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ひと夏のかけらたちー北海道東川町

毎年7月の最終週になると、決まって思い出す町がある。

北海道の真ん中あたりにある、上川郡東川町。
大雪山に抱かれた小さな町で、水と、お米と、トマトと、トウモロコシと、道の駅のソフトクリームが信じられないくらいにおいしい町。
旭川駅からバスで30分くらいで行けるけれど、
旅行者がわらわらと集う町ではないかもしれない。

セイコーマートのハスカップソフトと東川の夕陽



「写真の町」として地域おこしに取り組む東川町では、毎年7月の最終週に「全国高等学校写真選手権大会」、通称「写真甲子園」が開かれる。
カメラに青春をかける全国の高校生が集い、町の人たちや自然風景にレンズを向け、8枚の組写真を発表して腕前を競うーというもの。
1994年に始まり、今年で30周年。あまり知られていないが、高校球児が兵庫県西宮市を目指すように、全国の高校生カメラマンたちは東川町を目指して、日々ファインダーを覗いているのである。

そして、晴れて地方予選を突破し、日本各地から東川へやってきた「選手」たちは、町ののどかな景色と、ただただおいしいご飯と、底抜けにやさしくてあたたかい「日本一撮られ上手」の町民の皆さんに、一人残らず、とりこになってしまうというわけだ。

トウモロコシ畑の前で選手と町民が記念撮影



私も2015年の第22回大会に、選手として出場した。高校に入った時、写真、カッコよく撮れたらいいよね、みたいな軽い気持ちで写真部を選んだけれど、写真甲子園に出たことがある先輩や顧問の先生から大会の魅力を繰り返し聞かされていたので、東川という地には、入部当初からなんとなく、憧れを抱いていた、ような。

3年生になると、地方予選突破に向け、地元で、仲間と、必死に初戦の作品を撮り続ける日々を過ごした。勉強は二の次(受験生なのに)。授業中もずっと写真のことを考えていた。放課後になるや否や、カメラを首から提げてシャッターを切る。休日返上で撮影に奔走した。

地方予選の日、プロの写真家のおじさんやおじいさんの前で、作品をプレゼンした。自分の高校の名前が呼ばれた瞬間、感激で前が見えなかったのを覚えている。

夏、朝7時の東川。カメラマンの朝は早い


大会では前泊、後泊を合わせて6泊7日、東川に滞在する。その日々は全てが楽しいわけじゃなくて、悔しかったり、自分の写真がいやになったりもしたんだけど、今となっては記憶のどれもが、心の宝箱のなかで、妙に、きらきらしている。

中でも私が写真甲子園を大好きな1番の理由は、選手が町民の家に「ホームステイ」するところ。このホームステイこそ、1泊だけなのだけど、東川を「帰る場所」みたいに思う所以なのかもしれない、と思う。
私たちは子育てを終えた60代のご夫婦の家に泊まった。家のお風呂は狭いからと、隣町の大きなスーパー銭湯に連れて行ってくれた。帰りの車の窓を開けた時の涼しい風を、昨日のことのように思い出せる。
ご夫婦はお土産に「友情」と書かれた手作りの栞を私たちに人数分くださって、今も大切にとってある。高校の先生を通じて、手紙のやりとりもしていたっけ。東川にも家族ができた、そんな感覚。あれからお会いできていないけど、毎年のようにお家を訪ねているOB・OGもいる。
もしかして、コロナがあったから、ホームステイはもうやってないのかもしれない。


他にも、他にも。初日の歓迎夕食会で食べたジンギスカンとメロンがたまらなく美味しかったこと、初日の撮影で出会ったおばちゃんが私たちにスイカを切り分けてくれたこと、地元の古い魚屋さんにどきどきしながら入って撮らせてもらったこと、作品をアピールするプレゼンで緊張して声が震えたこと、2日目の審査会で酷評されたこと、その日の夜1時まで作戦を立てたこと、翌朝6時に起きるのが辛すぎてちょっと泣いたこと、おにぎり屋さんのお姉さんが優しく笑ってくれたこと、閉会式でもちょっと泣いたこと、閉会式の後にホームステイ先のご夫婦が会場の外で待っててくれてめっちゃ泣いたこと、宿舎の坂道のてっぺんにあるお風呂へ歩いたこと、そこから見えた夜景が息を呑むくらい綺麗だったこと、町のお祭りでかき氷を食べたこと、地元の高校生と仲良くなってツイッターを交換したこと、みんなで花火をした時の星が綺麗だったこと、新千歳空港へ向かう帰りのバスでまたひっそりと泣いたこと、とか、とか。

ひと夏のかけらを、今も毎年反芻できる幸せよ。
そうして今年も、またあの町へ行きたくなるのです。

大会後の後泊日には毎年、地元のお祭りがある

私のように、高校を卒業しても「東川ロス」からは卒業できない元選手は、大会のボランティアスタッフとして、何度でも東川へ帰ってくることができる。5年に一度、同窓会も開かれる。大会をきっかけに東川に魅了され、幾度も足を運び、ついには移住された先輩が何人もいらっしゃる。
そうやって町との関係を繋ぎ止めていられる仕組みがあるのも、写真甲子園のしたたかであたたかなところだろうな。

大学の単位取得がひと段落した2019年の夏、ボランティアとして2度目の参加をした。4年ぶり、2回目の訪問の筈なのに、ただいま、という言葉が浮かぶような、そんな雰囲気のある土地である。
スタッフとして選手を見ていると、自分が選手としてがむしゃらだったときよりさらに強く、この大会の時間の尊さを感じた。写真甲子園の選手たちって、大会中いつも、めっちゃ、いい顔をしている。みんな、今日のこと忘れないでね、きっと忘れられない今日になるよ、と、毎秒思った。

東川へ行くその度に、いいなあ、もう住んじゃおうかな、と、結構本気で心が揺れている自分に驚く。

大好きなまちを去る日の切なさよ


「青春」と言うにはあまりにやさしくて眩しい、どうしたって忘れられない思い出たち。
今も、私のお守りであり、居場所だな、と、夏が来る度に思う。
これからの人生で立ち止まることがあったら、また、次は自分の意思で、東川へ足を運びたい。キャリーケースではなくバックパックを持って、ガリレオガリレイの「夏空」を聴きながら。
きっと、いつでも、あの頃の私に、出逢わせてくれるはずだ。

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