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地球平面説

2019/03/08

転居先を完全に人任せにしていたのだけどうまく準備ができそうということなので、今のアパートの管理者に解約届を出した。四月には転居している予定だ。

2019/03/09

誕生日。33歳になった。ということをあまり気にしていなかった。生活リズムがリズムになっていないので、時間が24時を回ったところで何の区切りにもならない。

ビハインド・ザ・カーブ 地球平面説』をNetflixで観た。主張が明確で熱意があれば文化は生まれるんだなと思った。どうせ地球が球体だろうと平面だろうとぼくたちの生活にはなんの関係もない。神を信じる信じないというのとほとんど変わらない話だと思う。ぼくには特定の宗教に対する信仰心はないが宗教が生み出す文化には関心がある。「不惜身命(理想実現のために身命を惜しまず)」の理念に忠実であろうと望んだ日蓮会殉教衆青年党だって「革命家とは予め死刑を宣告された存在である」と信じて闘うネチャーエフだって信念に沿う姿が美しいのだ。信仰内容はぼくには関係ない。どうせ信仰に値する真実はどこにもないのだ。それでも何かを信じることに価値が宿るのだ。そこに美しさが宿るのだ。そしてそこからだけ生を支える真実が現れるだろう。いまやっているドラマ「3年A組」で繰り返し語られる「明日を生きる活力」もここから生まれるだろう。そういうことを19世紀に活躍したアレクサンドル・ジャコブという泥棒も言っていた。この泥棒をぼくは本物の人間だと思う。彼は「たとえ利害が要求しようとも、けっして軽視してはいけないもの、それが真実なのです。」と言っていた。この真実だけが、行動を起こすための、自分自身として生きるための活力になるのだ。それ以外はどんなことをしたってぜんぶ嘘なんだ。思ってもいないことを言って、正しいと思わないことをやって、そうやって死んでいくただの嘘つきだ。そこになにがあるのだろう。頭からつま先まで続く空虚だ。なにもない。彼の伝記を読むとぼくはだいたいそういうことを思う。

彼が公判で読み上げた宣言文からいくつか引用する。

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