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自画像

(平成六年一月)

 自慢するわけではないが、このところいろんな人から「すてき」と言われることが多いのですっかり気をよくしている。わたしのような年になってからそういうほめことばをもらうのはこの上なくうれしい。とくに女の人から言われるとよりうれしい。なのでわたしも機会があるごとに人に褒めことばを発するように心がけている。これは明らかにプラスのストロークである。
 わたしは自分が美人だとはさらさら思っていないが、ただ自分の持っている個性というものはあますところなく外に出すことはできていると自負している。容貌は持って生まれたものであるからどうすることもできない。もう少し目が大きければとか、鼻が高ければとか、あまりに一般的な欲から遠く離れることができないほどの卑俗な希望がないわけではない。どうすればよいかと考えたのは何十年も前で、その答えが内面から来る変貌の可能性であると気づいたのはそれから間もなくである。
 よからぬことを考えていると顔がよからぬ顔になるし、おもしろくないと思っていると顔もそんなになってくる。それが定着するかしないかは、その人自身の努力の問題ではなく、たとえばキリスト教でいうところの「恵み」のようなものである。恵みは神の側から一方的に与えられるものであって、良い行いとか崇高な考えによるのというわけではない。人を殺しても、悪しき思いをもっていても「恵み」は雨のように天からその人に降りかかるものである。雨のように降りかかってきたものがわたしの顔ではなく魂の中に注ぎ込み、その結果今のような顔ができあがったと言っても間違いではない。
 そういう時期のわたし自身の絵を描いておくことを思いついて、デッサンした。鏡など見ない。鏡を見ると嫌なところが目についてせっかく降り注いだ雨が砂漠のようにカラカラになってしまいそうである。
 だいたいこういう感じかと思ってひとつ描きあげてみるとまあまあの出来であった。そのときには赤いプルオーバーを着ていたので、その部分だけ着色するとなおそれらしくなった。このわたしの自画像をA氏にプレゼントすることを思いついた。事務所へ行ったが彼は留守であった。いないのでは仕方がないと思ってそのデッサンを持ち帰ってきた。もう一度改めて見るとあまりよくない。まあまあだとなぜ妥協してしまったのかと思えるほどよくない。もう一度新たに自画像を描くことにした。
 ハガキ程の大きさの紙であるから細かいところまでは描けない。そして先にも書いたとおり鏡もみないのであるから、自然にそこに描かれるものは「わたしという人間の全体的雰囲気」というようなものになる。 そうかといって全然似ても似つかないのではA氏にバカにされそうであるから、そのかねあいをじゅうぶんに考えながら描いた。三回目に描いたものでようやくこれならと思えるところまで達することができた。彼が不在であったことが幸いしている。描かれたものには年令までは表すことはできなかったが、わたしの「いろんな人から『すてき』と言われるところのそのもとになっているもの」は表すことができたのではないか。
 これを描いているときにたまたまいつもままごとをしに遊びに来る女の子がその母親といっしょに買物に来た。そしてわたしのデッサンをみつけて大声で母親を呼んだ。「お母さん、早く!早く!そっくり!」母親はしかたなく子供に呼ばれて来たが、 デッサンを見ると目を丸くして「生きてる!」と言った。

