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ぼくらは本人の意思を尊重しているだろうか?

本人の意思の尊重が重要といいつつも、果たして、できているだろうか。
掛け声で終わっていないだろうか。

一つの物語を紹介することで、ぼくなりの答えを示したい。
とはいえ、個人情報なのでほとんどを紹介できない。

ぼくよりも若い末期がんの方を担当した。
最後が近くなったあるとき、予想外の急変が起きた。万事休すだった。

本人は一旦は頑張ると言ったものの、迫り来る圧倒的な苦痛を前に、それ以上の治療は控え徹底した緩和ケアを望んだ。
ご家族はもう少し頑張ってほしいと願う。その思いは当然だと思った。こどもだから。親よりも先にこどもが旅立つことは、親にとっては何にも変え難い苦悩だと思ったから。

本人とご家族はしっかり話し合った。
最終的にはお互い納得のもと、本人の意思が100%尊重された。
そして緩和ケアを徹底することで苦痛は緩和され、まもなく旅立った。

ぼくは臨終の確認ののち全く言葉がなかった。
ぼくよりも年下だったこともあるが、親としての苦悩を超えて我が子の意思を全面的に尊重したそのご家族の姿に、何も言いようがなかった。ただただ、敬意を表するのみだった。

ぼくらは「本人の意思を尊重する」といいつつ、本当に実践できているだろうか。

家族の方を見ていないだろうか。
世間体を考えていないだろうか。
それとも別を考えていないだろうか。

言うは易し、行うは難し。

今回の圧倒的な病気を前に、自分の意思をしっかりと語り、その意思を全面的に尊重したご家族、
その両者を前に、ぼくはただ沈黙するしかなかったし、自分のこれまでの在り方を深く恥じた。

これから、しっかりやろう。絶対やろう。


備忘録を兼ねて記載しておきます。

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