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久保史緒里の2021年の意味~芝居で得た自信~

時が経った今、過去のインタビューを読み返してみるのは面白い。
私はふと、本棚に挟まっている「EX大衆 2018年7月号」[1]を手に取り、大園桃子と久保史緒里の対談記事が載ったページを開いた。そこにはこんなやり取りがあった。

――1月に舞台『三人姉妹』を経験して、久保さんは演者として確実にレベルアップしてますよね。
大園 (しみじみと)そうなんですよ。久保さんは舞台が好きなんでしょ。好きなことを頑張れたらいいよねって思う。
久保 でも最近その自信を失ってしまって……。
大園 まだ16歳だよ。これからじゃん。久保さんは絶対すごくなると思う。

――久保さんは長く芸能活動ができる方だと思うので、10年先、20年先のことを考えてほしいですよ。
久保 いまがつっかえてるので、ここを抜け出したいと思ってます。
大園 いまは舞台がないから、そう思うだけだよ。本当に好きなものがあるって羨ましいな。

――大園さんは「これがしたい」というモノがまだ見つかっていないんですね。
大園 いつになったらできるんですかね。

2021年は、乃木坂46の3期生にとって、大きな出来事があった年だった。
それは、「これがしたい」というモノがなく、目標を持てないことに悩み続けていた大園が[2][3]、初めて自分からやりたいと言って実現したmerモデルの仕事[4]を経て、外の世界へ羽ばたいていった年だった。

そして、もう一つ。
それは、かねてから「舞台をやりたい」「芝居をやりたい」と発信し、将来を嘱望され、しかし自信を持てずに苦しんでいた久保が、芝居の仕事を通して大きな自信をつけ、乃木坂46を引っ張る存在へと歩を進めた年でもあった。

本記事では、そんな久保にとっての2021年の意味について、私がこれまでのインタビューを読んで感じとった点をまとめていきたい。

久保史緒里と芝居の歴史

久保史緒里の芝居歴

2021年は、久保にとって大きな芝居の経験をした年だった。
主演を務めた連続ドラマ「クロシンリ 彼女が教える禁断の心理術」。そして、ダブル主演を務めた舞台「夜は短し歩けよ乙女」。
それらを終えた後の彼女のインタビューを読むと、物凄い充実感を得ている様子が分かる[5][6][7][8]。
例えば「WHITE graph 008」では、このように話している[6]。

「『クロシンリ』も『夜は短し~』も5年目にしてようやく摑めたものだったので『もうここしかない』と思ってものすごい熱量で取り組みましたし、結果として良い評価をいただいたのは自信になりました。私の5年間の蓄積は間違っていなかったんだと思えて、『時間はかかっても、あきらめずにいよう』というマインドを持つきっかけにもなりました」

これほどの充実感を得ているのはなぜなのか。それを知るために、少し過去に遡ってみたい。

芝居への想いの萌芽

本人が語るところによれば、彼女が「芝居をやりたい」と思うようになったきっかけは、乃木坂46に加入して間もなく挑んだ舞台「3人のプリンシパル」での演出家の徳尾浩司氏との出会いだった[9]。
しかし一方で、当時のインタビューを読むと、「プリンシパルを経て将来的に演技のお仕事をしてみたいと思いませんでしたか?」という質問に対し「いや、舞台が怖くなりました」と答えており[10]、そのプレッシャーの大きさからか、「芝居をやりたい」という想いを公言するような心境ではなかったようだ。
(※当時の彼女は「Seventeenモデルになりたい」という夢もあったが、それを一切メディアには言えなかったとのことなので、そのメンタリティを差し引いて考える必要もあるだろう。なおその後、毎日鏡に向かって「モデルのオーディションに受かりますように」と言っていたら合格し(2017/8/1にモデル就任)、言霊を知ったことで、ネガティブな発言を止めたと言う[11]。)

風向きが変わったのは、その後に舞台「見殺し姫」に臨んだ時のこと。
公演期間前、舞台というものを「『見殺し姫』を通して好きになりたい」と語った[12]彼女は、公演期間を終えて「初めて舞台が楽しい場所なんだなって思えるようになりました」と口にした[13]。
「見殺し姫」の経験は、当時のインタビューで「今までの活動の中で一番やられちゃった」と語っており[11]、また後年になっても、プレッシャーが大きくて辛かった記憶として残っている[9]ほど、きつい経験だったようだ。
しかしそれを乗り越えた達成感[11][14]こそが、舞台を「怖い」ではなく「楽しい」に変えたのだろう。
そして、「やりたいことは演技なんだと最近気がつきました」と打ち明ける[15]。
彼女はこの頃から、「芝居をやりたい」と発信し始めていたのだ。

さらに、先輩の衛藤美彩・伊藤純奈と共に臨んだ舞台「三人姉妹」を通して、彼女はその想いを強くする。
「実は舞台に苦手意識があったんですけど、『三人姉妹』を通してまた舞台をやりたいと思うようになりました」と彼女は語った[16]。

活動休止、そして復帰

しかし実は、その前年の秋頃から彼女は体調を崩し始めていた[17]。
後に語られるところによれば、同期との気持ちのすれ違いに端を発し、同期にすら気を使い、自分の意見を言わず、嫌われないようにと過ごすようになっていたと言う。そういった気持ちの消耗が、彼女の精神を蝕んでいた[18]。

そんな中で「三人姉妹」を終え、次の20thシングル「シンクロニシティ」で初の選抜入りを果たした彼女だったが、そのプレッシャーに押しつぶされてしまう[19]。
また、「同期のみんながすごい輝いて見えたんですよね、その時期」と彼女は振り返る[19]。同期の伊藤理々杏・梅澤美波・山下美月が出演したミュージカル「美少女戦士セーラームーン」(2018年6月:天王州銀河劇場)についても、彼女は「もどかしい気持ちから「絶対に観に行けない」と思った」と言う(気持ちの整理がついて、TBS赤坂ACTシアターでの公演(2018年9月)は観に行ったとのこと)[20]。