一枚目の自画像


 絵に必要な物は精神性である。もし絵にこれが欠けているならばピントはずれのスナップにも劣る。写真はその被写体をそのままあますところなく撮れるが、そこに精神性がはいるかどうかは撮った人の心構えによる。お料理がよくできるかまずくできるかの違いにも似ている。おいしいものを食べてもらいたいという気持ちは自然にお料理に出てくる。絵にはそれを描いた人の魂が入って、なおそれが表れてこそ価値がある。わたしの今回の自画像は紙も粗末で大きさもない、HBの鉛筆と赤いクレー・パステルを使っただけの簡単なものではあったが、天から降り注がれた「特別のもの」を描き出すことができたと思っている。
 それをA氏の車の中に放り込んでおいた。できればずっとそれを彼の手もとに保管しておいてもらいたいという希望を書き添えた。彼はそう書いておいてもとくに気にもとめず捨ててしまうような人である。
 その後彼に「絵は持っていてください」と改めて頼むと「持ってるよ」と返事してくれた。そして、絵と写真の違いがわかるかという、考えてみればひどい愚問に非常に真面目に答えてくれた。
 写真はそのものをありのまま写すものであり、絵はそれを描いた人の感情や生活がはいるものであるというのが彼の答えであった。
 わたしは自分の描いた自画像について彼に聞いてみた。「似ているんじゃない?」と言ってくれたが、わたしはそれがわたしの望む答えではないことを言い、わたしのあの自画像には命が与えられているはずだと言った。そっくり生き写しに描けても命のない肖像画と、あまり似てはいないが確かに生きている人間を描いているという二種類の絵があり、わたしのは後者のほうだと思うというと、彼は確かにそのとおりだと言ってくれた。そして、彼が以前テレビで見たレンブラントの自画像についての話をしてくれた。
 彼の言うにはその自画像はレンブラントが子供をなくし、人気絶頂の画家から惨めな生活に落ちぶれたそのさまざまの辛酸をなめつくした自身の顔を描いていて、そのすべてを体験したレンブラントの表情はとても印象に残るものであるとのことである。
 わたしは自分が持っている美術全集を思い出し、帰ったらすぐに見てみようと思った。A氏がそれほどに印象深く思ってみたレンブラ ントの自画像というのがどういうものであるかを見ることから、A氏の視点や生活まで推すことができるはずである。また、その強い印象のもとになっているものは、レンブラン トに起こった出来事ではなくそれと共感できるところのなにものかをA氏がもっているということになり、彼の屈折の感情を反映しいることにもなる。
 全集を開いて自画像の後年のほうのものを見てみたが、A氏の話題になっているのがどれなのかを特定することができない。しかしA氏に詳しく聞くのははばかられる。 
 もともとレンブラントは自画像の多い画家である。彼は六十三才で没するまでに六十点あまりの自画像を描いている。ごく若いころのものは除くとしても、破産宣告を受けてから以降にも何点か描いていてそのどれもがA氏の話したような人生の山や谷を歩きつくしたような顔をしている。
 本のいちばん最後に年表がついていて、レンブラントの生涯の出来事が書かれているが、それとて助けにはなり得ない。わたしはA氏が絵を見て直接受けた印象ではなく、その絵とともにされた解説から彼が受けた知識によるものを絵の印象として受け取っているのではないかと思った。
 A氏が美術に造詣が深いかどうかはあまりよくわからない。しかしルノアールを見に行きましょうと誘えば来るのであるから嫌いではないはずである。どの程度まで技術的な知識があるのかも知らないが、鑑賞眼はありそうではある。テレビで見たというそのレンブラントの自画像にしても、ほかに 見るべき番組がなかったからではなく、やはり興味があるからそれを選んだとみるべきであろう。ただ、彼自身は筆をとることはないと思われる。つまり音楽にしても美術にしても彼は審美眼はもっていて、いいものをいいと認める力はあるに違いない。
 わたしはここでわたしの父を思い出さないわけにはいかな い。父はひどい音痴で字は金釘流、絵なんぞ描いているのは一度として見たこともない。それでも父の「いいもの」を見分ける目は確かであり、わたしはずいぶん影響を受けている。わたしが現在芸術に関していくらかでも理解を届かせようとできるのはこの父の力によるものであると断言できる。A氏はこの父にたいへんよく似ている。彼は歌など歌うような性格では絶対になく、簡単な図などはかいても絵を描くようなタイプではまったくな い。それでも一流のものを見分ける目はもっているのである。
 レンブラントは「影と光の画家」と言われている。「夜警」はその彼の呼称を代表する作品のように言われているが、わたしはむしろ「ペテロの否認」のほうがよりふさわしい作品だと思う。 ペテロはキリストの十二弟子 のひとりである。ゲッセマネの園でキリストは夜を徹して祈ったあとポンテオ・ビラトの兵に捕えられるが、その時が来るまでにキリストはペテロに「お前は夜が明けるまでにわたしを三度否むであろう」と言う。実際に自分はキリストなどは知らないとか関係ないとか言ってそれが三度に及んだとたんに夜明けを告げる鶏が鳴く。このときに初めてペテロはキリストが自分に言ったことの意味を悟るのである。
 レンブラントが描いている「ペテロの否認」 この何度目か否みであるらしいが、たき火の明かりを下から受けるペテロの顔は意外に若く、さらに思いも寄らないことはその卑しい表情である。これが後に聖人と言われる人物と同じ人間であるとは思えないような卑屈な顔をしている。それは役人におもねる人の顔であり、自分の心をなんとか隠しおおせればと願っている人の顔である。なぜレンブラントがこんな表情にペテロを描いたのか、全集の解説によると彼は過激なばかりの革新派であったということである。十七世紀に生きた人間としては聖人といわれる人物の若い時代の一面をこういうふうに描くことはやはり型破りと言うべきであろう。

レンブラント「ペテロの否認」

 A氏が見たというその番組では、精神的な生活にも触れているはずである。それを聞いて彼の自画像を見れば目の光や頬に刻まれた苦しみは見る者に、とくに同じような感情に包まれている者に強く訴えるものがあるのは当然のことである。
 A氏からそういう話を聞かなければわたしはこの全集を開くことはなかったであろうし、レンブラントの生涯についての知識も得ることはなかった。まして若いころから何枚も描かれている自画像に時間の経過以外のものを見出だそうと努めることなどしなかったであろうと思われる。

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