マシマタケシ

東京都府中市在住の絵描きです。 blog「いろとかたち」https://yahama.…

マシマタケシ

東京都府中市在住の絵描きです。 blog「いろとかたち」https://yahama.exblog.jp/ FB マシマタケシ

マガジン

最近の記事

先日能楽堂の舞台効果として、松の絵の緑がハレーションを起こし、補色の朱色が浮かび上がった話をした。 昨日はその舞台の役者さんと逢ったので、舞台が始まってから急に睡魔が襲って来て困った事を告げた。 彼も「あぁそうなんですよね、眠く成るんです」と言っていたし、同じ舞台を観ていた友人も同じ経験を話していた。 これらは全て「計算されている」ものかも知れない。 もしそうならばこの「能舞台」という装置は、人の精神に及ぼす効果も考えてこの様式で造っているのではないか? 山深い場所にある寺社

      • 昆虫人類

        夕ご飯の後にあずみちゃんと散歩に行こうかと外に出た。 まだ真っ暗じゃないアコークローの気持ちのいい風が吹く多摩川沿いを歩いていて、下に降りようか、となる。 ここの景色は毎日愛おしく眺めているが、近いからゆえにほとんどそこには行かない。 そこには広い草原があり、久しぶりに歩くと遠くから見ている分には分からない地面の凹凸がある。 その左に野球のグランドがあり、明るい内は入れないが、誰も見ていないという後押しでピッチに立つ。 あぁおれもやっとピッチに立つ事が出来たか。 その先にサ

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        • マシマタケシ作品
          13本

        記事

          マシマタケシ個展「よわいちから」メルドル

          マシマタケシ個展「よわいちから」at メルドル https://www.facebook.com/events/2059514887400237/ 府中競馬場の近く、民家を改築したギャラリーの「メルドル」さんで、恒例の「よわいちから」の展示会を開催します。 6/9には横手ありささんのLIVEもあります。(15:00~) 新作もぎりぎりまでどしどし描きますし、従来の作品も展示します。 又、期間中は「樫内あずみ」が常駐して「え詠み」をやります。 畳敷きのゆったり出来るスペースです

          マシマタケシ個展「よわいちから」メルドル

          アーティスト?

          今日は府中市在住のアート関係者及びアート好きの人が作るイベントの説明会に行って来た。 この冬に開催される予定で、ボクは「オープンアトリエ」を推されて参加したが、現在のように個人的に呼びかけて来ていただく「アトリエ展示会」ならともかく、府中市全般に呼びかけ、そのお知らせが全国紙に載る様な企画に乗れるのかどうか? 以前自分の企画で30名ほど自宅にいらした時に、住宅管理の事務所の方が(変な宗教の集会所になってないか?)(もしくはネズミ講か?)みたいな心配をしてピンポンした事があった

          アーティスト?

          よわいちから

          2011年の2月の後半にボクは屋久島から東京に移り住んだ。 20代の10年間も東京に住んでいたが、その後は静岡に引っ越した。 理由は「都会の世知辛さ」というありきたりの動悸だった。 その後は名古屋に住み、その後に屋久島に移る。 そういう意味では屋久島は東京に一番遠い場所だった。 東京に戻る前年に、国分寺で個展を開催し、久しぶりにけっこう長く滞在する。 その時に感じた東京は、以前とは全く違う印象をもたらせる。 これは自然豊かな場所に住んだ経験がある人の多くは実感する事だが、自

          よわいちから

          よわいちから「如し」

          よわいちから「如し」

          見えないものを見えないままに描く

          屋久島であの日の出来事があってから、ボクの目に映る景色や人やものは、それまでと意味合いが変わっていった。 目の前のスガタやカタチはいわゆる最終形態に、それに重なってそのものを生じさせている「知性」も同時に観えていた。 花を観れば種も一緒に観え、人を見ればその人をその人たらしめている原因も同時に観えている。 それは言葉にすると「生命力」としか言えず、「生命」と呼べばモノに定着している形態だが、生命力だったら常に流動して移ろっているチカラだ。 その多様で繊細な現れの元が全て「生命

          見えないものを見えないままに描く

          あの日、ボクは「何」を観たのか。

          自分の絵も含めて、人生の軌道が大きく変わったのは2年間の屋久島での生活だった。 屋久島に行ったのは当時の伴侶が屋久島のガイドの会社に就職が決まったからだ。 それまで一度も行った事は無かったし、さしたる興味も持っていなかった。 ただ「旅行で行く事はあっても住むなんてこれを逃したら無いな」と、当時はとても人生に疲弊している時期で、自然豊かな島で野菜でも育てながら暮そうかな、という消極的で前向きな夢と、それと同時に辺境の地に島流しに遭う様な複雑な気持ちでフェリーに乗り込んだ。 引

          あの日、ボクは「何」を観たのか。

          守護霊になって

          ボクは現在55歳の絵描きで東京の府中に暮らしている。 その前は鹿児島の屋久島に2年住んでいた。 生まれは山形県の酒田市で、18歳で東京に出てしばらく過ごした後、静岡や名古屋にも住んでいた。 府中には2011年の2月に越して来て、その直後に3.11があった。 少しのアルバイトの経験はあるが、基本的にずっと絵で食べて来た。 屋久島に移る前まではイラストレーターが肩書きだったが、それ以降は画家を名乗っている。 東京に住んでからは全国各地で個展を繰り広げて来たが、2018年に入って

          守護霊になって