振り返って冒頭で引用した大園桃子との対談記事は、そんな折のことであった。だから彼女は「最近その自信を失ってしまって」「いまがつっかえてるので、ここを抜け出したい」と苦悩を吐露し、大園に「これからじゃん。久保さんは絶対すごくなると思う」「いまは舞台がないから、そう思うだけだよ」と励まされていた[1]。
しかし2018年6月30日、彼女は、開幕を控えた全国ツアーの欠席と21stシングルの活動休止を発表する。それは自分を守るための決断だった[21]。

彼女が復帰を果たしたのは、2018年9月2日、「真夏の全国ツアー2018 宮城公演」最終日のアンコールだった。
後に語られるところによれば、休業明けは、休業前よりもよくないかもしれないと感じる時期もあったと言う[22]。
しかしそんな中で、彼女に決まった仕事が、彼女がやりたいと言い続けてきた芝居の仕事、舞台「ザンビ」の座長だった。

彼女は、気落ちする原因ともなっていた同期の活躍を、今度は原動力へと変えた。
梅澤美波が「ザンビ」の前までに、この2018年で「星の王女さま」「美少女戦士セーラームーン」「七つの大罪」と3つの舞台を経験したことについて、「みなみんの経験が私にいい影響を与えて、燃えるきっかけになったんです」と語った[23]。
さらにその後のインタビューでは、山下美月(2018年に舞台「美少女戦士セーラームーン」「ザンビ」と映画「日日是好日」に出演、2019年のインタビュー公開当時はドラマ「神酒クリニックで乾杯を」に出演中、さらにドラマ「電影少女 -VIDEO GIRL MAI 2019-」に出演することが発表されていた)について、「前は気にしちゃっていたけど、今は山下を見ていると頑張ろうと思えるし、私の夢を山下がどんどん叶えてくれるから、後に続こうって思えるんです。私も少し大人になれたことで、悔しいという気持ちよりも頑張ろうって気持ちの方が大きくなりました」と話した[19]。

舞台「ザンビ」を終えた頃、「EX大衆 2019年1月号」にて、彼女は決意をこう口にした[24]。

休んでしまった分、いまの乃木坂では一番下にいる自覚はあるし、悔しさも焦りも感じてます。でも、いまは「この挫折がいつか活きる時まで頑張ろう」という気持ちなんです。

同期の活躍を見て挫折を味わい、しかし同期の活躍に燃えて臨んだ舞台「ザンビ」を経て、彼女が強く公言したのは、やはり「芝居をやりたい」という想いだった[25][26]。
それは以前よりも力強くなっていた。「1つ具体的な目標を言うのであれば、将来、お芝居の道に進みたい」[25]。彼女は将来にまで言及を深めた。
そして2019年7月、18歳の誕生日を迎えた彼女は、同期の山下美月の活躍について「私のやりたい映像のお芝居を経験して戻ってきた山下はめちゃくちゃキラキラしていた」「また離されてしまって、「悔しいな」と思いました」と燃えており、18歳は「叶えたい大きな夢に向けての学びの年にしたい」と宣言した[20]。

想いの進化

そんな中で決まったのが、ミュージカル「美少女戦士セーラームーン 2019」の主演だった。それは奇しくも、かつて同期が出演し、もどかしさから見に行けなかった舞台の再演だ。
その経験は確かな手応えとなったようだ。公演を終えて彼女は「舞台に対する苦手意識が薄らぎました」[3]「この機会を経て、来年はお芝居に力を注げる年にしたいと思えました」[27]と話した。

2020年に入って、芝居への動機にも変化が見られるようになった。
彼女は「私は映像の仕事をやらせてもらいたいってよく言っていたんですけど、それは”自分のために”そう考えていただけで、そこで思考が終わっていたんです。でも、今の自分の思考回路では、映像の仕事をやることで、乃木坂にほんの少しでも何か持って帰れるようにしたいっていうところまで、考えを進められるようになった」と語った[28]。
バースデーライブで先輩のポジションに立った経験、次々と先輩が卒業していく状況、それらが彼女に「乃木坂の力になりたい」と言わせる覚悟を生んだ[28]。あるいは、2019年末の「3・4期生ライブ」を通して先輩としての自覚を強めたこと[28][29][30]も影響したのかもしれない。活動に必死に食らいついてきた段階から、視野が広がり、ある種の余裕がようやく生まれてきたようにも思われる。
そして高校卒業を機に、改めて決意を述べる。「映像でのお芝居に興味があります」「もちろん舞台も好きなので、とにかくお芝居を続けたいですね!」[31]
彼女のこの言葉には、今までにはなかった意味が含まれていただろう。

映像や舞台への意欲を示していた彼女にとって、新たな芝居との出会いもあった。
それが、オーディオドラマ「青春アドベンチャー『阪堺電車177号の追憶』」への出演だ。この経験について彼女は、「声だけで、人柄や関係性、情景まで、全てを伝えるということの難しさ。お芝居の世界の難しさと美しさ。今まで見てこなかった世界が見えた経験でした」と振り返った[32]。

この後にコロナウイルスが蔓延し、様々な活動が停止。この年のうちに、彼女が望んだ映像や舞台の仕事にありつくことはなかった。
そして2021年に入り、コロナウイルスの影響がようやく弱まり始めたところで、彼女は改めて今後の目標について、「ずっとやっていきたいと思っているのは、お芝居に挑戦したいということ」「乃木坂46の外に出て、まだ一人でお芝居をした経験がなくて、まずはそういう経験をするところから始めていきたい」と宣言した[33]。

