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サヨナラにサヨナラ

10代の頃、中島らもの
「愛をひっかけるための釘」という本を
気に入って読んでいた。

1992年に発刊されたエッセイ集で
当時、その本を友達にもらったのか
自分が友達にあげたのかわからないけれど
その本の中の一節が好きで
繰り返し読んでいた記憶がある。

そういえば、自分だけかもしれないけれど
この本みたいな「思い出の品」を
自分が「あげた」のか、相手から「もらった」のか
わからなくなることが、たまにある。

この前も、誕生日プレゼントに
自分が数年前に友達からもらった、と
記憶していたお香があるのだけれど
実はそれは、自分が友達にあげたものらしく
友達と会話をしている時に、そのことに気がついた。

その友達は「捏造の仕方があなたらしい」と言って
笑ってくれていたからよかったけれど。。。

思い出の品だけでなく「思い出の話」でも
同じようなことは、やっぱりあって。。。

自分が相手から聞いた!と思っていた話も
実は自分が相手に話していたことだったりする。
その逆も然り。

記憶力が良い方ではないと自覚してはいるけれど
本当に自分の記憶はあてにならないなぁーと思う。

でも、何というか、
言い訳をしたいわけではないのだけれど

あげることも、もらうことも自分にとっては
どちらも同じような大切さというか、
「どちらもいる」と感じているのは確かで。

「与える」は、きっと、もちろん素晴らしいのだろうし
それを「きちんと受け取れる」のも素晴らしいのだろうなって。

「それは、相互のもの」だと思っているから
自分の記憶はこういうことになっています。。。
と書きながら、

言い訳みたいに聞こえてきたので、
やっぱり友達ごめんなさい。笑

そういえば、あの本も結局
あげたのか、もらったのか、どっちだったか。。。

”人間の実相は刻々と変わっていく。
無限分の一秒後には、無限分の一だけ愛情が冷めているかもしれない。
だから肝心なのは、想う相手をいつでも腕の中に抱きしめていることだ。

ぴたりと寄り添って、
完全に同じ瞬間を一緒に生きていくことだ。
二本の腕はそのためにあるのであって、
決して遠くからサヨナラの手をふるためにあるのではない。”

愛をひっかけるための釘(集英社文庫)
「サヨナラにサヨナラ」 より


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