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共感ジャイアン

またか、と思った。

ある話の中で共感で盛り上がると、共感で盛り上がれない私はいつも疎外感を感じる。

疎外による孤独が嫌なわけではなく、一人ひとりの考えを受けとめ合える多様な場でないと感じて残念だったのだ。

共感することや、共感されることは安心を生み出す。
たしかに共感がある関係や、共感し合える場は居心地が良い。
共感って、このところずっと流行している、人の中で支配されている価値観だと思っている。

私は、自分と他者は違う価値観である。と思って人と接していることが多い。
私と他者は違うから面白いし、関わり合っている。

こうした、人と人との多様性を認め合える関係が好きで、
人との違いを尊重して、違いについて盛り上がれる時間が好きなのだ。

しかし昨今の共感は、
共感側と共感できない側との分断が生まれる。
多数派と少数派として区別されてしまう。

なんでもかんでも共感が正しそうな雰囲気をつくったり、
共感で場を支配することに抵抗するのは、
人は多様であることを信じたい私の価値観から反応しているのかなと思った。

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