遂に訪れた時

そして遂に、グループ加入5年目にして遂に、その時がやってくる。
それが、ドラマ「クロシンリ 彼女が教える禁断の心理術」と舞台「夜は短し歩けよ乙女」への出演だった。
ここまで述べてきたような歴史があったからこそ、先述した「WHITE graph 008」での「『クロシンリ』も『夜は短し~』も5年目にしてようやく摑めたものだったので『もうここしかない』と思ってものすごい熱量で取り組みました」という発言[6]だったのだ。

実際、「クロシンリ」の撮影期間中に行われたインタビューにて「本作を通して今の自分を変えられそうな予感はありますか?」と聞かれた彼女は、「すごくしています。連続ドラマ初主演を務めるこの期間をどう過ごすかが重要で、学びも多くあると思うので、この撮影が終わった時に変わっていられるように努力したいです」と答えていた[34]。

さらに、「夜は短し歩けよ乙女」の本番直前時期、「BRODY 2021年8月号」に掲載されたインタビュー[9]から感じられる彼女の意気込みも、ものすごい。

もちろんこれまでも、こんなにたくさんの舞台に出演させていただけてありがたいんですけど、メンバーのいる環境でしかやったことがないことが……自分はまだ外に出るほどの実力がないんだなと思ってしまっていて。同期や後輩が、自分よりずっと先に外の世界を経験していくのを見ていて、それはそれでつらかったです。だから、今回は本当にうれしかったですね。ずっとメンバーに甘えてきていたので、もちろん不安もありましたけど、でもやっと自分だけの、今までの自分を試せる場所ができたと思ったら、うれしくてたまらないです。

(中略)

もちろん今まで舞台を観たことがなくて、自分がきっかけで観に来てくださる方がいらっしゃることがすごくうれしかったんですけど、今回は原作がすごく人気であること、ヨーロッパ企画のファンの方や歌舞伎界のファンの方、もともと舞台が好きな方にも観に来てくださると思うと、アイドルというフィルターなしに観ていただける場所になると思っていて。時にはそのフィルターがどうしても、お芝居をする上で厚い壁に感じてしまうことも多いので、そのフィルターなしで観ていただいたときに自分がどう見えているのか、自分は何が足りないのか、これからどんなことをしていかなきゃいけないのかというのを知れる機会になる。今回の舞台は自分がお芝居をしていく上での今後の人生を決める場所になると思っているので、その評価が怖くもあり、楽しみでもありという気持ちでいます。

ものすごい熱量で取り組んだ結果、得られたのは高評価だった。
その反響は彼女の耳に届いたようで、舞台「夜は短し歩けよ乙女」について「いろんな方からお褒めの言葉をいただけてうれしかった」[5]と話し、またドラマ「クロシンリ」と合わせて「良い評価をいただいたのは自信になりました」[6]と語った。
舞台の演出を務めた上田誠氏は、彼女の技術を高く評価し[5]、その後に同氏が総合演出を手がけたドラマ「サマータイムマシン・ハズ・ゴーン『乙女、凛と。』」へも彼女は出演を果たした。

だからこその充実感なのだ。
彼女はこれまでの道のりを振り返って、「メンバーのいない外の世界で自分を試せる場というのがこれまで5年近くずっとなかった」し、「『私には才能がないんだ』と思って、一度は諦めたことも」あったと言う[6]。
だからこそ、先述した「WHITE graph 008」の「私の5年間の蓄積は間違っていなかったんだと思えて、『時間はかかっても、あきらめずにいよう』というマインドを持つきっかけにもなりました」という発言[6]なのだ。

そこにいるのはもう過去の彼女ではない。彼女は、「人間あきらめなければ、なんでもできるんだなって知ってしまった」と語った[7]。

2021年の意味

自分で作った”未来のストーリー”

実は私は彼女のこういったインタビューを読むまで、ドラマ「クロシンリ」や舞台「夜は短し歩けよ乙女」が、彼女にとってそんなにも特別な機会だと認識できていなかった。
これまでの実績から、彼女が3期生の中でも特に芝居を得意としていることは乃木坂46ファンの共通認識としてあったと思うし、私は「そういった仕事が決まるのも当然だろう」という感覚で見ていた。今回が、メンバーのいない環境での初めての芝居ということも、言われてみるまで気付かなかった。

彼女にとっては、そんなファンからの「当然だろう」という視線も、きつかったに違いない。でも彼女は、それをも努力の原動力に変えていた。
舞台「ザンビ」を終えた後のインタビューでは、「どんなに頑張っても「元からできるからね」と言われることがあって。そのたびに自分の努力が足りないと思っています」と発言していた[24]。

あるいはここまで見てきたように、挫折を味わう原因にもなった同期の活躍も、努力の原動力としていた。
つい他人と比べてしまいがちだった彼女は、加入して1年も経たない初期の頃のインタビューで、「今呼ばれてないんだったら、いつかこの先で呼ばれるように努力しておけばいいんだ」[35]、「いつか自分を呼んでいただけるような人になれるように、今じゃなくて未来を見据えた行動を取ろうと考えるようになりました。未来のストーリーを作るのは自分であって、その未来の自分のヒントが今の自分」[36]と、自らに言い聞かせるように話していた。
彼女はそんな想いを、途中で折れても、5年間貫き続けていたのではないだろうか。

そしてそれらの努力は、着実に彼女に蓄積していったのだろう。
5年間の道のりの中間地点とも言える舞台「ザンビ」を終えた頃、赤澤ムック氏(舞台「三人姉妹」の演出家)は、舞台「見殺し姫」から「三人姉妹」を経て「ザンビ」で演技を見せた彼女に変化を感じ、「自分の表現を乗せることが上手くなったと思います」「ひとつずつステージを上がっている」と評価していた[37]。

