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自己紹介

はじめまして、20卒として首都圏の私大職員になるMachiです。

今はまだ就活の備忘録としての情報発信ですが、いずれは"教育を支援する"視点をもった情報発信ができればと思い、その第一歩としてのnoteになります。

情報を発信するならまずは発信する側の情報から、ということで今日は自分について少しでも知っていただけたらな、と思います。

自分史に近い形なので、所々就活と絡める部分はありますが、それらは別の記事で個別に詳しく書こうと思います。

出身

雪の多い地域の出身です。避暑地として人気ですが、地元が盆地なのもあり、夏の最高気温は約40℃、冬は-30℃まで冷え込みます。更に季節の変わり目には1日で30℃から7℃まで気温が下がることもあります。
「年間の気温差70℃」「1日の気温差20℃」
これはパワーワードとして地元を紹介する時に使っています。(他に紹介する所がない)

幼少期〜高校

三人兄弟の長男(妹が2人)として産まれました。共働き家庭なのもあり、よく祖父母にお世話になっていました。可愛がってもらったおかげで無事に生粋のおばあちゃんっ子に成長。祖母からは今でもよくハートのスタンプが送られてきます。

家庭は決して裕福ではありませんでしたが、両親が専門卒、特に父が就活に苦労した(当時は就職氷河期)経験からか、小学生の頃から塾に通わせてくれました。当時は相当嫌がりましたが、今は実家の家計の状況を知っているので、かなり苦しい中で教育費を出してくれていたとわかり、もっと頑張っていれば...と後悔しています。いつかありがとうと伝えたいです。

脱線しました、戻します。

昔から体育と図工が好きで、勉強よりも体を動かすことやイメージしたものを作る・描くことの方が得意でした。小学生の頃に制作した版画が全国大会で展示されたこともありました。運動も得意な方で、小学生から運動部に所属しキャプテンとしてそれなりに活躍して地元の新聞に取り上げられたこともあります。中学の成績は塾のおかげか120人中10位以内、ここまでは順風満帆でした。

しかし、高校に上がってからスポーツ、美術、学業全てにおいて挫折します、というより、現実を突きつけられます。美術が得意なのは父譲りでしたが、祖父母の家に保管してあった、父が高校1年生の時に描いた風景画に圧倒され、自分の才能の無さを痛感しました。学校の成績も高校入学当初は180/240位、国公立なんて夢のまた夢でした。部活ではベンチメンバーにすらなれず、1年半近くもがき苦しみました。同期の部員のほとんどが各中学のキャプテン、先輩は都道府県大会でベスト8経験者多数と、進学校という位置付けにも関わらず、かなり特殊な環境ではありましたが、井の中の蛙が大海を知った瞬間でした。

就活では挫折経験としてこの部活での経験を話しました。また別の機会で詳しく書きたいと思います。

現実に打ちひしがれながらも必死に勉強と部活に取り組んでいました。長男の自分が私大に進んだ瞬間に家計は崩壊し、妹2人は大学に行けない、ましてや浪人なんて以ての外(塾代が理由)、と両親から伝えられたその時から家族、特に妹2人の将来を背負って大学受験に臨むことになりました。

家族の重圧を背負いながらも、なんとか地道な努力をしてきました。友達との付き合い方を変え、ただ遊んで楽しいことをする友達から、切磋琢磨できる友達と一緒にいるようにしました。また、当時は理系だったのですが、このままの伸び率だと第一志望に届かないと判断し、当時の夢だった建築士を諦めて高2の冬に文転を決意しました。この判断は功を奏し、3年の秋時点で60/240位。志望校を射程圏内に捉えることが出来、なんとか首都圏の国立大学に入学することが出来ました。もし理系のままでいたら...と考えると今でも少し鳥肌が立ちます。

晴れて大学生に

家族の重圧から解放され、今までは学校や塾の課題、部活など外から与えられたものに囲まれた完全に受け身の生活をしていましたが、大学では全て自分で選択できる「自由」を手に出来たことが何よりも嬉しかったという印象が強いです。未経験ながらもダンスサークルに所属し、ブライダルのアルバイトを始め、日々、新たな刺激を受けながら充実した生活を送っていました。「自由」を謳歌しすぎてGPAは大学平均かそれ以下でした。お世辞にも勤勉だったとは言えないです。入学当初に受けたTOEICのIPテストは500点前半、これもまたなんとも言えない結果でした。

ちなみに、ダンスサークルに対して、あまり良くない印象を持たれることが多いのですが、皆がクラブでお酒を飲んで踊ってる訳ではありませんよ。服装などの見た目が少し怖く、近寄り難い印象は与えていますが、ダンサーのファッションなので大目に見てくださいm(_ _)m 中身は普通の大学生です。不良っぽいのに実はめっちゃ優しい、的なアレと同じで、根は皆いい人達ばかりです。学生ダンサーに対する誤解があるようでしたらここで弁解しておきます。
もちろん例外もいますし、俗に言う大学デビューでハジけちゃう人もいますが、どの大学やサークルにも言えることなので割愛します。
大人しそうに見えて実は裏でえげつないことをしている大学生やサークルの方が問題視されるべきだと、個人的に思います。

サークル活動やアルバイト経験(学チカ)についてもまた別の機会にまとめます。

ゼミでは財務諸表を元に様々な分析をしていました。コンサル志望の学生から人気というのもあり、中々ハードなゼミでしたが、就活で企業や大学分析をする際にゼミで培われたノウハウを活かすことが出来ました。ただ、学校法人と企業では会計基準が異なるので、大学分析をする際は勉強し直しました。

大学の財務諸表の見方は、優先度は低いですが、余裕ができればまとめようかなと思います。ゼミで扱ってなければそんな突き詰めて分析する必要も無いので。

入学当初は、大学では勉強よりも自分の価値観や可能性、視野を広げ、色々な経験を積むために時間を使おうと決めていました。今振り返ると、田舎という閉鎖空間で狭い価値観の中、大学受験戦争で勝つために我慢してきた十数年間を取り戻すためだったのかも知れません。成績は良かったとは言えませんが、その分他に熱中出来たことで学べた事は数多くあるので後悔はしていません。


さいごに

長くなりましたが、これで終わりになります。ここまで読んで下さりありがとうございました。

恐らく全部に目を通してくれた方は「この経験を通してなんで大学職員を目指したの?」という疑問が出るかと思います。その理由、つまり志望動機ですね。これに関しては次の記事でまとめようと思います。

もし、要望がありましたらそちらを優先的に書いていこうかな、と思います。

次回以降にまとめる記事(1テーマずつ)
・なぜ大学職員をめざしたのか 【志望動機】
・高校の部活時代 【挫折経験】
・サークル、アルバイト経験 【学チカ】
(・大学の財務諸表の見方 【大学分析】)

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