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だるま落とし

(平成三年十二月)

人下に立てば即ち大冬木

上野 泰

 これと似たよった思いをごく最近した。 床そうじのときである。
お店の床はすべり止めのためにこまかい砂のような混じった化学床材が使われている。 足のあたりがよく、冷たい感じがしないが、欠点はその粒との間に外から持ち込まれた土や汚れがそのまま付着してしまうことである。いつのまにか床全体が黒ずんでしまう。モップで水拭きするが黒ずみは落ちない。落とすにはタワシでこするしかない。洗剤を撒いておいて亀の子タワシで端からこすって行くのである。デッキブラシを使えば楽ではあるが隅まではきれいにならない。わたしは目が悪いので立った位置からではどの程度汚れが落ちたのかも見ることができない。そこでしゃがんで少しずつこすってはぬぐいこすってはぬぐいを繰り返して四日がかりですべての床のそうじを終えた。膝をついて四つんばいになればもう少し範囲は広くなる。しかし洗剤と泥水のただ中でそういう姿勢をとるのは、はたで見ている人にあてつけがましいのではないかと思ってやめた。
 しゃがんで床に対決していると、腕を目いっぱいに伸ばしても掃除のできる面積はなんと小さいことかと、それから延長してさらに人間のできる仕事などタカが知れているものだとさえ思った。
 お店の通路は決して広くない。それでも集中的に掃除のできる範囲は一辺がせいぜい五、六十センチの四角なのである。
 パン屋さんの大きい車が駐車場のくぬぎの枝にさわるので、少し枝を払ったときにもやはり踏み台に乗ってなお届かない目の前の枝に「こんなはずではなかったのに」と思ったものである。
 有名なアームストロング船長のことばの「 小さな一歩」も、実際の歩幅そのものを表しているのであろうが、床を少しずつ区切って掃除しているとなお真の「小さな一歩」の意味がわかるような気がする。
 そのように小さい人間であるのに、さもどでかいことができるような錯覚を起こしては足下の踏み台をだるま落としのように木づちで払われて、あっけなく落ちるのがたいていである。

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