見出し画像

新世代エヴァンジェリストの憂鬱(2)牧師たちの憂鬱

『若者とキリスト教』(2014年、キリスト新聞社)より抜粋。

「紛争」だけが理由でしょうか?

 今度は具体的に、牧師、教会、キリスト教関連業界が抱える「憂鬱」に焦点を当てたいと思います。『Ministry』第11(2011年秋)号の特集「ボクシたちのリアルⅡ」で現役牧師約300人を対象に行ったアンケートによれば、「牧師の仕事に困難を覚えるとき」として、最も高い比率(45%)を占めたのは「教勢(教会の規模)の停滞・衰退」でした。次いで「説教をめぐる準備や実践」「求道者・受洗者が与えられないとき」「謝儀(給与)などの待遇」と続きます。やはり「教会員数の推移」は、牧師の大きな関心事の一つのようです。確かに信徒が高齢化し、献金だけで財政を維持できなくなるというのは、教会にとって死活問題に違いありません。ひいては専門書の売り上げ減や人材の枯渇にもつながりかねない大問題です。

 ではなぜ、停滞が続いているのでしょうか。この命題についても、長い間、諸説さまざまに語られてきました。「世間一般の少子高齢化による影響」「教会の世俗化」「帰属意識の変化」など。プロテスタント教派で最大規模を誇る日本基督教団の一部では、教勢の低迷を過去の「教団紛争」の影響により、積極的な伝道の姿勢が後退したからだとする説もあります。「紛争」の歴史と内実についてここで詳しく説明するわけにはいきませんが、同じ教派の中にも抜き差しならない分断や不協和音があるのは事実です。牧師間の溝は、いわば近親憎悪。近しい間柄だからこそ、些細な違いも許容できない。同じ教派の隣りの教会(あるいは隣りの教区)の牧師でも言葉が通じない。むしろ他教派や、他宗教の信者とのほうがウマが合うということは、決して珍しくありません。プロテスタント教会の信仰義認を簡潔に「信じる者は救われる」と表現することがありますが、むしろ「信じる者はすぐ割れる」と言い換えてもいいぐらいのレベルで、教派的な対立は無数に存在します。

 キリスト教信者の数が国内人口の1%未満と言われ続けていますが、こうした論争がいかに高尚な神学的意義を有していようとも、現象としてはコップよりも小さな「〝杯〟の中の嵐」に過ぎないというのが、率直な感想です。そこではもはや神学も聖餐式も、政争の具でしかありません。個人的には「教団」以外に籍を置く者として、いずれの派閥にも与しない立場ですが、教会の趨勢を考えるうえで、日本のキリスト教界がいずれ克服しなければならない課題であることに違いはありません。

牧師の仕事に大きな困難を覚えるとき(複数回答、%)
教勢の停滞・衰退 45
説教をめぐる準備や実践 41
求道者・受洗者が与えられないとき 36
謝儀(給与)などの待遇 26
財政的な問題 26
事務的なルーティンワーク 16
教会員とのトラブル 10
礼拝の計画や実践 9
教会員同士のトラブル 9

ボクシは友達が少ない?

 牧師たち、特に神学校を卒業してすぐの若手牧師たちがおかれている状況は、決して恵まれているとは言えません。もちろん、これまでも牧師にとって「楽な」時代はありませんでした。貧しい中で自給自足しながら、ゼロから教会を「開拓」したという武勇伝を持つ年配の牧師たちも少なくありません。しかし、今日の牧師たちが立たされているのは、そうした労苦とはまた異質の「疲弊と孤立」という苦境です。

 これは教勢の問題とも不可分ですが、教会員だけでなく牧師も高齢化しています。東京基督教大学国際宣教センターが2012年10月にまとめた「宣教の革新を求めて――データから見る日本の教会の現状と課題」によると、すでに全国の牧師の平均年齢は61歳を超えました。教派別では高い順に、日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団が63.9歳、日本福音キリスト教会連合が61.7歳、聖公会が60歳、日本基督教団が59.6歳と続きます。また、教派別無牧(教会に牧師がいない)・兼牧(牧師が複数の教会を兼任している)率が最も高いのは日本聖公会で39.3%、日本基督教団は8.9%となっています。牧師の数が減れば、当然一人の牧師にかかる負荷も大きくならざるを得ません。

