはアメトーークの読書芸人の回でも紹介されたそう。)
 由井さんは一体どうやってこの書店の認知を広げたんだろう。そもそもこんなご縁で人と繋がるってすごい。それに、私とそれほど年齢が変わらないのにお店を作って代表を務めるって、キャリアの面でもすごく話を聞いてみたい。夫の会社の後輩ということは、広告代理店でのご経験もお持ちのはずだ。
 かくして取材を申し込んだところ、快く引き受けてくださり(広告代理店時代の「恩」があるのだと、夫も由井さんも口を揃えて言う。仲がいいんだな。)私はいそいそと神保町へ向かった。

開店当初から認知を広く獲得できたわけ

 最初の疑問、プロデューサーである鹿島茂さんを知らない人にまでお店の認知を広げ、メディア誘致につながるプロモーションを、由井さんは一体どうやって成功させたのか。ちょっと緊張しながら、インタビューを始めた。

 この店の背景には、ALL REVIEWSという書評をアーカイブするサイトがある。PASSAGEの立ち上げ前から由井さんが運営に携わってきたサイトだ。ファンクラブのようなコミュニティも持っている。既にそこには豊富な文化的資源があって、PASSAGEはALL REVIEWSの”リアルの場”としての意味もあって、スタートしている。だから、書店の名前はPASSAGE by ALL REVIEWS。「カッコつけた名前」と由井さんははにかむけども、なるほど。すごく、いい。
 ALL REVIEWSに関わってきた人たちの支援が、PASSAGEの立ち上げにあたってはすごく力になったという。認知拡大も然り。棚主には、サイトで活動してくれていた高橋源一郎さんや俵万智さんといった著名人が名を連ねる。開店当初からの棚主として、彼らにそれぞれにSNS等でPASSAGEでの活動を発信してもらって、認知を得た。いわば文化人版インフルエンサービジネスだ。
 開店前から店内の施工の様子も由井さんが自らFacebookやTwitterで日々レポートしていった。その様子にファンクラブの人たちが共感して、拡散する。店内のおしゃれな内装が日に日に映えてくる。
 明治大学の学生さんと協力してPASSAGEでの講演会をリターンにしたクラウドファンディングもやったそうだ。由井さんも学生さんが企画を練るのを見守り、対話をして、時には示唆を与えて励ましたという。


 PASSAGEのプロモーションに成功したのは、何かひとつ大きな施策を打つのではなくて、地道で手間暇のかかる色々なことをしてきたおかげなのだ。
 でも、なんだろう、すごく現代的というか、コンテンツはクラシックで玄人向けなのに、それを広げる方法はどれも、スマート。だから広い認知を得られたんだ。それにはやっぱり、由井さん自身のキャリアが活きている。
 由井さんは大学卒業後、広告代理店とリクルートで会社員をしてきた。いわば、エリートの経歴だ。聞くとその経験はかなりハードで、由井さん自身もかなり辛い時期があったと言うけれど、それでも「どれが欠けてても今はなかった」と言い切る。広告代理店では結構古風な体育会系の働き方をして、大きなクライアントの案件で少なからぬ成果を上げていた。きっと何かしら生まれながらのセンスみたいなものがあるのだろう。一方のリクルートでは、スピードと徹底した論理的な思考を要求されたそうだ。何をするにしても”なぜ、なんのために”を自問する毎日。感覚的なものと論理的なもの、両方を血肉にしたことが、由井さんの強みになった。
 由井さん、淡々と、飄々とお話をされるようでいて、すごく泥臭いことも経験しておられるし、そこで踏ん張る胆力もある。一方で、悔しい思いも沢山されてきたし、言葉の端々には繊細さも感じられる。すごく勝手に親近感を感じてしまうけれど、ただのつよつよのエリートというだけではない、何かが見え隠れする。

鹿島茂氏の構想を”形にする”役割

 インタビューを申し込んでから、ずっと気になっていたことがある。偉大な父を持って、その土俵で商売をするってどんな気持ちなんだろう。お父様の話をされるのは、嫌だったりしないだろうか。とはいえ、PASSAGEはお父様の存在無くしては語れないバックグラウンドを持っている。(ちなみに鹿島茂さんは「子供より古書が大事と思いたい」というタイトルの書籍まで出されている。なかなか、すごい。)
 実は由井さんご自身、大学では仏文科だったそうだ。”鹿島茂の息子”として仏文学科に籍を置くのは、かなり複雑な心境だったはずだ。果たしてその通りで、由井さんの言葉を借りると、そんな学生時代に「自意識が肥大した」という。でも、大学卒業後に自分の足で立ってサラリーマンをして、必死で働いて、それをいい風に矯正した、とも。
 そんな由井さんが、なんとなくお父様との距離感がちょうどよくなったと感じるきっかけになったのは、由井さん自身が結婚し、父になったことだったそうだ。女性は自分が母になることで自分の母親と和解できる、みたいなところがある(らしい)けれど、男の人もそうなんだな。
 「子供がいると、まずはこの子を育てるためになりふり構っていられない、まずはお金を稼がなくちゃと。親になってみて初めて分かる気持ちみたいなものも結構あって、父とはいい距離感で接することができるようになりましたね」
 お父様には偉大な文化的資産があるけれど、お父様一人の力だけで、それを広く世の中に知らせていくことは、現代においては、なかなか難しい。そこに、由井さんがマーケティングやウェブの構築の知識を使って媒介として立ち回る。今は、それが最適だと思えるようになったと聞かせてくれた。

