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学校教育トンデモ見聞録

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自身が生徒、教師、保護者として体験した学校教育にまつわる雑文を集めました。
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記事一覧

結論ありきの授業ほどつまらないものはない~TRPGから学ぶ教師の作法

「学習指導案」「授業案」は要らない 日本の公教育において無駄だと思わされたものは無数にあ…

空虚なスローガンの羅列が言葉への信頼を失墜させる

(2020年7月11日 Facebook投稿より) 休校期間が明けて、久々に子どもの通う小学校を訪問し…

できる人はやればいい~悪しき「平等主義」の弊害

 5年間という短い教員生活だったが、担任するクラスでは週1回、欠かさず学級通信を発行して…

教育系雑誌で「道徳教科化」をdisったらボツにされた話

(2018年3月3日 連投ツイより)  某保守系雑誌に寄稿を依頼され、喫緊の課題である「道徳の…

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「道徳」教科化で「心」は育たない

(2018年3月14日「松ちゃんの教室」より)  文部科学省は2015年、道徳を格上げする学習指導…

ドラマ『3年A組』考 伝えるべきは「悪を行うな」ではなく「悪との向き合い方」

 ドラマ『3年A組』は引きのうまさにつられて子どもと一緒に毎週観ていたが、ご都合主義と最後…

「あかるい子」を育てようと掲げる学校教育の歪み

 どの小学校でも当たり前のように掲げている教育目標の中から、「あかるい子」だけは今すぐにでも外してほしい。「あかるい」は、他の三つに比べ極めて曖昧かつ主観的な基準でしかなく、「あかるい=善」という価値観を小学校から植え付けられることによって居場所を失う子たちが、「陰キャ」などと揶揄されるのは本当に耐えがたい。  暗くて、不器用で、たくましくなくて何が悪い!?  「たくましく、あかるく、よくかんがえる、やさしい」子を褒めれば褒めるほど、その価値規範に沿わない子はふるい落

「らしく」「らしさ」の欺瞞性

かつて勤めていた小学校で、中学時代の「丸刈り」について言及した拙文(2006年2月10日「PTA…

原点としての「丸刈り」闘争(5)卒業~さらなる落胆

(2011年1月13日「松ちゃんの教室」ブログ記事再掲)  小学校ではもっぱら先生の言うことを…

原点としての「丸刈り」闘争(4)最後の抵抗

(2011年1月12日「松ちゃんの教室」ブログ記事再掲)  小学校ではもっぱら先生の言うことを…

原点としての「丸刈り」闘争(3)決戦の時~生徒会総会

(2011年1月11日「松ちゃんの教室」ブログ記事再掲)  小学校ではもっぱら先生の言うことを…

原点としての「丸刈り」闘争(2)徹底抗戦~挫折

(2011年1月10日「松ちゃんの教室」ブログ記事再掲)  小学校ではもっぱら先生の言うことを…

原点としての「丸刈り」闘争(1)募る不満~立候補

(2011年1月10日「松ちゃんの教室」ブログ記事再掲)  小学校ではもっぱら先生の言うことを…