信仰心

妙法寺で佐々木閑先生のお話を聞いてから2週間。
言葉がまだ、耳に残っている。

私たちがまだ子供だった頃は
明日が明るい、今より良くなる
と信じられていた。
今は、
明日は今日よりも悪くなる
そういう時代に突入している。
だから、信仰心が必要だ、


諸行無常という意味は、
砂浜に砂のお城を建て、流されること
それと同じだ

と言った内容たち。
(かなり端折っているし、この記録は私の記憶に留めたいだけなので、気になる方は佐々木先生の本を読んでください笑)


佐々木先生のお話はごもっとも。
今は『信仰心』が必要なのだ。

なにも信者になった方がいい
なんて全く思ってない。
信仰は信者にならなくても別の形で表現されているからだ。

例えば、
コミュニティやオンラインサロン。

例えばそう
処方薬やサプリだって同じだ。

元々効能はあるだろうが
信じることで精神的安定が加わり、
飛躍的に効果が上がる。

脱線するが、患者さんはコミュニケーションをとると、痛みを感じなくなることが多い。
おそらく、ある一定の痛みは心が傷ついてできるものだからだ。

精神的な安定は私たちの人生のクオリティを大きく左右する。
なくてはならないものだ。

昔は何かを信じる自分に嫌悪感があった。
メンタルの安定という土台の上に、するべきことが乗っかっていることがわからず、上部ばかりが暴走していた。

信仰心、という言葉そのものに
距離をとっていた私の生活は変わろうとしている。
もちろん信じる対象に固執はしない。
私の神様は常に変化する。
コミュニティはいくらだって変えて良い。
健康的にサプリだっていくら試したっていい。

信じるものは救われる、とは
素晴らしいものだ。

精神的に安定していける。
それは間違いなく救われている。

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