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どの扉から入ろうかな_doors

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映画、演劇、ダンス、音楽、マンガ……。 無指向性マイクのようにカルチャーを駆け巡りたい。そうすれば、これまで見えなかった世界が現れてくるはず。
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2021年3月の記事一覧

【映画評】 アレクセイ・ゲルマン『神々のたそがれ』。二階堂ふみの言葉に興味がひかれた。

わたしたちは映画から何を読み取ろうとしているのだろう。物語、構造、ショット、眼差、音声、政治性、世界の意味……。 映画は、エンドマークへとただひたすら時間を経過させる一方的なベクトルを有しており、観る者はその時間に抗うことはできない。 エンドマークとは物語の終焉とは限らず、映画館の照明が点灯するとりあえずの終わりの印に過ぎない。始まりからエンドマークの限られた時間内の瞬間を、眼と音の記憶として脳裏に留めるしかわたしには術がない。 なにゆえわたしはこんなことを思ったのかとい

【ライブ】 ドラムデュオ〈ダダリズム〉。京都のライブハウス「外 soto」におけるライブ

(写真=Arts Support Kansaiより) 以下の稿は 《ケンジルビエン(KEN汁ビエン)Kenjiru Bien〜異能の身体〜》 の後編として書かれています。 スリーピースバンド〈空間現代〉の運営する京都市左京区鹿ケ谷法然院西町にあるライブスハウス「外 soto」。 彼らが作り出したこのライブハウスは、関西圏に新しい音楽シーンを引き込むエキサイティングな場として注目を集めている。 ドラムデュオ〈ダダリズム〉の「外 soto」での初ライブは、2016年9月から始

【ダンス評】 ケンジルビエン(KEN汁ビエン)Kenjiru Bien〜異能の身体〜

(写真=山形ビエンナーレ2020より。ケンジルビエン×東野祥子) 京都市左京区鹿ケ谷法然院西町にあるライブハウス「外 soto」 スリーピースバンド『空間現代』(野口順哉(guiter/vocal)、古谷野慶輔(bass)、山田英晶(drums))の運営するライブハウス&スタジオなのだが、数年前からわたしの気になるライブハウスのひとつとなっている。「外 soto」が発する文化は京都や日本というローカルの止まらず、世界へと向けた複数性・多様性として、これからも発信を止めること

【映画評】 纐纈(はなぶさ)あや監督『ある精肉店のはなし』 不在と気配

 纐纈(はなぶさ)あや監督『ある精肉店のはなし』(2013)は、ドキュメンタリー・フィルムという形式における新たな光を見いだすことのできた作品である。新たな光とは、「不在」を出現させる、という意味においてである。この場合の「不在」とは、即物的な不在、つまり、〝見えないもの〟のことである。はたして、「不在」はどのようにして撮られるのか。 不在を撮ったからといって、不意に不在が現れるとはかぎらない。そのことは、イームズ・チェアで知られるチャールズ・イームズとレイ・イームズを描い

【映画評】 旧ソビエト連邦、崩壊へと揺らぐ時代のSF ゲオルギー・ダネリヤ監督『不思議惑星キン・ザ・ザ Kin-dza-dza!』

ローテクの塊と言っても過言でないような旧ソ連邦で製作されたSF映画、ゲオルギー・ダネリヤ『不思議惑星キン・ザ・ザ Kin-dza-dza!』。現代のSFXを駆使したSF映画を見慣れた者の眼にはどのように映るのだろうか。隔世の時代感覚に、驚きを隠し得ないだろうか。 SFの代名詞といえばジョージ・ルーカスが初代『スター・ウォーズ/新たなる希望』(1977)。初公開時の邦題は単に『スターウォーズ』なのだが、実はこの作品、シリーズの第4話ということらしく、本来の第1話である『ファン

【映画評】 デヴィッド・ロバート・ミッチェル作品に通底するもの。『イット・フォローズ』『アメリカン・スリープオーバー』

(写真はすべてポニー・キャニオンから) デヴィッド・ロバート・ミッチェル(David Robert Mitchell)監督の名を耳にし、わたしたちはどのような作品を思い浮かべるだろうか。多くの人は『アメリカン・スリープオーバー The Myth of American Sleepover』(2010)だろうけれど、人によってはそれに続く『イット・フォローズ It Follws』(2013)や『アンダー・ザ・シルバーレイク Under the Silver Lake』(201

【映画評】 デヴィッド・ロバート・ミッチェル『アメリカン・スリープオーバー』ゼロ年代アメリカ青春映画と〝神話〟

         (写真=Gucchi's Free Schoolより) デヴィット・ロバート・ミッチェルの長編デビュー作『アメリカン・スリープオーバー』(2010年)。 スリープオーバーとは外泊のことである。この作品の場合は〝お泊まり会〟。日本では幼児の〝お泊まり会〟ならありそうだが、高校生や大学生の〝お泊まり会〟はあるのだろうか。気の置けない仲間内の飲み会で終電がなくなり雑魚寝、あるいは気がついたら朝になっていたというのならある。だが、集団で泊まることを前提に、新学期直