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すずめの戸締まり、わからんかった部分

この記事は、すずめの戸締まりを観ても私の観察力では理解できず映画を評価できなかったという話です。
この記事を読んで、「映画のここの部分でその謎はちゃんと解明されているよ」と教えて頂ける方がいたら幸いです。

※無論、ネタバレあり記事となるので劇場で観た人だけ以下を読み進めて欲しいと思います。

基本的には素晴らしい"品質"の作品

私は観終わった時、『もったいない』という気持ちが噴出しました。
良いところがいっぱいあったのに、脚本が納得いかず総合的に面白い作品だと受け止められなかったからです。

圧倒的に映像が綺麗で音楽も良かったのですが、脚本のせいで没入感が得られずスタッフロール終了後『マジか……』という気持ちになりました。

しかし、殆どの人は私のような状態になっていません。
高評価・絶賛の嵐です。

つまり、私が脚本を正しく受け止められず勝手に躓いて勝手に面白さを接種出来ていない状態だと考えられます。

この世界の日本に未来はない、という結末

本作のどこにどう違和感を持ったのかを列挙しません。それらを総合してみると上記のような一文になります。

『この世界』の激しい納得のいかなさを突き詰めていくと、希望が見つからない世界にたどり着くのです。

個人レベルで世界を背負う説明の不足

作中で起きる大事件の解決に対して理解し対応できる専門知識を持った人物が宗像草太しかいません。
知識の面ではもう一人いますが病院のベッドで固定です。

東京上空に巨大なミミズを出現させても、それに気がついているのは草太達だけである事が、私にとっては「この脚本、やりたいこと魅せたい事だけ先にあって中身はガバガバなのでは?」と思ってしまったのです。

つまり、東京都周辺の2000万人がこの超巨大現象に誰も気が付かず力を貸してくれる人の参集もなければ何らかの組織が動いた形跡も無いとすると。
もはや、宗像家だた一家を以て極めて危うい保守作業を続けていることになります。

彼が交通事故にでもあえば、もう終わりです。
その蓄積された知識とともに、対応者も途絶えその後の日本には厄災対処者がいないどうしようもない未来しかありません。

作中でも述べられていますが、草太は教員として身を立てようとしています。
厄災対処に対して誰も理解を示さず、報酬を与える存在が無いことを補強して示していると言えるでしょう。
一家が、個人が、趣味やボランティアで体を張って相当のリソースを割いて知識を学び事に臨んでいるのです。

それを、一部の人は宗像家は『立派だ』『高潔だ』と考えるのでしょう。
私は日本が日本人が『無力だ』『無能だ』『無責任だ(責任能力さえ無い)』と受け止めました。

宗像家の未来

観終わると、草太とすずめはきっと交際していくことになるのだと理解出来ます。
ですが、子供が産まれるのか?産まれたとして育つのか?育つとして、宗像家の力と知識の継承が成功するのか?

子供がその継承を望み、保守作業を行う人生を背負えるのか?

たった一組のカップルに相変わらず日本の破局的災害対策が委ねられ続けていくのは素直に異常と考えていましました。

そして、作品内ではそもそも世界は衰退していっています。
先々ですずめ達が立ち寄るのは廃墟ばかりです。
これでもかこれでもか、滅びゆく日本を暗示しているようにも思えます。
日本の半分は廃墟か?と思わせるほど映画の半分くらいのシーンは廃墟です。

そして、すずめの育ての親である岩戸環です。
彼女ほど魅力的な人物も、すずめという「こぶ」ゆえに婚活が上手くいかないまま40歳になっています。
その上、働く漁協内に露骨に行為を寄せる男がいますが眼中に全く入っていません。

『この世界』でも、当然日本人は結婚できず子供を産めないという未来の無さを示していると言えるでしょう。

『宗像家の未来だけは、夫は教員だけどちゃんと何故かお金が沢山稼げて子だくさんで宗像家はこれ以上先細りせず、重大な使命を担う一家は今後も安泰だ』
と思わせるような示唆はありません。

逆に環のエピソードが示すように、気持ちの整理を付けて良かった探しをして、結婚できなかったけれど幸せですと納得するようなタフな精神性が求められる相も変わらず厳しい世界なのだと、暗い方向しかみえません。

セカイ系としての基本構造が脆弱に見える

私は、ヒロインやヒロイン周辺の少人数だけで世界の難事を片付けてしまうお話が嫌いではありません。

むしろ好物です。
世が世なら自分もこんな感じで巻き込まれ、気合一発自己犠牲で何億人か助ける強烈な一助したいなとも思います。

しかし、それは組み立てが悪いと醜悪なご都合主義に転じると思うのです。

1億人の無能力者を、数人が個人レベルで誰にも理解されず救い続けている(もしくは今ではもう、数人になってしまった)というカタチを、私はよく出来た脚本・セカイ設定とは思えない。

『この世界』では、宗像家以外に厄災対処者が出てきません。
もしかしたら、小説を読んだりパンフレットを読めば何かわかるのかもしれませんが、それを読まなくても映画の中でそう感じさせなければ一本の映像作品としては駄目なのではないでしょうか。

でも、そんなわけないですよね?

そこで、こう思うわけです。
これほどまでに大作として練り込まれた本作に、雑な部分なんてどこにもあるはず無いだろうと。

私が、脚本を正しく受け止められていれば……こんな雑念で、素晴らしい映像と音楽の良さを気持ちよく摂取する事を邪魔することは無かったはずなのです。

私が悪い、とまず考えるべきです。
新海誠というプロ中のプロ、ベテラン中のベテランが納得性の低い脚本を書いたとは基本的には思えないのです。

教わりたいこと

すずめの戸締まりを観た方に教わりたいのは以下の2点です。

宗像家が些細な事故で滅んだとしても、別な人が同様に事象に対処すると思える箇所

草太のアパート内の各種資料が作成された背景を考えると、かつてはもっと多くの人の協力で対処していたようです。
しかし、先述したように今では2000万人に降りかかる巨大厄災でも追加で気がついて対処しようとする人は全く示唆されていません。

作中ではたまたま草太は無事で終わりましたが、本来は都度即死してもおかしくないレベルで高所作業や落石落下がありました。
時間の問題で死ぬか不具者になる前提で考えるべきでしょう。

少なくとも、政府側には理解者ゼロなのは確実と言えます。
扉の場所次第では、草太の権力ではそもそも近づけずに話が詰むケースも想定されます。
事実、すずめは御茶ノ水の扉が路線の奥にあるとわかり、どうしたらよいのかアイディア出せないまま終わっています。
特殊な権限か特殊な催眠能力でも持っていなければ、草太でも同じでしょう。

その程度の危うさで日本が終わってほしくないのです、この世界でも。

この作品を安心して楽しみたい。
この作品を正当に味わいたい。

だから、理解できなかったところを理解できるよう。
この記事を読んだ方から教わりたいのです。

その他

他にもわからない事は何箇所かあって、それもこの作品を私が素直に受け止められていない状況を作っています。
ダイジンの行動や結末等。

しかし、それらも先述の一番大きな課題としたことが理解し整理されればきっと氷解出来るものを信じています。

無職へのお布施

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