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自己コントロール権

この記事は、2017年7月頃にとあるサイトに掲載してもらったものをそのまま持ってきたものです。元サイトが消え、それでもまた読みたいという要望があったのでここに投稿します。
状況はあまり変わっていないのですが、取り敢えず2022年現在に書いたものではないことを前提にお読みください。

毎朝、表示される数字が少しでも小さくなるように裸で体重計に乗って、減っていたらやった!って心でガッツポーズをとるこの瞬間のよろこびを、僕は人と分かち合ったことがない。

 

僕はたぶん拒食症と診断される。(※この駄文を書いてから半年後に、拒食型の摂食障害であると正式に診断が下りました。)

身長は165cm、体重はだいたい42kg。食べる量は友達より少ない。
外食をすると1人分を食べきれないことが多いから外食は苦手。一日三食摂ることは稀で、だいたい1日500kcal~800kcalで生きている。食欲が無い時は食べない。
体重は増やしたくない。体重増加が副作用の抗精神病薬を処方された時、体重が増えるのが嫌というそれだけで飲まなかった。
43.5kgを超えると減らそうと思い始める。44kgを超えるのが怖い。数か月前に44.5kgになったので吐いて体重を落とした。
自分の骨盤がでっぱっているのを見ると嬉しい。でもまだ太もものあたりが太い気がする。「拒食症 画像」で検索して、出てきたガリッガリの人を見て、自分はまだまだだなあと思う。


拒食症の発症原因についての研究はたくさんある。詳しくは書かないけれど、一般には4つほどが挙げられている。「痩せている方が美しい」という文化の影響、大人の身体に対する抵抗感から、社会に出たくないという気持ちがあるから、自己評価を高めるために、などなど。
でも僕は、こういう原因を読むたびに、自分は違うんじゃないかなあと漠然と思ってきた。
 
最近、自分が拒食っぽくなったことについて、自分なりの理由づけができた。20歳も超えて初めて自分で言語化できたので少し嬉しいし、結構納得している。

それは、自分で自分をコントロールしたくてしたくてたまらなかったということ。


両親の仕事の都合で、2,3年ごとに引越しを繰り返してきた。幼稚園も学校も友達はできるけどそれも2,3年の仲でおしまい。また引越して新しい友達をつくって、3年で別れて、また新しい友達をつくって…記憶の限り、僕は繰り返される引越しと転校に文句を言ったことはない。それでも住む場所と人間関係を自分でコントロールして落ち着かせることができなかったのは確かだった。

これも父の仕事の都合で海外に住んでいた時期もあった。その国の言語を覚えないと友達もできないし授業もついていけないから、必死で新しく言葉を覚えた。慣れない環境と通じない言葉でいろいろと苦労もあったけれど、両親も新しい環境でやっていくことに精一杯だったから、なにか相談するのも手を煩わせるようではばかられて、僕はいつも「うまくやってるよ」「学校は楽しいよ」「友達ができた」などと話していた。(本当は1年目とか結構つらくて、小学生ながら飛び降り自殺をやった。未遂に終わった。)
 
デジタルな世界では人間が簡単に死ぬから、という理由でゲームを買ってもらえなかった。当時流行っていてみんなが持っているゲームを僕は知らなくて、友だちと遊ぶのに少し不便だった。
テレビは1日30分だけ、しかも日本語以外の番組しか見せてもらえなかった。おかげでセサミストリートとかには詳しくなったけど、友だちのするポケモンとかの話はさっぱりだった。
おこづかいは無かった。
こういうのは家の規則なんだから何を言っても通じないし仕方ないかなと思っていた。

それに加えて、学校の規則で小学生以下の子どもは大人同伴でないと外に出てはいけなかった。まあこれは海外だから仕方ないけれど、友達は頻繁にその規則を破って遊んでいた。でも僕は父の仕事の都合上、そういう規則を破るのは世間体的にマズくて、規則は破れなかった。

こういうわけで僕は自分の遊びについても思い通りにはいかなかった。コントロール権は半分以上両親にあった。

勉強は、学校の宿題に加えて通っていた語学塾2校の宿題と、家でやる1学年分進んだ国語と算数のプリントをやらないといけなかった。やりたくない日もあったけど、逆らっても無理だと悟っていて素直に全部こなした。

勉強が終わったらピアノとヴァイオリンの練習を1日最低30分ずつやらないといけなかった。ピアノもヴァイオリンも僕がやりたいと言って始めたことだったからそこまで苦ではなかったけど、体力的に1時間弾き続けるのが堪えることもあった。でも毎日練習した。

子どもだった僕にとって、身の周りのことで他に自分の思い通りにできることはもうほとんど残っていなかった。両親からの指示や規則はもう当たり前になっていたので、(当時は)両親が嫌いとかそういうことなく受け入れていた。抵抗で発散することもなかった。


このせいなのか、14歳頃から僕は自分で自分をコントロールすることに病的にハマっていく。

まず体重を支配下にいれた。153cmだった身長が165cmまで伸びても、体重は一時38kgまで落とした。食べないと数字が減るのに満足していた。

次に自傷を始めた。自分がカッターをすべらせて感じる痛みは、明らかに自分が生じさせる痛みで、いじめとか病気とかそういう外的要因には依らない。それが良かった。

いじめてきた相手をとことん見下してやりたいという思いから勉強にも固執した。勉強するほど偏差値が上がるのが快楽だった。その結果東大にまで入ってしまうわけだけど、それについては他の記事に詳しく書いたのでここでは省略する。

 

僕のメンヘラ行動のいくつかは”自己支配欲”だったんだ!と気付いた時、それはもうとても納得して、拒食ってなんなんだろう、自傷ってなんでしてしまうんだろうと思い悩んでいたのがスッと解決した気がした。

たぶんそれでも僕はまだ拒食も自傷も勉強もやめられないと思う。でも、理由づけができたことで、ちょっとは自己理解ができた気がするし、健全な意味での”自己支配”(つまりは自己受容の一端?)ができたような気がしている。


-2017.7.25

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