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オオタブ耕地

(平成六年七月)

 秩父にオオタブ耕地と呼ばれる山村がある。耕地といっても平坦な土地ではなく、秩父のこの地域は段々畑になっている。厳しい条件である。年々人口が減り、この近くにあった今はダムの底に沈んだ村同様、いずれは消えていく村である。もちろん、わたしは行ったこともないが、 先日テレビでこの村の事情を、何十年も村の写真を撮り続けている人のことといっしょに放映した。最初から見ていなかったのでオオタブという音にどういう字が当てられるのか不明である。耕地という字だけは、放送の後のほうで説明があった。
 このあたりで言えば開拓地というようなニュア ンスがあり、ところによっては新開地とか新地とか新田というふうに呼ばれるものであろう。ここから西へ五キロほどのところに満州からの引き揚げ者の集団によって切り開かれたいまだに「カイタク」と呼ばれている所がある。戦後五十年にもなろうというのに、呼称というものは世代を超えて引きつがれる性質をもっている。 おそらく秩父のこの「耕地」という呼称も、たとえ村そのものが消え てもなくならない呼びかたであろう。
 わたしが注目したのは、現在三十戸ほどのその村で唯一林業で生計をたてているという人の話であった。その人は三十八年前に政府の奨励を受けて山に杉を植えた。「山に貯金をした」とナレーションしていた。山は当時の社会事情から鑑み彼に相当の利子をもたらしてくれるはずであった。しかし彼と山との思惑を見事にはずして、社会の情勢は経済的な発展をおもに自然からは離れたところで遂げて行き、自然の中で生きていたオオタブ耕地の住民は次々と離村の憂き目に今も甘んじている。樹三十八年の杉の木は買入れ当時1本3000円の苗が現在まっすぐなものでも1本1500円、曲がったものは300円という値段にしかならず、話にもならないものである。
 この番組の中でも杉の木のもたらす悪影響について話されていた。先日A氏と足尾山に行ったときにふたりで話した杉の木の話題とまったく一致していた。杉の木は保水性がないので雨が降ってもただちに地面まで水がいってしまい、雨量が多いと鉄砲水の現象を引き起こす。鉄砲水はたくさんの土砂を山から奪い取り、土の中にあった栄養分をすべて水に流してしまうことになる。土地は痩せ、段々畑は貧しさのの上に栄養失調を乗せたような惨憺たるありさまになる。
 現在この耕地に住んでいる人達は、若い人でもだいたいわたしと同世代くらいのもので、彼らの子供たちはみんな都会に住んでいる。 親がいる人達はそれでも年に一度くらいはここに帰ってくるが、その親たちがいなくなればもう用のない土地になってしまう。写真を撮り続けている人の名は忘れたが、彼の仕事の立派さは、そういう忘れられたような土地のことを記録することによって、やがてすっかりなくなってしまうであろう小さな社会の記録を残すということである。
 今、目の前にあるものが確実になくなってしまうということの重大さにほとんどの人は気づかないでいる。早い話が、お店の前にあった築後三十年ほどで取り壊しになった古い市営住宅などがいい例である。目の前にあるときにはそれほどの意識をもって見るようなことももないが、実際に壊されてあとかたもなくなってしまうと、その建物のつくり、材料、年を経たたたずまいなどはもう二度と復元することなど不可能なのである。ただ記録として写真などに残すくらいが関のヤマである。このことは言ってみれば、エントロピーの法則を広く解釈したものと言えそうである。
 それでも、まだこうして記録に残せる、かつてあった形を後の世の人に伝えられるものはいいほうである。形がなくて消失してしまうものはどのようにしてこの世に存在したことを証明し、またその価値を認めることができるのであろうか。


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