タナカマチコ

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最近の記事

何物でもないことの情けなさ

誰かに必要とされたいと思いながら、 誰にも知られていないことの身軽さを気楽に思ったりする。 強く何かを欲したり、強く誰かを求めたり、 その瞬間のひりつきや痛みを恐れるほどには、 器用に生きられるようになってしまった。 今からでも遅くないだろうか。 できる限りの誠実さと わずかばかりの感性と 持ちうる限りの知識で 誰かに「私」を必要とされてみたい。

    • ゴールデンウィークを振り返って

      今年の連休はわりかし充実して過ごせたと思うので、思い出を書いていきたいと思います。ぶっちゃけ、仕事的には連休とか関係ないんですけど、結果的に連休になりましたね。もっと頑張らなくちゃ。 ・だらだらできた。 最初の1日はめちゃくちゃ寝て、起きてウーバーを食べ、ごろごろするだけで消費した。後悔はしていない。 ・大道芸祭りを見た。 翌日は3年ぶりに開催されるお祭りを見に行った。 せっかくKちゃん(平田さん)と合流できたのに、私は酔っぱらいすぎて最後までいることができなかった…

      • アンフレンデッド

        終始居心地のよい人間関係なんていうものは、ごくわずかの幸福な例外を除けば、きっと幻想の中にしかない。コミュニケーションというものはあらかじめ不完全なものなので、どんなテクニックを使っても伝えられるのは言いたいこと・考えていることの、ごくごく一部だ。だからこそ、多くの場合意図しない形で自身の真意が伝わっていくことを避けられない。そんな不完全なコミュニケーションの結果として少しずつ壊れていく関係もあれば、随時補修していく双方の努力によって続いていく関係もある。しかし、それはもう、

        • きみの鳥はうたえる

          食べ物がおいしそうな、青の美しい映画だった。 映画の中に食べるシーンはそれほど多くは出てこないけど、そのシチュエーションは鮮やかに思い返すことができる。 サチコが僕にあげたサンドイッチも、セックスの後にサチコがまるかじりするトマトも、朝帰りの後に食べるトーストも、コップにキャベツのかけらがへばりついたスープも、嚙み砕かれる氷ですら、とてもおいしそうだった。それはきっと、私が登場人物の感情に呼応して、一緒に味わったような気になっていたからだろう。 例えば、カフェで食べるサンド

        何物でもないことの情けなさ

          永い言い訳

          欠点を指摘されるのは痛いことだ。欠点ゆえに起こった、色々な過去の失敗を思い出してしまう。 その痛みのさなかで、欠点を抱えたまま生きていけるのではないか、という淡い期待と、欠点を改めなければ成熟など出来ないのかもしれない、という実感を彷徨い、改善まではいかなくとも、せめて欠点を抱える人間として、自身の弱さを肯定できないだろうか、と目論む。 自分の弱さと向き合う術として、芸術があるとすれば。 それは絶望の海を泳ぎきるための細い一本の藁でもあり、掴んでしまったが最後、それはこの

          幸せなひとりぼっち

          なんといっても、オーヴェが魅力的な映画だった。 序盤はぶすっとむくれている偏屈なおじいちゃんが、終盤画面のなかですこし微笑むだけで、幸せな気持ちになる。観て良かったと思える。主演の笑顔だけでこんなに魅せることができる映画ってあるだろうか。 この映画の魅力をオーヴェの魅力と置き換えて、なぜ私が彼に笑ってほしいと思ったのかを、演出から考えてみたい。 1.偏屈だが筋の通った勤勉な性格 これは、映画がはじまってすぐ読み取れるので、ある意味では他者から見たオーヴェの第一印象であろ

          幸せなひとりぼっち

          トニー滝谷

          これは、「トニー滝谷」の物語だ。だから、彼が何を思い、どう生きてきたか。それについて、私たちは、物語を通していくつかのヒントを得ることができる。 彼は、孤独とうまく付き合うことができた。というより、彼のゆく道の上にいつも孤独が満ちていて、彼はそれを吸いながら、「そんなものか」と納得し、歩を進めてきたのだろう。 彼の歩んできた人生は、面倒な人間関係というものがほとんど存在しなかったはずだ。妻と出会うまで彼と共に感情を分かつ人がいなかったのは、同時に、彼の行く手を遮ったり、言葉巧