そうしてステージを上がり続けた彼女に舞い降りた、初めての、大きなチャンス。
彼女に蓄積していたものは遂に解き放たれ、そのチャンスをつかんだ。
「私の5年間の蓄積は間違っていなかったんだ」と語った[6]のは、チャンスをつかんだ手応えがあったからこそだろう。
冒頭で引用した大園桃子の「いまは舞台がないから、そう思うだけだよ」という発言[1]も、そんな未来を予見していたかのように思える。

まさに彼女は、過去の自分がそう話していたように、”未来のストーリー”を自分で作ったのだ。

間違っていなかった歩み

思い返してみると、先述したように、彼女は活動休止から復帰後のインタビュー(EX大衆 2019年1月号)で、「この挫折がいつか活きる時まで頑張ろう」という決意を述べていた[24]。

その後彼女は、その挫折とも言える活動休止から復帰後1年が経とうとする頃、グループに加入してからの3年間を振り返り、「アイドルとしては順調じゃなかったと思います(笑)。ファンのみなさんを心配させたし、まわりの方たちに迷惑もかけてしまった。ただ、ひとりの人間・久保史緒里としては、すごく正しい道だったと思います」と語った上で、「これからも道は続いていくけど、その幅を広げていきたいです。18歳の1年は基礎を固めてよろけても大丈夫な道にする期間にしたいと思っています」と未来への抱負を話していた[20]。

彼女は道の幅を広げながら、ちょっとやそっとよろけても大丈夫になったその道の上を、歩み続けたのだろう。
グループ加入から5年後、その道の先にあったのが、ドラマ「クロシンリ」と舞台「夜は短し歩けよ乙女」であり、それらを通して得た充実感だった。
そして彼女はその道のりを振り返って、「この5年間の歩みは何も間違っていなかったと思います」と話した[6]。

あるいは、活動休止というかつての自らの決断を振り返って、「今思うとあの時があったから今の私があるなと思える」「未来の自分は過去の自分を肯定してあげられる」と話した[21]。
活動復帰後に語った、「この挫折がいつか活きる時まで頑張ろう」[24]。
その答えは彼女に聞いてみないと分からないが、もしかしたら、その時が来たのではないだろうか。

しかしいずれにせよ、彼女の頑張りはここで終わりではない。道は続いていく。
ずっと意識してきた同期の活躍を今もなお、意識し続けている。彼女は、「いまもやまの活動に悔しいと感じることはあるし、いつか追いつきたいとおもってます」と話す[5]。
そして「WHITE graph 008」[6]にて、今後の抱負をこう語る。

ファンの皆さんや私を支えてくださっている方々に見せられる景色はまだあると思うので、私も諦めずにそれを追い求めようと思います。

弱い自分から強い自分へ

活動休止から復帰した後しばらく経った頃に発売された「B.L.T. 2019年5月号」にて、彼女はこのように話していた[25]。

昔はほめてもらっても、『そんな、そんな』ってとにかく否定していたんですよ。それが3期生として乃木坂に加入してから2年半がたってようやく、『ありがとうございます』って言えるようになったんです。そのもう1つ上の段階、自信に変えるっていう力が今はまだなくて。全然、自分の活動に対して何事も満足していないからなんでしょうね。

ドラマ「クロシンリ」と舞台「夜は短し歩けよ乙女」を終えた後の彼女の発言を見るに、彼女は遂に”もう1つ上の段階”に達したのではないだろうか。

先述した「WHITE graph 008」の「良い評価をいただいたのは自信になりました」[6]というやや控えめにも聞こえる発言は、しかし実は以前の彼女なら出てこないであろう言葉だったのだ。
その「自信」がついたのは、芝居に限った話ではない。「B.L.T. 2022年2月号」を読むに、もっと広い、抽象的な「自信」をも、彼女は得たように思われる[8]。

今までの私は、ずっと自分のことが嫌いでした。でも、10代の最後に舞台でヒロインを演じさせてもらったり、ドラマで主演をさせていただいたり、「僕は僕を好きになる」で1列目に立たせていただいたりしたことで、自信を持てたのかもしれないです。

その自信を持てたからこそだろう、以前の彼女からは考えられないような発言も生まれた。それは、「センターになりたい」という想いだ。
「心配をかけてしまった先輩方に、一番わかりやすい形で「変わりました」と伝えられるのがセンターだとしたら、そこが目指したい場所だと思うようになったんです」と彼女は話す[5]。

そう、彼女は変わったのだ。
だから彼女は、「まだまだあの頃の弱い自分のままで見られているなと感じることもたくさんあります。今はそれが悔しいから、今の強い自分を知ってもらって、理解してもらって、信頼を得ていく20代にしたいです。大事な場面や大きなお仕事でも、「久保なら大丈夫!」って思ってもらえるようにしていきたい!」と宣言する[8]。
この言葉は、以前の彼女のことを思うと、あまりにも力強い。

先輩たちとの約束

振り返ってみると彼女の苦悩は、自信が持てないこととの闘いだったように思われる。

それは加入当初からの話。2016年12月、初めて人前に立つ機会となった「乃木坂46 3期生『お見立て会』」にて「私、変わります」と宣言し[38]、初めて書いたブログでもその決意を改めて語った[39]。2017年1月、彼女は2回目のブログでも「今年は、何か1つ...『自分に自信を持てる何か』を手に入れたいです」と宣言していた[40]。

あるいは2018年、活動休止の直前期。冒頭で引用した大園桃子との対談で彼女は、「最近その自信を失ってしまって」と話していた[1]。後にはその時期を、「あの頃、本当に自分がイヤでした」[22]「自分に自信がない時期で、人と比べることしかできなかった」[41]と振り返った。
また先述した通り、自分に自信がないゆえに、彼女は周囲に嫌われないように自分を抑えて過ごし、それが彼女の精神を蝕んでいた[18]。