「彼の中にある構想が、僕がいると形になる。」
 今日の金言、私も大好きな世界のことだから、なんだか聞いて嬉しくなった。親子の関係ってほんとにいくつになっても皆それぞれに色々思うところがあるけれど、ちょっとむずがゆくてもそんな風に言える今日があるって、いいなと思った。

父であり、経営者であること

 民間の大手企業でのサラリーマン時代とは違って、不安は絶えないとも由井さんは言う。
 自分で会社を作ってを経営するというのは、従業員の生活に責任を持ったり、関係者の声に耳を傾けることでもある。すべての関係者からの声に矛盾なく応えることは不可能に近いから、気持ちに反してドライにならざるを得ないことも少なくない。実店舗を持つ業態ならではの、物理的なリスクだってある。(例えば火災が起きるとか、災害であるとか。)そして子供と家族の生活を守るためにも、なんとかマネタイズしていかないとならない。重圧はサラリーマンの比ではない。
 由井さんは「それでも、やってよかった」と言う。
 「そもそも5年くらい前に僕らが今のこと予測できたかっていうと、できなかったじゃないですか。コロナがあってとか、身の上の変化とか。今の変化のスピードだと、10年20年先のことなんて全然わからない。そんな先のことで何が一番安心かとか、楽しいかっていうことはわからないから、とりあえず今を頑張る。今を積み重ねないと未来がないから。」と由井さんは言う。本当にその通りだなと私は思う。
 妥協だったり挫折なんかも時に味わいながらも、得手不得手を選り分け戦略を練って自分の道を見出すのって、多かれ少なかれ40代前後の私達世代のひとつの通過儀礼だと思う。由井さんは由井さんにしかないやり方で、その道を切り開いているんだな。

シングルコアからマルチコアへ―人がつながる場所を作りたい

 もちろん、由井さんはただただ父・鹿島茂氏の構想だけを自身のビジョンにしているわけではない。最後に由井さんにとってPASSAGEとは、何なんだろうと、聞いてみた。
「僕自身は、あまり本屋をやっているという気持ちはなくて、棚主さんが自分の好きな本や想いを、うまく人に手渡す”場づくり”をしているという意識です。」
 なるほど、場づくりか。この春オープンした3階の「PASSAGE Bis!」も、色々と試行錯誤を重ねながら、棚主さん同士が交流できる場所というコンセプトで、現在進行形でお店を作っているところだそうだ。
 人と人が繋がることが好きだ、と話す由井さんは「マルチコア」という言葉でその意味を話してくれた。
「人間って、マルチコアなんですよね。ちゃんと仲良くなると、自分の頭の中だけじゃなくて、他の人の頭も利用できるというか。」
 独特の表現だけど、言わんとすることは、とてもよくわかる気がする。仲良くなって、人とお互いの頭の中を見せ合うような話をするの、私もすごく楽しくて好きな時間。そういうことかな。
「自分一人の頭で考える、シングルコアの状態だと、なかなかうまくいかないことが多いです。例えばこの3階のカフェスペースで、コーヒー豆は何を、ビールは何を仕入れるかっていうことも、僕一人でいちから研究して選ぶよりも、それが好きだっていう人におすすめを聞いた方がいいものが提供できるんですよね。人それぞれに好きで集中できるコアがあるから。この神保町で、単に本屋や飲食店と言っても、もっと歴史のある店はたくさんあるわけで、だからPASSAGEは本にしても飲食にしても、人の”好き”とか”推し”とかが集結できる場所、というのを考えています。」

 父・鹿島茂氏が築いた文化資産とそのファンも大切にしながら、でも今に軸を置いて自身のビジョンをそこに重ねていく。そうすると、今度は由井さんの気持ちに共感した人が、新たなファンとしてそこに合流する。
 リアルの人の関わりが希薄になってしまった今だからこそ、PASSAGEにたくさんの人の好きが集まって、新しい出会いがどんどん生まれていくといいな。思いがけないお話が色々聞けて、私も沢山のわくわくを頂いて、お店を後にした。

2023年春にオープンした3階のカフェスペース。由井さんのご家族も一緒に探してきた調度品を内装に使っているという。モリスの布張りの椅子がしっくりなじむ。この空間づくりのセンス、やっぱり、素敵だ。
棚主さんの”好き”が詰まった書棚。めいめいにショップカードを置いたり、雑貨も置いたり。いいなあ、私もここで棚主さんをしたい。
俵万智さんの書棚。
山羊革の表紙のすごく古い本を売る棚主さんも。

後日談―PASSAGEでのお買い物—

 さて。インタビューでお店のコンセプトや想いを色々聞いて、私はすっかりPASSAGEのファンになってしまい、週2回「PASSAGE Bis!」でオープンしているという夜カフェに、先日の仕事帰り、行ってきた。
 3階にも本棚があって、ビールの合間にふらりと眺めていたら、まさにこの書店に置くために書かれたような本に出会ってしまった。

「ニジンスキーは銀橋で踊らない」かげはら史帆著、河出書房新社。
 まさに私の好きな世界観がこれで(冒頭に述べた、ドビュッシーの音楽にダリの舞台装置にシャネルの衣装、みたいな、黄金期バレエ・リュスの文化。)フィクションの小説なんだけど、ニジンスキーと言うのは実在した伝説の男性バレエダンサー。彼の所属するバレエ・リュスをプロデュースしたゲルギエフ氏も登場する。なかなかこのニッチすぎる趣味、ここまで分かり合える人には出会ったことがなくて、びっくりした。
 これぞ、ネットを回遊していても絶対に出会えなかったかげはら史帆さんのコアと、私のコアが(勝手ながら)つながった!


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