誰かのために頑張ることについての一考察

noteを始めて3日目。なんだかもう一人の私と会話しながら、書いているようで楽しい。

誰かのために頑張るということについて今日は描いてみたいと思います。

私は誰かのために頑張るということを、昨年の夏にやめました。それは家業であった福祉関係の会社を退職したことに始まります。

会社にいたころは「会社のために」とただがむしゃらに頑張りました。できないこと、苦手なこと、怖いなぁ、不安だなぁということも、なんでもトライしてきた感じがあります。ぎゅっと目を閉じて、暗闇を走り抜けていく感じ。

しかしそんなことを繰り前して数年。誰かが私のことを悪く言っているという噂ひとつ(真実ではありません、あくまでも噂)で、私は会社に行けなくなり、そのまま退社しました。

怖いこと、不安なことなんでもやってきたのに、なんで私が悪く言われなきゃなんないんだろう?私以上に頑張っていない人たちになんで、悪く言われなきゃいけないんだろう?

様々な人のことを嫌いになり、恨んで、心の持っていきどころがなく、一日のほとんどをベッドでアルコールを飲んで過ごしていたときに、ふと活版印刷の本が目に留まり、「わたしもやってみたい」と思い、誘われるようにベッドから起き上がってPCの前へ。そしてデザインってどうやってするんだろ?と調べ、イラストレーターの使い方を調べ・・・今に至ります。

今はここまでやってきた活版印刷の事業化を目指していますが、日々頭を悩ますことも多くあり、失敗して頭を抱えたり、わが身の愚かさを恨んだり、時間を戻したい、と本気で思ったりすることは日常茶飯事です。

それらをすべて「まぁ仕方ないな」と受け入れて、次の手を考える、この繰り返しでこの1年過ごしてきました。

会社にいた頃にももちろん、失敗そして次の手を、ということはたくさんあったけど何が違うのかというと、心の穏やかさが違う。それは多分「わたしがやりたい」が今は中心にあるからではないかと、感じています。

誰かのためにはもちろん尊いことだけれど、その中心には自分がやりたいがないと長くは続かないし、うまくいかないときに誰かを恨むことになる。

私のやりたいことが、誰かのやりたいこと、あるいはニーズと一致する。これがベストだと今ははっきり感じます。

これに早く気が付いていれば、会社の仕事とももっと良い関係を築けたのかなとも思うけど、まぁこれもひとつの勉強、経験だったかなと思いつつ、今日も頑張ります。

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