そんな彼女の自信を支えようとしてくれた存在が、舞台「三人姉妹」で共演した衛藤美彩[42]をはじめ、新内眞衣、北野日奈子[18]といったグループの先輩たちだった。
舞台「三人姉妹」の公演期間直後に公開されたインタビューには、彼女が衛藤に泣きながら活動の相談をした話が書かれている。衛藤に言われた「もっと自分を信じて大事にしてあげてね」「誰があなたを信じてくれるの? 自分が信じてあげないと誰からも信じてもらえなくなっちゃうよ」という言葉が響いたと言う[42]。

2018年9月に活動復帰を果たした彼女は、2018年12月公開のインタビューで「お休みする前に比べたら、自分を愛することができてると思います」[37]と話したものの、その後2019年1月公開のインタビューでは「自信を失った」「自分を好きになりたい」「愛してあげたい」ともがいていた[19]。

そんな彼女は、活動休止から復帰して間もないある日、新幹線の移動時間の1時間半に渡って、衛藤と話をしたと言う。「衛藤さんから見た私は『じぶんをほったらかして、他人を優先してしまうから、言ってしまえば自分の人生の舵を手放してしまっている』と。『もっと自分の人生を生きなさい』と言ってくれたんです」と彼女は語る[17]。
さらに、同期の存在にも支えられながら、彼女は自らを奮い立たせた[41]。

2019年の春頃になって、気を使い過ぎる状態からは卒業した。「それまではメンバーにも気を使っていたのが『もう嫌われてもいいや』という気持ちになって、話し掛けるのも全然怖くなくなって。そこで『あれ? 普通に話せる』と気付き、みんなのこともどんどん分かってきたんです」と、彼女は後に振り返る[6]。

しかし、2020年11月公開のインタビューの時点では、彼女はまだ十分な自信を持てていなかった。「最近思い出して申し訳なくなったのが、みさ先輩が新幹線の移動時間を丸々使って私の話を聞いてくださったことで。あの時、『自己肯定感が低すぎるよ。もっと自信を持ちなさい』と言われたのに、変われた姿を見せられないまま卒業されてしまって……」と、彼女は話した。
そして代わりに、「心を"半分こ"した」存在である北野日奈子に、彼女はこう約束する。「そんな日はきてほしくないけど、日奈子さんが卒業される時には変わっていたいです。いま約束します」[43]。

そして2021年、彼女は変わった。センターに立ちたいとまで言えるようになった。「今までの自分だったらセンターの話なんてできませんでしたから。自分の周りには素敵な人ばかりいるので、「ということは、自分にも少しいいところがあるのかな」と思うようになりました。私、変わりましたね(笑)」と彼女は語る[5]。

北野が卒業を発表したのは、丁度私がこの記事を書いている最中の、2022年1月31日。彼女は北野との約束に、間に合ったのだと思う。

グループと共に歩む未来

上限を超えたグループ愛

少し時は遡って、2020年3月。先に述べた通り、彼女の芝居への動機には、「乃木坂に何かを持ち帰りたい」という想いが追加されていた[28]。
そしてその年、彼女のグループへの想いは、更なる高まりを見せる。
その心境について彼女は、「今までの人生でいろんなものを好きになってきましたが、上限を超えた領域に達することができたのは、乃木坂46が初めてで。『あっ、ライン超えた!』ってはっきり分かったんですよ!(笑)」と語る[6]。

そのような変化が生じた要因として、彼女は2つを挙げる。
1つ目は、2020年のコロナ禍による自粛期間中、少しグループと距離を置く時間にしようと意識する中で、ピアノを始めたこと。なぜピアノを弾いているのかと自身の心の奥を分析した結果、ピアノ演奏という乃木坂ライブの伝統を生田絵梨花卒業後に継ぎたい、という想いに気付いたのだという。彼女は「『距離を置いていたはずなのに、めちゃくちゃグループのことを考えてる! 私、乃木坂46に対して自分に何ができるのかを考えちゃってる!』と気付いてしまった」と言い、その気付きが逆にグループへの想いを膨らませたようだ[6]。
2つ目は、その後すぐ、2020年7月リリースの配信限定シングル『Route 246』にてダンスを頑張ったこと。頑張った結果、ファンや先輩に良い評価を貰い、「『私のことを見てくれている人がいるんだ。だったらさらにもう一段階頑張ってみよう』とギアが上がりました」と彼女は話す[6]。

その後2021年2月に公開されたインタビューでは、「グループ全体を見ていて感じる改善すべき点について、難しくて勇気がいることだけれど、グループの未来のために声をあげなければならない」という旨の覚悟を語った[18]。
そんな彼女のグループへの視線は、キャプテンの秋元真夏にも信頼されている。秋元は、3期生の中でも久保と副キャプテンの梅澤美波のことを「グループを広く見ているふたり」と表しており、グループに対する想いや情報を共有しているようだ[44]。2021年の全国ツアーのリハーサル中には、秋元が4期生へ強い言葉で意識改革を訴えるという出来事があったと言うが、この際にもやはり、久保や梅澤(と齋藤飛鳥)に相談したとのことだ[7]。

上限を超えたグループ愛を持った久保。
先述した、「WHITE graph 008」で語った「ファンの皆さんや私を支えてくださっている方々に見せられる景色はまだあると思うので、私も諦めずにそれを追い求めようと思います」という抱負には、実はこのような続きがあった[6]。

そして、自分の中の目標である”グループのために”という部分も同時進行させられたらベストかな、って

絵馬に込められた想い

2021年に芝居を通して得た自信を携えて、彼女は新たな景色を追い求める。そして、グループに貢献したいという熱い想いも同時に抱く。その未来は、どのように結実するのだろうか。

彼女は、「WHITE graph 008」にて、その未来のヒントとなる発言をしている[6]。

「(前略)『自分がどういう努力をすれば乃木坂46を新しい場所に連れていけるんだろう』というのをずっと考えています」

●「どういう努力をすれば」という課題に対して、答えは見えていますか?

