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サザン・ソウルとブルー・アイズ・ソウルという二つのソウルと時代の顔となったソウル・シンガー達

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ブラック・ミュージック史における一つの頂点であるサザン・ソウルは、60年代半ばから後半に掛け、インディ・レーベルであるニューヨークのアトランティックやメンフィスのスタックスなどが中心となり、覇を唱えました。

R&Bマニアのユダヤ人プロデューサー/ジェリー・ウェクスラーや黒人のDJを営業管理職に起用した白人経営者/ジム・スチュアートらの手によって輩出された名ソウル・シンガー達の躍動は、キング牧師を中心とした黒人公民権運動(1)という社会的背景も重なり合い、戦後のポピュラー・ミュージック史における非常に象徴的な1ページとなりました。

同時期、そのような大きな流れは、R&Bに影響を受けた白人グループらによる所謂ブルー・アイド・ソウルとも交錯しており、改めてソウル・ミュージックの持つ懐の深さを思い知らされます。

『Pain In My Heart』/Otis Redding(1964)

作品評価★★★★(4stars)

ソウル・シーンにおける偉大なる王による最初の一手は、これまでのR&Bやロックンロールの流れを取り入れ、自身のスタイルを確立するところから始まった。

若くして既に貫禄を漂わせるこのスタックス看板歌手は、ハウスバンドであるブッカー・T. & ザ・MG'sの好プレイを支えに、サザン・ソウルのスタンダードを高らかに築き上げた。

オーティス・レディングは、次作以降、活動を軌道に乗せ、己とスタックスの名を世に知らしめた。そして、ヨーロッパを手中に収めた後、フラワー・ムーヴメントが咲き乱れる本国のモンタレー・ポップ・フェスティバルの地に足を踏む事となったのは周知の通りである。

『In The Midnight Hour 』/Wilson Pickett(1965)

作品評価★★★★(4stars)

個性派ひしめくアトランティック在籍シンガーの中で取り分け問題児であったこの男は、特徴であるかなり強引なシャウトからメンフィス・ソウルを世に知らしめた。

実力派ヴォーカリストとしての力量がスタックス特有のホーン・セクションと絡み合いながら発揮されている今作は、彼の出世作となり、ロック・シーンへの影響も少なからず与えた。

気性の荒い暴れ馬であったウィルソン・ピケットは、スタックス・スタジオをある意味破門扱いとなるが、その暑苦しいまでの勢いで次のフェイム・スタジオにおいてより飛躍していく事となった。

『I Never Loved A Man The Way I Love You』/Aretha Franklin(1967)

作品評価★★★★☆(4.5stars)

偉大なる女王の君臨は、彼女が聖職者の娘として育ち、幼き頃から優れたゴスペル・シンガーの影響を受けてきた事を鑑みれば、約束されたものだったのかもしれない。

フェイム・スタジオにおけるセッションから生まれた今作は、マスル・ショールズ・サウンドを形成する通称スワンパーズによる妙技もあり、R&B/ソウルの一つの完成形に仕上がった。

アトランティック時代のアレサ・フランクリンは、長きに渡る彼女のキャリアの中で最も充実したアーカイブスを残しており、特に今作以降の3枚は、ソウル・クイーンの異名を不動のものとした決定的な作品群と言えるだろう。

『The Young Rascals』/The Young Rascals(1966)

作品評価★★★☆(3.5stars)

イタリア系アメリカ人を中心に構成されている彼らは、60年代における米国のポップ・シーンで最も成功を収めたR&B/ソウル・グループの一つに数える事が出来るだろう。

名門アトランティックに見い出された実力派バンドの1stは、ガレージ・ロックの荒々しさやフォーク・ロックの叙情性もありつつ、特にヴォーカル/オルガンを務めるフェリックス・キャヴァリエの才能が際立った1枚に仕上がっている。

アフリカ系アメリカ人の耳も奪ったヤング・ラスカルズだが、60年代後半以降は、公民権運動やサイケデリック・ロックの時代へと巻き込まれたという事もあり、我々が堪能すべきなのは、やはりソウルに対する無邪気なフィーリングが溢れる初期の3枚か。

註(1)有賀夏紀『アメリカの20世紀(下)』中公新書(2002)

それでは、最後に、今日ご紹介したアルバムの中から一曲をご紹介!


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