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きれいごとに冷めた日

子ども達がまだ小学生だった頃、日本での生活を始めて間もない頃、日本政治がかなり右に偏り始めた頃、私は子ども達を連れてよくデモに参加しました。集団的自衛権に反対し、日本国憲法を改悪させないぞ!と意気込み、声を上げることで何かを変えられると無邪気にも思い込んでいました。

その後すぐに、日本人の国民性は民主主義にはあまり向いていないことを理解します。そして、子ども達を連れて国外に逃げました。

コロナ禍で帰国、その後立て続けに安倍元首相の暗殺や旧統一教会問題、そして自民党の裏金疑惑など、私に恐怖を抱かせていたものが闇から姿を現し、白日のもとに晒され、そして物語はエンディングに向けて展開しているように感じます。

けれども、世界は平和からどんどん遠ざかっているようです。憲法9条を守り抜くことが本当に正しいのか、私の確信は揺らいでいます。正義も平和も、きれいごとに過ぎないのではないかと疑うようになってしまいました。人類という生物は、本当の平和を手にする前に滅亡してしまう可能性の方が高いでしょう。

ささやかな日常を守るためにはどうしたら良いのでしょうか。子ども達が、彼らの人生を最後まで平穏に全うできるよう、私たちには何ができるのでしょうか。

国が侵略される可能性は?サイバー攻撃に対する防御はできているのか?もしかしたら、第二次世界大戦後ずっとこの国は侵略され続けているも同然なのか…、同盟国は信用できるのか?

ああ、どこかに天才はいませんか?この不条理だらけの世界を変えてくれる天才が。

不条理に正論など通用しないということを、日々のニュースから悟る今日この頃。

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