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爽快なり翔んでるオバン空を飛ぶ

 我が職業は、食料品小売業主婦。だいたい人の遊んでいる時は遊べず、人の食べている時に食べられずという宿命も、結婚二十年、末娘が中学三年生ともなった今では、さして不運なものとも思ってはいない。
 一昨年のある秋晴れの日、気まぐれから伸ばした車のアシが、トマト畑にさしかかった時。
「やや、得体の知れないモノが飛んでいる」
 上空をかなりの音をたてて飛んでいたのは、ラジコンの飛行機ではなく、明らかに人間の操縦しているそれ。
「うーん、こんなモノがあったのか、実におもしろそうだ。乗ってみたい」
 二十数年前、無茶苦茶な山歩きの結果、冬場のカラ滝の上からころげ落ち、もう高い所はコリたはずの私が、アホと煙は何とやらのたとえ通り、生まれつきの性は如何ともし難く、数百メートルの上空に憧れたのでありました。一年間アメリカへ留学の決まった長男に「お前が帰って来るまでにお母さんライセンスを取るからね」と大言を吐き、主婦は外へ出るべからず主義の「表向き進歩派」の主人をどのように説きふせたのか、今では忘れてしまったが、こうして私の飛行訓練が始まった。
 我が家から車でどんなにすんなりいっても45分。茨城県は大竹海岸のゴミ捨て場。(ここに飛行機が繋留されている)
 大枚二十万を惜し気もなく出して、店の休日の度に国道355号線を海へと向かう。我が休日は第一、第三日曜日。午前中は、ふだん手抜きで見て見ぬふりをしているひどい家の中の汚れと格闘し、ひたすら掃除、洗濯に専念。 時計の針をにらみつけるようにして水分の少ない食事をとり(目的のゴミ捨て場にはトイレがない)、さて行くぞとばかりにいそいそと車にかけ寄る。オレンジ色のつなぎ、オートショップで買った皮の手袋、それに一分間300円のフライトチケットさえ持って行けば用は足りる。
 ふだんは身だしなみに、と心がけているお化粧も、このスカイスポーツには無用。離着陸の滑走の時に海岸の砂を顔いっぱいに受け、上にあがったらあがったで、直接顔に受ける風のため、涙と鼻水でメークなどあったものではない。十分も飛んでくると、四回戦ボーイのパンダさながらではないかと思われる。従って休日はノーメーク。
 それでも恥ずかし気もなく、晴れた休日はどうぞ海岸上空の気流の状態が良いようにと祈りつつ、雪景色、桜もよう、新緑と確実に季節の移り変わりを見せる通いなれた道を、ポップスなんか口ずさみながら飛ばすこの浮き浮き気分。分けてやりたいねえ、ノミ一丁の我が夫に。私が楽しんでいるスポーツの正式な名称は「超軽量動力機による試験飛行」。身体全体で風を受け、足の真下に豆粒のような車や蟻のような人間を見るのは爽快この上ない。
 私がこの訓練を受けはじめた頃、我が家に遊びに来た主人の友達の言。 「翔んでいるとは思ってたけど、ほんとに空を飛ぶとはねえ」


暮らしの手帖 1987年1・2月

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