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閑居山(その2)

 (平成六年二月)

 その閑居山の峠から見える筑波山を、意外に早くA氏に見せてあげることができた。ただ残念なことにお天気があまりよくなく、お正月に見たような夕焼けを伴ったすばらしい山というわけにはいかなかったが。

 彼の日曜出勤の日に、英文で明日の出勤をだれかほかの人と交代することのないように、また、少し時間をあけてくれるようにとメモして渡しておいた。
 英文で書くのは、現在工事中のために彼の車の置き場所が変わり、めったに窓にすきまのあることがないのでメモをワイパーにはさんでおけるようにである。つまり、だれかほかの人が手にとって見たときにすぐにはわからないようにしておくためである。特に怪しまれるようなことを書いていなくても、日本語だとだれにもすぐに読まれてしまう。それでは彼に迷惑がかかるのをわたしは恐れている。彼が自分からどこかへ行こうと絶対にわたしを誘ったりしないのは、ひとつには職場の人達にわたしとの交流を知られたくはないからであり、もっと大きい理由は彼自身の誇りのためである。その誇りを傷つけないために、彼がほんとうはそうしたいと思っていることをかわりにしているのだと思っている。
 英文はなるべく簡略に、それでいてじゅうぶんに意味の通じるようによく考えて書く。 彼の英語力ならば難なく理解できる程度である。

 彼も以前途中まではこの山に行ったことがあるらしい。勤務時間の終わった彼にわたしが先に行くから後からついて来るように頼み、あやふやながらもお正月に通った道を思い出したながら車を進めた。まもなく見覚えのある道路に出ることができて安心した。 前の水汲みの場所にはやはり数人のポリタンク片手の人達の行列ができていたが、車はそれほどの数ではなかった。それを右に見ながらさらに上に行くと、まもなく頂上地点というほんの少し手前に「通行止」の立札が立っていた。道路には二週間前の雪がまだ残っている。しかたなく車を止め、あとからきたA氏 「残念ね。もう少しで山が見えるというのに…」と言った。彼は残っている雪の量と質を足で確め「これじゃあふつうのタイヤは滑るね」と言った。そこから徒歩で行くことにした。彼はスニーカーを登山靴に履き換えた。雪はシャーベット状になっているがその量はたいしたことはない。終日かげになる部分にだけ残っていたが、それ以外の所はすでにアスファルトが出ている。いくらも歩くことなく眺望のきく地点に出たが、やはり曇っているので今ひとつというところであった。
 わたしが「昨日ならよかったのにね」と言うと、彼も「そうだな」と同意する。 そして「こんど写真を撮りに来よう」と言った。 近くにこういういい眺めの場所にいくらもかからないで来られるのに、この山に霊水とかいうミネラル・ウォーター以外では知られてないらしい。
 そのうちふたつに分れている峰のその窪みのところにあかりがついた。 「ナトリウム灯の色でしょう?」とA氏に言うと、「そうだ駐車場のところだ」と言う。もうひとつのあかりはおそらく京成ホテルのものだろうと言った。
 車を止めた場所から山側には細い登り坂があったA氏が行くというのであとをついて行くことにした。わたしの布製の靴は先ほどのシャーベットをなめているので湿っている。「俺の長靴を貸そうか」とA氏は言ってくれたが、どうせ汚れているからいいと断った。
 靴なら何でもあるとさっき彼は言っていたが、車の中にはいつでも山に登ることのできる用意も整っているらしい。そういえば彼は常に果物を何か積んでいて、お昼のデザート用のほかにいつなんどきどこでどうなってもいいように備えているらしいことがうかがえる。わたしが彼の車を評して「走るゴミ箱」といったことは、彼には相当コタエているらしかったが、そのゴミにはほんとうのただのゴミも含まれるけれどもほとんどはそういう備えのためのものであるらしいことが何度か彼の車に乗ってみてわかった。
 細い道を十分くらい登って行くと左側にテラスのような場所があり、吹きながしが立っていた。 風の方向を知るためのもので、そこがハングライダーの離陸のためのポイントとして使われていたようだ。足尾山のように、その地点まで車で行けるというわけにはいかないので今は使われていないらしい。足もとが暗くなり始めていて、わたしたちは早々にもとの場所にもどった。 帰りにみるとまだ水汲みの行列は解消していなかった。


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