「今はお芝居かなと思います。自信があるわけではないですけど、自分のやりたいことがお芝居なので。そして、私が今お芝居をできているのは先輩方が道を作ってくれたからなので、私も新しい道を作らないと辞められないなと思うんです。なので、お芝居を通してまだ行ったことのない場所に行きたい。……とはいえ私が作るべき新しい道が本当にお芝居なのかはまだ分からないので、歌やダンスなどいろんなことに挑戦している真っ最中です」

彼女は、自らのお芝居でもってグループを新しい場所へ連れていけるかどうかについて、自信なさげである。完全な自信は無いながらもその目標を公言し、その道を歩もうとしている。
でも、思い返して見て欲しい。彼女は自信との闘いを一度乗り越えたのだ。弱い自分から、強い自分に変わったのだ。
変わったからこそ、このような発言ができているのであり、これからの道を歩む彼女は、以前よりも胸を張っているに違いない。

そして彼女は、その具体的な目標についても、ひとつ挙げている。
「あえて言うなら、今まで乃木坂46のメンバーが誰も通っていない新たな映像の道を開拓したいです。結局、なんで映像にこだわるかというと、乃木坂46の名前をさらに広げたいからなんですよね。そうなると、まだ私たちのことを知らない方たちにも見ていただける作品に出演するのが1番なので、話題になるような映像作品に挑戦したいんです」と、彼女は語る[7]。

年が明け、2022年1月7日。乃木神社での成人式に臨んだ彼女が絵馬に書いた言葉は、「未開拓の地へ」だった[45]。
その地へ歩む彼女の姿を、見ていたい。

乃木神社での成人式にて久保史緒里が抱負をしたためた絵馬(https://mantan-web.jp/article/20220107dog00m200057000c.html?photo=006

あとがき

私が本記事を書こうと思ったきっかけは、2021年下半期の久保史緒里のインタビュー記事(特に「WHITE graph 008」[6])から非常に大きな充実感を感じたこと、そして、2022年に成人式を迎えた彼女が絵馬に「未開拓の地へ」と書いた[45]のを見て、彼女が何かステージを上がったように感じたことだった。
そんな折、冒頭で述べたように、ふと手に取った「EX大衆 2018年7月号」[1]を読んで、本記事の書き出しを決めた。インタビュー当時は大園桃子と久保史緒里の二人ともが壁にぶち当たっていたが、2021年になって二人はそれぞれ抱えていた悩みから解放されて新たなステージへ移ったように見え、その類似性が興味深く思えたのだ。それはまるで、乗り越えた後の未来を映しているかのように、二人の悩みが凝縮された対談シーンだった。

しかし、記事を書こうとしたところで、私は久保史緒里のことをあまりに知らないことに気付いた。私が乃木坂46のファンになったのはおおよそ3期生が活動を開始した頃だったが、当時は今ほどに熱心なファンではなかったし、これまで彼女個人を丁寧に追ってきたわけでもなかった。ただ、ここ2年程は雑誌のインタビューを読むのが趣味で、2021年下半期に入って彼女から急に充実感を感じるようになったのは確かだった。
そこで、過去に彼女が掲載された雑誌を調べ、気になるものを集めた。そうして既に所有していた雑誌と合わせて全85冊になった雑誌のインタビューを、私は時系列順に並べて読んだ。読み終わった時、そこにあったのは大きな感動だった。彼女の変化を感じたし、非常に物語性を感じた。その感覚を伝えることができればと、私は本記事を書いた。加えて、記事を書きながらインタビューを読み返してみると、さらなる発見もあった。それらが少しでも伝わっていれば幸いである。
ただし、私は当時の空気感を体感しているわけではないし、インタビュー記事が全てではないし、あるいは彼女の発言意図を誤解しているかもしれない。彼女のブログやいくつかのWeb記事にも目を通し、認識齟齬が無いよう気を払ったつもりではあるが、もし本記事の表現に違和感があれば、どうぞ教えて頂きたい。私は彼女のことをより正確に知りたいと考えている。

本記事では、彼女の歴史や想いをいろいろと紹介しているが、2021年の意味を捉えると言う目的から、特に意義が大きかったであろう「芝居」という面に基本的には特化した内容となっている。芝居に限らず、触れた方が良いと判断した内容については折に触れているが、彼女の乃木坂46の活動全体を振り返るという意味では、触れられていない話題は多くあると思う。
例えば活動の中心ともいえる各シングルリリースの活動や、ライブの活動にはほとんど触れられていない。特に、彼女にとって重要な経験となったであろう「アンダーライブ全国ツアー2018 ~関東シリーズ~」については、その単語すら出てきていない。彼女が歌やダンスに力を入れて取り組んできたことについても、ほとんど触れられなかった。
周囲のメンバーとの関係に注目するなら、衛藤美彩や山下美月との関係にはある程度言及したものの、その他のメンバーとの関係を含め、全体的に不十分な感は否めない。逆に言うと、それほどまでに彼女は、たくさんのメンバーに対して深い愛情を抱いている印象がある。
あるいは、私が個人的に好きな、もっと抽象的な・哲学的な話題――「愛」や「価値観の多様性」についての話題――について彼女は非常に興味深い意見を述べているのだが、それも触れることができなかった。
彼女の発する話題は非常に多岐に渡っていて、そしてよく考えられている。その中には、記事には書けなかったけれど私の頭の中である程度まとまっている話題もあれば、いまいちよく理解できていない話題もある。その中から今回は、「芝居」に着目する形としたのだとご理解頂きたい。