 かつては近隣の牧師たちが、面倒見の良い先輩牧師のもとに集まり、夜な夜な牧会談義をしていたという話を聞いたことがあります。近年ではそうした牧師たちの縦と横の関係が薄れ、孤立した牧師が悩みを抱え込んでしまうというケースが増えてきたと言われています。もちろん、こうした言説もデータ上の裏付けが欠かせませんが、以前より精神的な病を抱える牧師たちが増えていることは確かなようです。牧師は職業柄、プライベートな相談などを受けることも多く、家族にも打ち明けられないような情報を抱えなければならないケースもあります。相談できる相手が身近にいないという状況にもなりかねません。医者やカウンセラー同様、自身の働き方を客観的に見て適切な助言をしてくれるスーパーバイザー的存在が必要となります。課題をある程度共有できる同志の存在も必要不可欠でしょう。牧師たちの卒業後のフォローや継続教育は、神学校教育の大きな課題にもなっています。

センセイたちのセカイ

 世の中には、周囲から「先生」と呼ばれる職業がいくつかあります。医師、弁護士、代議士、教師など。牧師もその一つに数えられます。同じ「先生」と呼ばれる職業に共通する点がいくつかあります。たとえば、教師が教室では一国の主のように振る舞える一方、閉ざされた空間で孤立しがちなのと同様に、牧師も教会を私物化できやすい立場でありながら、意識的に外界と接触を持たなければ孤独になりかねません。他にも

①互いを「先生」と呼び合う関係。
②「クレーマー」社会における要求水準の高まり。
③世間から注がれる先生一家への特異な視線。

など、類似の課題が考えられます。いずれにしても、他の職業とは異なる独特の世界に身をおいていることへの自覚は欠かせないでしょう。

 ちなみに医療関係の業界誌『日経メディカル』が2006年に行ったアンケートで、「こんな医者は嫌われる」という刺激的な調査結果が報告されていました。同じ「先生」として心当たりのある方は、ぜひともご注意いただきたいと思います。

患者編 (複数回答、%)
口調が高圧的 82.6
目を合わさない、話をさえぎるなど、話を聞かない態度が目立つ 73.6
ナースや同僚にすぐに怒鳴るなど、振る舞いが横暴 70.5
気難しく話しかけづらい 67.6
今後の見通しや診療方針についての説明がない 65.0
基本的なあいさつができない 64.1
身だしなみが整っておらず、清潔感がない 63.2
職業や肩書で患者への接し方が変わる 60.9
不安になるような独り言を頻発する 56.0
処置や手術の最中に雑談をしたり笑い声を上げる 55.6
医師編 (複数回答、%)
他医や他施設を見下した態度を取る  74.9
口だけで実力が伴っていない、知ったかぶり  74.3
他医の意見に耳を貸さない  71.0
患者の前で前医の批判をする  69.8
基本的なあいさつができない 66.6
患者の前でしかる、けなす(上司)  66.3
向上心がない(部下)  63.9
連絡するのを面倒くさがり、転送先の医師に病状を正確に伝えない  61.5
重症患者や面倒な患者を押し付けるために、正確な情報を伝えない  61.5
忙しくなると少しのことで怒り出す 59.2

「旧世代」牧師たちの生態

 負の側面を指摘したついでに、一編集者から見た「旧世代」牧師たちの生態について、問題だと感じている点を簡潔に列挙したいと思います。該当すると思われる方、いささかでもお心当たりがあり、不快な思いをする危険性のある方はどうぞ、目を閉じて読み飛ばしてください。これらはあくまで、特定の個人に対する非難ではありません。同じ「旧世代」の牧師でもまったくこれらの項目に該当しない方は当然いらっしゃいますし、逆に若手牧師の中にも該当する方がいらっしゃるかもしれません。一個人の主観的な見解としてご容赦ください。

①相手の年齢、所属教派、縁故の有無、学歴、肩書きなどによって態度が変わる。
②権威主義に裏打ちされた上から目線(ウエメセ)と横柄な態度。
③メディアリテラシーの欠如。批判への耐性が低い。誤りを指摘されると逆ギレ。
④派閥形成への執着。牧師の神格化、教会員の囲い込み。
⑤周りが見えず、話が長い。懐古趣味、自己保身。次世代の活躍を阻害しかねない「老害」としての自覚が希薄。

 さすがに詳しい解説ははばかれるので、ここでは控えさせていただきますが、一点だけ。前述のとおり、少なくとも「若者」の声に耳を傾け、「若者」の将来を共に考えようとされるのであれば、右記のような点で引っかかっていては即アウトです。もちろん、中年に差しかかった者として自戒も込めての進言です。参考までに前出の古市が「日本経済新聞」のインタビューに答えた言葉を引用しておきます。

 若者の政治離れを嘆く中高年の方がよくいますが、そういう方こそ、長く生きている分、今の社会に対して責任がある。若者に対してぶつくさ言う暇があったら、若いころご自分たちが何をしてきたのか、お聞きしたい。彼らが嘆く「若者」を生み出したのは、自分たちが作った社会ではないのですか? むげに今の「若者」を批判することはできないはずです。(2011年11月11日付)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?