見出し画像

内輪ノリの輪郭を把握してしまうと芸人ラジオは冷める

 受験前まで大好きだった芸人ラジオを聴かなくなった理由に関して考えがまとまったので記事として残すことにしました。普段の投稿とは全く毛色が異なりますが、良ければ最後までお読みください。


中学生の時から好きなラジオについて

 そもそも、ラジオに興味を持ったきっかけは「King Gnu井口理のオールナイトニッポン0」という番組です。当初はKing Gnuが好きだから、という理由だけでラジオを聴いていましたが、気付くとラジオそのものを好きになるようになりました。

 手に届くはずのない憧れの存在と我々リスナーとの絶妙な距離感。好きな人が誰にも言ってない秘密を自分だけが知っているかのような独特な「ラジオノリ」が居心地良く、「King Gnu井口理のオールナイトニッポン0」が終了した後も色々な番組を聴くようになりました。

その中でも好きだったのが「オードリーのオールナイトニッポン」です。

 前半の異常な長さのオープニングトーク。コーナーの安定感。ゲスト回のハラハラ感。どれをとってもラジオの醍醐味がしっかり詰め込まれていて、『テレビで見てたあの人にもこんな一面があったんだな』、と思わず虜になっていきました。

 メールを送ることは無かったですが、武道館ライブのDVDも買いましたし、「あちこちオードリー」等の冠番組も色々見ていた程、熱中していたのは確かです。

オードリーのオールナイトニッポンを聴かなくなった理由

 大学受験を機に、受験期は1秒もラジオを聴かなくなりました。

 そして、受験が終わり、自分のことも落ち着いた2023年の4月頃、高校時代に聴いていたラジオを全番組聴くようになりました。

 ですが、唯一、「オードリーのオールナイトニッポン」は聴かなくなりました。

「内輪ノリ」の輪から外れた自分にとって、その輪はあまりにも入りにくくなっていたからです。

 あらかじめ言及しておきますが、以下に書く内容に「オードリーのオールナイトニッポン」を批判しようとする意図は一切ございません。あくまでも、自分が興味のあったものから関心が無くなった理由を説明するために用いる実体験です。

「内輪ノリ」が長所になっているのがラジオ

 そもそも、「内輪ノリ」は生きていく上で必ず向き合わなければならない課題です。部活動やサークルといった学生コミュニティや人生の節目に訪れる新たな環境など、普段の生活において我々は既に形成されている「内輪ノリ」を知り、その輪の中に入り、一員として振る舞う必要があります。

 映画『正欲』を見た際、「地球に留学しているような感覚」というセリフがあったのを覚えています。まだ「地球」という内輪ノリに完全に溶け込むことはできず、見学をしているかのような状態。思わず客観視してしまうような状態のことでしょう。我々は「内輪ノリ」に対して良いイメージを持っていないはずです。

 ですが、その例外こそがラジオと言えます。話し手の内容に興味を持ち、その真意を探ろうとする行為。まさに積極的に「内輪」の中に入り、理解している様子そのものです。リスナーにとってラジオが居場所になるということは、「内輪ノリ」に溶け込むことができたから、ということを意味するのではないでしょうか。

「内輪ノリ」の輪郭を把握してしまうと冷めてしまう

 「オードリーのオールナイトニッポン」は4月頃からずっと、東京ドームの単独ライブに向けたトークをしていました。そのため、普段のフリートークやコーナー、ゲスト回でも東京ドームが話題に上がるようになりました。

 もちろん、自分も東京ドームライブに関しての情報を沢山入手しました。しかし、どれだけ東京ドームライブのことを知ってもオードリーさんの熱意には追い付けないことに気付きました。それは東京ドームライブ開催決定の瞬間を聴いていないからではありません。オードリーさんを先頭に後ろからリスナーがついていくという構図に自分が追いかけるのを諦めたからです。

 ライブ以前は神と人間の関係とでもいうのでしょうか。語り手とリスナーの距離感がまさしく芸人ラジオのそれでした。今はヌーの大群とでも言うのでしょうか。2頭のヌーが先頭を走り、その後ろを多くのヌーが追いかけるような。そして、2頭のヌーの指示を他のヌーが遂行するようなイメージです。

 自分がその群れに入っても問題はないはずなのに、どこか追いかけるのを諦めてしまうような感覚。それはまさしくタイトルにも書いた通り、「内輪ノリ」の輪郭を知ってしまったからでした。追いかけている時はヌーの先頭も、共に走っている仲間の全体像も分からないままとにかく全力で走る。それなのに、すべてを把握すると逆に関心をなくしてしまう。これはラジオが悪いということではなく、一度「内輪ノリ」を抜けると入りにくい、そして「内輪ノリ」に再度飛び込むことが煩わしく思えてくる理由そのものだと思います。

「内輪ノリ」と思いやり

 高校時代、幽霊部員になる部員が非常に多い部活に所属していました。当時は幽霊部員に対して、「多少ブランクがあってもキリがついたら部活に来るべき」と少しキツい考えを持っていました。

 ですが、これを機に、幽霊部員側の気持ちに気付きました。1度抜けた「輪」に再び入るのはとても大変であり、めんどくさいです。その輪に入ったら楽しいことは分かっていてもどこかやる気をなくしてしまう感覚。そんな感情だったんじゃないかな、と今振り返ると感じます。

 メディアにはびこる「内輪ノリ」は人間1人2人が同行して解決できる問題ではないです。それは先程例として挙げたヌーの大群だからですね。

 一方で、一般人が所属しているようなコミュニティならもっと「内輪ノリ」を敷居の低いものに出来るのではないでしょうか。一度抜けた輪にまた入ろうとしている人に優しく手を差し伸べる。来るものを拒まず去る者を追わないスタンス。人と向き合う思いやりの形の一つとして、こういった結論を見出しました。

おわりに

 自分は現在あまり多くのラジオ番組を聴けていません(意外と学生生活大変です)。欠かさず聴いているのは『空気階段の踊り場』とKing Gnu の新井和輝さんがパーソナリティーを務めている『SPARK』くらいですかね。

 平凡で淡々とした日々を送るばかりの人生ですが、少なくとも上記の2番組が自分の人生に彩りを与えてくれているのは確かです。番組が続く限り、これからも応援していきたいです。

 最後までお読みいただきましてありがとうございました。良ければスキ・フォローよろしくお願い致します。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?