本記事を書く上で難しいと感じた点にひとつ、そういった様々な話題をどのように組み込んでいくかということがあった。ひとつの側面を語るとそちらばかりに注目が集まって、誤解を生んでしまうのではないかという気がした。負けず嫌いぶりを語ると利己的に見えてしまうような気がしたし、先輩との関係を語ると同期との関係が悪く見えてしまうような気もした。様々な側面を語ることで、なるべく誤解が生まれないよう気を払ったつもりではあるが、もしも彼女に対し悪い印象を抱いてしまった方がいるならば、それは私の書きぶりが悪いのだと思って頂きたい。本記事は彼女のことを書いているのではなく、「私が見た彼女」のことを書いている。
ひとつ、本文中で触れられなかった点としてフォローさせて欲しいのは、彼女の同期12人への愛は、非常に大きいということである。グループ愛が上限を超えたことは本文中で述べたが、そんな彼女が「久保さん自身が人生の中で1番の出会いだったと思うことはなんですか?」という質問の答えとして話したのは、「同期」である。正確にはそれを言い直し、「でも、この12人は乃木坂46があってこそ出会えたご縁だと思うので、私にとっての1番の出会いは、乃木坂46なんだと思います」という答えである。同期の輪は、「おばあちゃんになったら、同期12人でおんなじところに住もうね」「世の中が落ち着いたら12人全員休みの日に宿を借りて、1日中寝ないで喋る会をやろう」という話をするほど特別なものだそうだ[46]。

今回様々なインタビューを読んでいて彼女の言葉から感じたのは、彼女の言葉には「決意」が多いということだ。あるいは、「こう変わりました」「こう感じています」という話も、それは彼女の「そうでありたい」という「決意」が混ざっていることも多いように感じる。それは決して嘘ではない。自分の精神状態を考える時に、自分の考えが混ざるのは至極当然のことである(むしろ自分の考えでしか語れない)。ただ、その考えの混ざり方のバイアスとして、彼女の場合は「決意」成分が強めに混ざるのだと思う。そして彼女のそんなバイアスにチューニングしてインタビューを読んでもなお、彼女は2021年に変わったのだと私は感じた。
実はこれは、私が特に好きなメンバーであった、大園桃子とは正反対の傾向にある。大園は、例えばブログに「頑張ります」とは書けず、「頑張りたい想いではあります」としか書けないような人間である[47]。大園の場合は「決意」のバイアスが非常に弱いのだと思う。ブログを読んでいても、「感覚をそのまま」言葉にしているような印象がある。「感覚をそのまま」とは変な表現である。自分の精神状態は自分の考えでしか語れないのだから、大園の考えは確かに混じっているはずだ。ただそこに、「感覚をそのまま」とでもしか表現できないような稀有な考え方が混じっているのだと思う。
月並みな表現にはなるが、これはどちらが良いということではない。大園の言葉の才能に私は惚れているが、一方で本記事を書きたいと思うほど久保の言葉が大好きである。久保の才能はとんでもないと思う。こんなにもインタビューが面白いメンバーを、私は他に知らない。

そして本記事をまとめるに当たって非常に感心したのが、彼女の言葉は非常に繋がっているということである。それは彼女が日頃から日記を書いたり、過去のインタビューを読み返したりしていて、同じ問いについて繰り返し考えている影響なのだと思うが、あらゆる発言が体系的に整合性をもって存在しているように感じた。勿論、人間の考えは日々変わるという意味では矛盾しているところもあるのだが、彼女が大量の思考を行いつつもそれを意識的に日々整理しながら生きていることがありありと感じられた。彼女のインタビューから感じる面白さは、そういった要因もあるのかもしれない。
本記事には、そんな彼女の言葉の繋がりについても、私が気付いたものについては、なるべく反映させるようにした。しかし、私が気付いた繋がりというのはごく一部のような気もしている。本記事で伝えきれていない点があるのは申し訳ないが、私としてはこれからも、彼女のインタビューを読み返した折に、新たな発見があることを楽しみにしたい。

彼女の言葉を全て受け取り切ることができたら、どんなに楽しいだろうかとも思う。私はこの記事をまとめてようやく、彼女のブログの言葉をある程度受け取れるようになった気がする。でも、まだ全部は受け取り切れない。だから私は、彼女が思い描くような読み手にはなれていないのだと思う。彼女はかつてブログに、「自分の思いを正直に書けば、それが皆さんに伝わるって、届くって、信じて私はこの長いブログを書き続けます。」と書いていた[48]。おそらく彼女は、私のようなファンがいることは想定していないかもしれないけれど、私はその哲学に魅力を感じる。私は、それはその上の楽しみを諦めてしまう行為なのかもしれないけれど、彼女のブログをさらさらと読み飛ばしてしまうかもしれない。でも時には後から読み返した時に、その言葉を受け止められるかもしれない。そういう距離感で、私は彼女を好きでい続けるような気がする。

昨年5月、私は大園桃子についての記事を書いた時、大園桃子第一章は、目標を持てない自分からの解放と共に終わったのだと感じた(そしてその二か月後に卒業発表があった)。同様に今回本記事を書いて、久保史緒里第一章は、自信を持てない自分からの解放と共に終わりを迎えたように感じた。
大園と久保の共通点として感じるのは、「自分の人生を生きるんだ」という意志が強いところである。そんな彼女たちの生き様を見ているのは、非常に楽しい。
大園桃子第二章が乃木坂46で続いていかなかったのは驚きだったが、久保史緒里第二章は、本文中で述べた通り乃木坂46で続いていうことだろう。私はそんな第二章を、新たな景色へ向かう彼女の姿を、楽しみながら見ていたいと思っている。

