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バドワイザーが飲めません

2022年の12/30に盛岡のライブハウス「CHANGE WAVE」20周年イベントに行った。
雪が積もってるクソ寒い真冬になんて熱いラインナップなんだ!って、2日目だけを単発で観に行ったけれどそれが最後のThe Birthdayになっちゃった。

ハードパンチを連続で喰らってた音楽初期衝動の10代。
全てが新鮮で刺激的だった。
メタル、ハードコア、パンク、テクノ、ハウス、レゲエ、ヒップホップなどなど。
あの頃はなにを聴いても「すげえ!すげえ!」しか言えてなかったと思う。
今も大して変わらないけど。
脳と心臓が揺れるあの感覚に興奮してた。
周りではビジュアル系とパンクやロックが対極にあった中、遊びでバンドをはじめた。
ドラムが好きでギターもやったりするくらい兎に角バンドがやりたい、音楽に触れたいという気持ちだけで動いてた。
人並みに歌が歌えるみたいだからやってよと言われて、いつの間にかV系バンドでボーカルをやるようになっていた。
隔たりなく音楽が好きだったけど、これじゃないよなぁって時に知り合った他校の友達から「頼む!これ聴いて!ドラムやって!」と渡されたのが「カルトグラススターズ」「ハイタイム」の2枚。
家で聴いて「これだぁぁぁぁぁ!」って意識飛ぶくらい興奮してこめかみを指でこじ開けなかったけど、欲しかったロックに出会えたのがミッシェルガンエレファント。
クソ田舎あるあるで、もちろんライブには行けず雑誌で情報を真っ先に追うくらい。
卒業したら観たい指折りバンドのひとつになってた。
そのうちメディアにも沢山出てきてあれよあれよと周りでは知らない人は誰もいないくらいになっていった。
90年代J-POPのヒットチャートランキングに出てくるとなんだかバンドが好きな自分が誇らしかったりして。
大学で念願叶ってはじめて行けたのがYOYOGI RIOTでフリーライブ。
ロデオタンデムビートスペクター新譜リリースイベントで全曲ライブとアンコールでジェニー。
雨の中で暴れまくって財布と携帯を落して散々だったけど、それを差し引いても高揚感しか残ってない。
さぁ!ライブハウスに観に行くぞ!となったら解散発表。
上京していた高校の友人と幕張メッセのチケットを取った。
ドロップで始まって、世界の終わりで終止符。
それからROSSOが始まり、The Birthdayが始まり、アベフトシが亡くなって、the HIATUSにウエノコウジがいた。
大人になってフェスやライブに行くようになり高校生の時ミッシェルが観れなかった分、何度もライブを観た。本当に沢山観た。
いつの間にかミッシェルの活動期間よりもBirthdayの方が長くなっていたのに気付いたのは大分あとになってから。
その頃にはミッシェルは過去のバンドになっていた。

何が好きだったって言われると歌詞の世界に惹き込まれて響く曲が多かったからかな。
ロックが好きという人との話の引き合いでやっぱりミッシェルが出ることが多いよね。
もちろんそれが大好きなのは変わらないけれども、いつも「歌詞の話がしてぇ!」って思ってる。
乾いて尖った魅力、奥底にあるやさしさだったり温かみに惹かれているわけで。
それはBirthdayから強く感じてた。
「涙がこぼれそう」くらいでなんていい詩を書くんだと思ってからちゃんと見るようになった。
PUFFYに楽曲提供した「誰かが」には何度も泣かされたしがんばろうって奮い立ったり。
詩集が出てるけれどストロベリーガーデンの“イチゴのなる木”のくだりは笑ったなぁ。

知らない世代の子と話す機会も多くて気付くけれど、あの時代の境目を生きていて良かったと本気で思う。
事件的に称されるくらいロック史が蠢いていたんだもんなぁ。
なんの曲が好きなの?って話になるけれど、多過ぎて決められない。
「 ドロップ」
「ダニーゴー」
「トカゲ」
「ブラックラブホール」
「青空」
「誰かが」
「最終兵器彼女」
「DISKO」
・・・だめだ、無理。
オタク並みにここのアレが!とかでキリがない。
そんな好きだったチバが亡くなった。

勝手にだけど死ぬわけないって思っていた。
復帰したライブは行かなきゃ!ってくらいだったし、なんなら来年のアラバキは出るんじゃないかくらいに思ってた。
なんて表現していいのか分からないけれども、胸が張り裂けそうな気持ち。
柴さんと大谷さんのVoicyを聴いてどっちも号泣した。
それから三日三晩は何をしても涙が出た。


公表された5日の夜は自宅にひとりでいるとダメだと思って外に出た。
音楽の話だったりにはなるだけ触れずに人と話したくて、定期的に行く仲の良いお店でたわいもない話をして過ごした。
いろんな人から連絡が来たけれども、その中で真っ先に来たのが解散ライブに行った友人からだった。
彼はSNSをやっていないし、結婚式以来連絡を取ってなかったけれど、自分でも今日連絡しようとは思っていた。
ここぞという時や、ふとした時に連絡したりするヤツ。
震災があった時に、どっかのわけわかんねぇ団体に寄付すんならお前に送るわってくれるような(あの時は本当に助かった)。
あの時幕張行けてよかったよなと、なんだか色々思い出したりして懐かしんだ。


ミッシェルは解散で区切りがついていたんだと思う。
でもBirthdayは現在進行形なわけで、だからそのショックがとてつもなくデカい。
これを書いている今も正直、言葉が出てこない。
なんて表現するものなのかこればっかりは慣れない。

今年は訃報が多いというけれども、もしかしたら自分たちがそういう年齢層にいるだけかも知れないよね。
先代の方たちもきっとそんな経験しているんだろうか。
通過儀礼の一種のような。
それは別として、数の問題じゃなく個々の生がどれだけの影響力を残したことか。
不思議なものでステージの向こう側の人なのにね。
泣けてくるんだもんね。
人生にヒーローが必要なんです。
お願いだからこの先の世界を見せて欲しい。
そんな人たちがこぞって逝った。
ロックンロールを知れたのは間違いなくチバユウスケがいたからだ。
世界で一番好きなボーカリスト、ありがとうございました。
お酒が飲めない体質だからバドワイザーは諦めて、いつもとは違うラッキーストライクを吸ってみた。



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