長いあとがきにここまで付き合ってくださった読者の方がいるかは分かりませんが、ここまでお読み頂き、ありがとうございました。

P.S.
とまあ書き上げた興奮で自己陶酔の半端ないあとがきを書いてしまったわけですが、あれから1年が経ち、今や当時よりももっと久保史緒里さんのことが好きになっております。表題曲のセンターに選ばれたことがどれだけ嬉しかったことか。ブログも全力で読んでます。もう「さらさらと読み飛ばして」なんかいません。これからの活躍も楽しみで仕方ないです。(2023.04.18)

参考資料

以下の中でも本記事の着想は、「BRODY 2021年8月号」[9]と「WHITE graph 008」[6]から得た部分が特に大きい。気になった方は是非手に取っていただければと思う。

[1] 「EX大衆 2018年7月号」双葉社 2018/6/15
[2] 「TopYell 2018年1月号」竹書房 2017/12/6
[3] 「日経エンタテインメント! 乃木坂46 Special 2020」日経BP 2020/9/17
[4] 「【大園桃子ラストインタビュー】自分の好きなことに向き合った1年、乃木坂46卒業、そしてこれから」mer公式サイト 2021/8/22(2022/2/5 閲覧)
[5] 「EX大衆 2021年10月号」双葉社 2021/9/15
[6] 「WHITE graph 008」講談社 2021/12/1
[7] 「日経エンタテインメント! 乃木坂46 Special 2022」日経BP 2021/12/2
[8] 「B.L.T. 2022年2月号」東京ニュース通信社 2021/12/25
[9] 「BRODY 2021年8月号」白夜書房 2021/6/23
[10] 「EX大衆 2017年4月号」双葉社 2017/3/15
[11] 「MARQUEE Vol.124」マーキー・インコーポレイティド 2017/12/10
[12] 「BOMB 2017年11月号」学研プラス 2017/10/7
[13] 「乃木坂46×週刊プレイボーイ 2017」集英社 2017/12/8
[14] 「日経エンタテインメント! アイドルSpecial 2018春」日経BP 2018/3/7
[15] 「月刊エンタメ 2018年2月号」徳間書店 2017/12/28
[16] 「月刊エンタメ 2018年4月号」徳間書店 2018/2/28
[17] 「blt graph. vol.37」東京ニュース通信社 2018/11/14
[18] 「乃木坂46ドキュメンタリー 僕たちは居場所を探して『久保史緒里の場合』」Hulu 2021/2/14
[19] 「BUBKA 2019年3月号」白夜書房 2019/1/31
[20] 「EX大衆 2019年9月号」双葉社 2019/8/16
[21] 「乃木坂46久保史緒里が語る“人生の決断軸”「未来の自分は過去の自分を肯定してあげられる」<モデルプレスインタビュー後編>」モデルプレス 2021/8/8(2022/2/5 閲覧)
[22] 「graduation2020高校卒業」東京ニュース通信社 2020/3/21
[23] 「EX大衆 2019年2月号」双葉社 2019/1/15
[24] 「EX大衆 2019年1月号」双葉社 2018/12/15
[25] 「B.L.T. 2019年5月号」東京ニュース通信社 2019/3/23
[26] 「日経エンタテインメント! 乃木坂46 Special」日経BP 2019/4/23
[27] 「BUBKA 2020年2月号 白夜書房」2019/12/28
[28] 「blt graph. vol.53」東京ニュース通信社 2020/3/14
[29] 「B.L.T. 2020年2月号」東京ニュース通信社 2019/12/20
[30] 「乃木坂46×週刊プレイボーイ 2019」集英社 2019/12/27
[31] 「月刊エンタメ 2020年5月号」徳間書店 2020/3/30
[32] 「姿を見せない永遠」乃木坂46 久保史緒里 公式ブログ 2021/1/11(2022/2/5 閲覧)
[33] 「CMNOW Vol.209」玄光社 2021/2/10
[34] 「<「クロシンリ」乃木坂46・久保史緒里インタビュー!【後編】 >今までの自分を変えられそうな予感も。「自分をもっとさらけ出せるように変わりたい」」TVガイド公式サイト 2021/4/22(2022/2/5 閲覧)
[35] 「アップトゥボーイ 2017年4月号」ワニブックス 2017/2/23
[36] 「BRODY 2017年6月号」白夜書房 2017/4/22
[37] 「OVERTURE No.017」徳間書店 2018/12/25
[38] 「B.L.T. 2017年2月号」東京ニュース通信社 2016/12/21
[39] 「皆さん、はじめまして 久保史緒里」乃木坂46 3期生 公式ブログ 2016/12/23(2022/2/5 閲覧)
[40]「やってまいりました2017年 久保史緒里」乃木坂46 3期生 公式ブログ 2017/1/4(2022/2/5 閲覧)
[41] 「乃木坂46×週刊プレイボーイ 2021」集英社 2021/1/5
[42] 「MARQUEE Vol.125」マーキー・インコーポレイティド 2018/2/10
[43] 「EX大衆 2020年12月号」双葉社 2020/11/13
[44] 「EX大衆 2022年1月号」双葉社 2021/12/15
[45] 「乃木坂46久保史緒里:緑の振り袖は先輩に相談 新成人の抱負は「未開拓の地へ」」MANTANWEB 2022/1/7(2022/2/5 閲覧)
[46] 「乃木坂46久保史緒里、生田絵梨花からの刺激と受け継ぐ姿勢<舞台「夜は短し歩けよ乙女」インタビュー>」モデルプレス 2021/6/4(2022/2/5 閲覧)
[47] 「EX大衆 2021年1月号」双葉社 2020/12/15
[48] 「変わったこと。変わらないこと。変わりたいこと。 久保史緖里」乃木坂46 3期生 公式ブログ 2017/9/13(2022/2/5 閲覧)

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